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スピーチなんてするんじゃなかった

「そんな一本調子のスピーチでは場の雰囲気がぶち壊しです!」
そういって元アナウンサーの美人講師は私にダメ出しをした。

部下の東野が、結婚披露宴の乾杯のスピーチを私に頼んできたのは、披露宴の半年前。過去にも何度かこの類のスピーチを頼まれた事はある。そのたびに、あがり症の私は自分の上司にその役を押し付けてきた。だが、今では上司といえるのは社長だけ。そして社長は既に主賓挨拶を引き受けていた。いいよいよ年貢の納め時。この乾杯のスピーチは逃げられそうにない。私はしぶしぶ乾杯のスピーチを引き受けることにした。

このようなハレの場でのスピーチの経験はない私。やはり練習が必要だ。ネットで「スピーチ 教室」で検索。検索結果の上位に

『話し方は3時間で変えられる! 元アナウンサーが教えるスピーチ講座』

というサイトを見つける。
料金は3時間で5万円と少々お高め。しかし部下の人生の晴れ舞台。このくらいの投資はしなければ、と早速申し込む。

翌日、会社帰りにスピーチ教室へ。早速元アナウンサーの美人講師から本番想定でのスピーチをビデオカメラの前で仰せつかる。私のスピーチはカメラにしっかり記録された。私のスピーチが一通り終わり、美人講師と私は一緒に録画された私のスピーチをチェック。見終わった後、美人講師から一言。
「このような一本調子のスピーチでは場の雰囲気がぶち壊しです! リハーサルでこんな調子で、本番でちゃんとできると思いますか?」
私はその言葉に大きなショックを受けた。講師がもし美人でなければその場を立ち去っていたかもしれない。でも美人講師のおっしゃる事はごもっとも。確かにご指摘の通り一本調子であることは否定できない。そしてリハーサルでできないのに本番でちゃんとできるはずもない。

早速気を取り直して、美人講師とマンツーマンで練習開始。スピーチ原稿や話し方を徹底的になおされ、3時間のスピーチ猛特訓。講座の最後の仕上げは、一緒に手直しをした原稿を元にカメラの前でもう一度本番想定のスピーチを行う。スピーチ終了後、2人で録画されたスピーチをチェック。録画したスピーチが終了し、私は隣に座る美人講師をみた。すると美人講師からは「すごく良くなりました! 当日もその調子で頑張ってください!」と笑顔で言われる。有頂天の私。
翌日から気を良くした私は自宅で妻や娘の前でスピーチの自主トレをし、披露宴に備えたのだった。

披露宴当日。宴は滞りなく進み、いよいよ私の乾杯のスピーチへ。
「圭吾さん、洋子さん、ご結婚おめでとうございます」と切り出す。あっ! 自分の声が震えている。そんな余計な事を考えたのがいけなかった。私の心臓は暴走し、もはやスピーチどころではない。あれほど苦労して書き上げ、完璧に暗記したスピーチ原稿の内容は跡形もなく頭から消え去っていた。私は「あー、うー」と喘ぐばかり。なんとか「カンパイ!」の発声だけはした。敗残兵のように足をガタガタ震えさせながら自席に戻るのがやっと。宴会の最中、隣に座る同僚は私のスピーチに関して一切触れることはなかった。

スピーチなんて、やるんじゃなかった。

式が終わった後も頭の中はそればかり。しかし長い人生何があるかわからない。私には3人の子供がいる。1人くらいは結婚するかもしれない。そうしたらまた新郎の父として、あるいは新婦の父としてかスピーチをしなければならなくなる。子供達が結婚しなくても、スピーチの依頼なんて地震と一緒。自分の身に今後も起きないとは限らない。備えておくことは重要だ。私はスピーチ教室を再び探し始める。

そして見つけたのが『トーストマスターズ』

この団体は1924年アメリカで誕生した非営利団体。全世界143か国で35万人以上、日本でも4000人以上の会員、約200のクラブ(教室)を保有するスピーチ界の虎の穴。私が所属する都内のクラブは会員が約20名所属している。このクラブは隔週金曜日に会員が集う例会を催している。例会は会員が実際にスピーチをしながら、学ぶ場だ。例会は3部構成となっている。まずはテーブルトピックス。これは、当日に発表されるテーマを元にあてられた人が即興でスピーチをするという内容。スピーチの即興性を鍛えられる。次に準備スピーチの部。これはあらかじめスピーチを準備して、その場で発表するというもの。テーマは自由。第三部は準備スピーチの論評。準備スピーチに関して論評者が準備スピーチの良かった点、悪かった点を論評するというもの。例会最後には毎回会員の投票でベストテーブルトピックス、ベストスピーカー、ベスト論表者が決められる。その他に「えーっと」や「あのー」はスピーチを聞きづらくするという事で「えーっと」や「あのー」という言葉をスピーチ中に何回いったかを数える「えーっと」カウンターという係がいる。またスピーチには制限時間があり、制限時間を測るタイムキーパーの係もいて客観的にスピーチの出来栄えを検証する仕組みになっている。

私も入会して早1年。しかし未だベストスピーカーを受賞できていない。スピーチは希望者が多いため常にできるわけではないが、今回私に通算5度目のチャンスが巡ってきた。私は今度こそベストスピーカーになるべくスピーチの案を練り、練習を重ねた。

