偶像化された父の思い出

私が9歳の時に父が事故死した。
思春期前に亡くなった大好きな父には反抗した思い出もない。
なぜ、父はあんなに優しかったのだろうと問い返さずにはいられない思い出ばかり。疑問を考え続ける自分の性格から一段とそれを何度も考えてきた。


私の一番古い記憶となる原体験も父との思いでだ。
私が3歳のとき、スーパーカブのカゴかハンドルに抱きかかえるようにして、父は私を八王子市民プールに連れて行ってくれた。

大人用の大プールに私を入れると、父は監視員に注意された。この真面目でルールを良く守りそうな父がプールのルールを破っていることにびっくりした。でもその記憶は多分6歳くらいの時のものだ。

3歳の時のことで覚えているのは、プール帰りのスーバーカブのかごの中でのこと。プールではしゃいで疲れた自分は眠くてしょうがない。バイクで風を受けることはたまらなく気持ちよく、その感じを味わっていたい。眠りたくない。でも眠くてしょうがない。意識が薄れていく。大好きな父といるこの瞬間を味わっていたい。眠りたくない。でも眠くてしょうがない。意識が薄れていく。

なぜ、こんなにまで、このバイクと風の気持ちよさを、父と一緒にいられる嬉しさを、起きたまま感じていたいのに、僕は眠くなってしまうのだろ。僕はなぜそれを我慢できないのだろう。

僕には、どうしても起きていたい意志と、どうしても眠くてしょうがない本能がある。その葛藤から、自分の状態を客観的に観察する自分が誕生した。僕の意識はその瞬間から始まっている。

父は、忙しい合間をぬって、夏には10回そのプールに私を連れて行ってくれた。不思議なくらい、僕の泳ぎをほめてくれた。芝居がかったほどに。

「マサト あの人をマサトならクロールで抜けるぞ」バシャバシャ 「すごいなあマサト、こんな小さな子供なのに大人より早く泳げるなあ」 そんな感じだった。僕はよくわからないまま得意満面だった。大好きな父に褒められたことがなにより嬉しく、弱気な自分にも得意なものがあることも嬉しかった。

父は、水泳と鉄棒が得意で、公園の鉄棒にも連れていかれた。僕はクラスの男子でただ一人逆上がりができないダサい子供で、いくら父に熱心に教えてもらっても、全くダメだった。それでも父は全くそんな私を叱らなかった。

なぜ、父はあんなに優しかったのだろう。私が9歳で自分が死ぬとまるで知っていたかのように僕にひたすら優しく接し続けてくれた。それは不思議でしょうがないことだった。父が死んだあと何度もそれが不思議で思い出す。

僕の水泳は当時立ち上がったばかりのスイミングクラブに通っている子と何とか競えるレベルに過ぎなかった。父は僕に水泳好きになって水泳を楽しみ続けられるようになってもらいたかったのではないかと思う。自分が得意で好きだった水泳を息子に伝えたく、それにはまずなにより水泳を好きになってもらいたかった。だからいちいち芝居を打ってまで僕をほめたんだ。

人生は9歳以降の方が色々なことが起きる。僕は何度も溺れそうになってきた。そのたびに、あの父なら「マサト、すごい泳ぎだ!よくやっているよ」とウソでも本気のようにそう言って僕を励ましてくれていると信じられた。目に浮かんで声まで聞こえた。そのたびにそれを思い出せて乗り越えてこられた。

あまりにつらい時はその父すら思い出せなかったこともある。それは僕にとっては神を思い出せない信者のような危機だった。最悪期を脱すると、また父を思い出せるようになって、心は回復してきた。

僕は、宗教を持たないが、9歳までしか記憶のない父がその代わりになってきた。父に褒められるような行動か否か。それが自分の行動の判断基準になってきた。

でもあの父なら、僕がどんなにずっこけているときでも、よくやっていると励ましてくれていることだろう。そんな存在が自分にあったことを思い出すたび涙してしまうほど感謝している。
客観的にみれば自分の中で偶像化してしまった父なのだとしても。
私は父よりもう18年も長く生きている。良い父だった。ありがとう心の糧になってくれて。

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