見出し画像

全ての感情を言葉に置き換えられるわけではない。

先日、日曜にやっていたザ・ノンフィクションという番組を見てしまった。
予定のない日曜日の昼間になんとなくテレビをつけていると、定期的に出会ってしまう番組だ。

毎回なかなか生々しい人間物語を扱うのだが、今回のテーマは漂流家族とかいうものだった。
登場人物はバツイチ子持ち(2名)の女性と再婚相手の男性、その二人の間に生まれ子供達。家族8人の物語だった。

劇中様々なドラマがあるのだが、特にフィーチャーされていたのが連れ子の長女と長男だった。
長女は高校を中退し、長男は引きこもり気味。家族内ではそれなりにありえる問題だと思って見ていたが、その中で気になるシーンがあった。
様々な葛藤や問題を乗り越えた長女が就職し契約社員として働きはじめ、その影響を受けた引きこもりがちだった長男がアルバイトを始める。という成長シーンでの彼らのコメントだ。

「仕事どう?」というディレクターからの質問に対し、二人とも「楽しいです」と答えたのだ。私はここに違和感を持った。なぜなら、二人は決して楽しんでいるように見えなかったし、正しい感情を伝える努力を放棄しているように見えたからだ。とりあえず答えたような感じだった。

もしかしたら本人たちにとっては「楽しい」という言葉が今の心情を表すうえで適切な言葉だったかもしれないが、そうであれば僕の認識とは少し違う。
みんな「楽しい」という言葉はどういう時に使っているのだろう。
個人的にはその言葉を使う楽しい瞬間なんて滅多に出会えない。
スポーツをしたり、ジェットコースターに乗っている時はなかなか楽しいが、そんな頻繁には訪れない。
(もしかしたら感情が欠落したすごく残念な人間なのか)

言葉にするということは、人間同士が社会で共存していくうえでとても大切な行為である。
だが、感情をうまく表す言葉が見つからないとき、すぐに適当な言葉で代替せず、一度その状況を受け入れ、そのもやもやしている状況を相手に伝えたってけして悪くない。

誰しもが言葉にできない感情を持ち合わせてるハズだから。

#言葉 #感情 #表現

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?