例会当日。スピーカーは私を含めて3名がエントリー。
最初のスピーカーは当クラブの副会長の山本さん。安定感抜群のベテランだ。
2番手のスピーカーは私。
3番手のスピーカーは清水さん。トーストマスターズ歴30年のレジェンドだ。
このご時世、例会参加者は会場参加と自宅からのリモート参加のどちらかを選択。私と山本さんは会場から、清水さんはZoomによるリモート参加を選択した。

1番手スピーカーは山本さん。
タイトルは「走ることについて話すとき」 スピーチ直前、山本さんは着ていたスーツをさっと脱ぎだし、Tシャツ、短パンというランニング姿に早変わり。まずは衣装でスピーチ前に聴衆を惹きつける演出。これには聴衆から「おー」という歓声があがる。次に山本さんはスピーチのタイトルと同名の村上春樹の本を手に持ち、スピーチをスタート。愛読書からスタートするこの手法は今日私が行おうとしているものと一緒。先にやられてしまうとは。その後、山本さんはマラソンの魅力を存分に聴衆に伝えスピーチは終了。敵ながらあっぱれな内容だ。ただスピーチ中に「えーっと」や「あのー」等の言葉が多く、少し聞き取りづらかったのはマイナスポイントか。

2番手スピーカーは私。
テーマは「私のメンター」だ。
スピーチを始める前、スー ハーっと深呼吸。そして、スピーチ開始だ。
「メンターとは灯台です。灯台があって初めて、自分という船が人生という見通しが効かない荒波の中、無事目的地に着く事ができるのです。私の灯台はこの方野村克也さんです」と野村克也の本を片手に示す。
さらに「これは山本さんの真似では決してないですよ」と山本さんのスピーチを受けて、自分のスピーチにつなげる。このくだりで、聴衆から笑いをとり、上々の立ち上がりだ。笑いがとれた事で緊張もほぐれる。その後、営業新人時代の挫折を救ってくれた野村さんの言葉に続け、最後に
「是非皆さんも良きメンターに見つけ、その光に導かれ人生という荒波を乗り越えていこうではありませんか!」
とスピーチを締めくくる。会心の出来だ。全体的には山本さんより良かったかもしれない、とほくそ笑んだ。

三番手スピーカーは清水さん。
テーマは「私の初恋時代」だ。清水さんのスピーチは
「皆さん、カルピスは初恋の味、って知っていますか?」でスタート。
この言葉は若い聴衆からは「そのような言葉があったのか!」、ミドル世代からは「懐かしい」の声。レジェンド清水さんならではの幅広い年齢層を惹きつける掴みだ。その後激動の時代背景を巧に入れながら清水さんの初恋はドラマチックに展開し終了。さすがレジェンド。内容では完敗だ。あえてつけ入る隙があるとするなら、リモート参加のせいかいつもの清水さんの迫力あるボディーランゲージが影を潜めていた点くらいか。
全てのスピーチが終わり、まずはスピーチではマイナスポイントとなる「えーっと」を何回いったかを「えーっと」カウンターが報告。
「山本さん 7回、和田さん 6回、清水さん 0回」
僅差ではあったが私は「えーっと」では山本さんを上回った。しかしやはり清水さんはノーミス。さすが清水さん。
ベストは尽くした。スピーチの出来も今まででの中で一番良かった。しかし、悔しいけれど清水さんは「えーっと」でもノーミス。スピーチの内容では清水さんがよかったように思う。受賞はやはり清水さんか。今回は相手が悪かったのだ、とまだ投票結果もでていないのに、自分が選ばれなかった言い訳するのはいつもの悪い癖だ。でもやっぱりここまで努力してやってきたのだ。嘘でもよい。奇跡よ、起きてくれ! というのが素直な気持ち。そんなこんなで頭はぐちゃぐちゃ、お腹はキリキリ痛んだ。

いよいよ投票結果が集計担当から司会者に渡された。高鳴る鼓動。
司会者は
「今夜のベストスピーカーは、椎名さんです!」
と高らかに宣言した。
宣言の後、司会者から手書きで私の名前が書かれた、はがき大の賞状を頂く。やった! という受賞の喜びと、今までの緊張が解け、ほっとした感情で一瞬泣きそうになる私。こんな事で泣いちゃいけないと必死に平静を装う。しかし「努力は最後には報われるのだ」と小学校の担任が言っていた事を思い出し、やっぱり泣けてきた。

大学の卒業証書なんかはどこにしまったかわからない私だがベストスピーカーの賞状は書斎の机の中に大事しまっている。受賞して以来、私はすっかりスピーチにはハマってしまった。早くまた誰か結婚しないか。そして私にスピーチを頼みにこないか、ひそかに心待ちにしながら、次の例会に備えている。

スピーチなんてやるんじゃなかった。面白すぎてやめられない。

自分にとって面白いとは何か。
それは未知のものと出会う事。
もし部下の東野の乾杯のスピーチを頼まれなかったら、スピーチとは出会わなかった。
一時は失敗して挫けて辞めそうになったが、スピーチに出会えて今では感謝。


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