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エレクトラ和音

来月12日と14日、東京交響楽団でジョナサン・ノット指揮リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」が演奏会形式で上演される。

昨年のサロメに続く公演で期待も高まっているようだ。なんと言っても「エレクトラ」は「激ムズ!」で、生での上演を行うのが非常に困難な作品のひとつなのだ。だから「エレクトラ」を観ることはオペラファンにとって貴重な機会となる。

「サロメ」は同じく難しい作品だが、よりポピュラーであり、今年も新国立劇場と札幌での舞台上演があるし、演奏会形式公演もある。

「サロメ」と「エレクトラ」の難易度の差は何か?まず「エレクトラ」には強靭な声楽テクニックと表現力を兼ね備えたタイトルロールが必要だ。ほぼ全部に出ずっぱりで、これでもか!と歌う箇所が用意されている。妹クリソテミス、母クリテムネストラ、弟オレストとの対話その全てに参加し、長大なモノローグもある。千変万化の表情を出せる演技力も必要だし、踊りもある!「サロメ」も一種異常な役だが、さらにその上をいっているとんでもない役なんである。

これまた異常なエレクトラの母親クリテムネストラを歌える性格表現に長けた歌手が必要だ。クリソテミスは普通の女性だが、馬力と表現力は必要。オレストの印象的なバス役も大事だ。サロメに比べて、よりキャスティングが難しい。

加えてオーケストラが難しい!サロメでも充分難しいのだが、私的感覚でその3倍は難しい!バカみたいに巨大な編成で、クラリネットは8人だし、ワーグナーチューバ4本出てくるし!当時のシュトラウスが書けるすべてのオーケストレーションの技術を詰め込んで書いたスコアなのだ。

私は新国立劇場2004年の公演に参加して、副指揮とプロンプターを務めたのだが、その時のオーケストラ練習では弦楽器の分奏があった。普通プロのオーケストラで「弦分奏」などはやらないものだが、この作品について言えば分奏には絶大な効果があった。これは作品を熟知していたマエストロウルフ・シルマーの提案によるものだった。当時のキャストスタッフはこんな感じだった。↓

例えば、「オレストが死んだ!」と叫びながらクリソテミスが入ってくる箇所はこんなスコアである。

なんだか音がいっぱいあって複雑そうに見えるだろう。
その通り!複雑なんである。テンポも四分音符176という超速である。ただ全員で練習するより、弦分奏で各パートのディテールを確認してみんなが仕組みをわかって弾くと、よりクリアなアンサンブルが可能になったのだ。「エレクトラ」という作品にはこのようなオケが複雑な箇所が山のようにあり、それが演奏の難易度を上げているのである。

ちなみに!この作品の弦楽器の書法は一風変わっている。上記に見る通り、通常第1と第2に分かれるヴァイオリンは3部に分かれている。そしてヴィオラも同様に3部、チェロは2部である。24-18-12-8という人数割で通常よりヴィオラに比重が置かれているのがわかるだろう。しかも!第1ヴィオラの6人はエレクトラとオレストの再会の場面からヴァイオリンに持ち変えるのだ。(最後の場面にもう一度持ち替えがありそのままヴァイオリンで終わる)

上の段第1ヴィオラに"muta in Ⅳ.Violinen"とある。下の段からはヴァイオリンが4部、ヴィオラが2部となる。人数は16-14-12-12-8となる。

というように歌手、オーケストラ、どちらの面から見ても「エレクトラ」の上演はとても大変なのである。「エレクトラ」は実際、構成の緊密さと恐るべき昂揚力の点で「サロメ」以上の作品になった、とシュトラウス自身が述べているほどである。そしてこの両作において、和声や心理的対位法(クリテムネストラの夢の部分)、今日の聴衆の理解力といったものの限界まで達した、とも語っている。

リヒャルト・シュトラウス研究家広瀬大介さんによる「約3分でわかるエレクトラ」シリーズは作品を理解するのに大変役に立つ。これを見ておくだけで「エレクトラ」が少しでも近い存在になることだろう。

この動画Vol.3の中でも語られているが、「エレクトラ」には特定のライトモティーフは多くは与えられていない。しかし自我を捨てた彼女の強い復讐心を現す和音として「エレクトラ和音」と呼ばれる独特な和音が頻繁に聞こえてくる。ホ長調と変ニ長調を同時に鳴らした複調の和音、下2音は完全5度で鳴らされその上に変ニ長調の主和音が乗っかる形である。それぞれの和音は綺麗な響きなのだが、一緒に鳴らすと緊張感たっぷりのどぎつい響きになるのだ。

↑ここで音を聞くことができる。

エレクトラ登場の場面には、この和音が印象的に鳴り響く。

エレクトラの第1声、最初の和音が「エレクトラ和音」

しかしエレクトラ登場を待たずしても開幕の侍女たちの場面でこの和音は頻発される。例えば以下の第3の侍女の箇所はそのほぼ全てが「エレクトラ和音」である。2段目はその並行進行が見られる。

私見では、この和音の響きに馴染めたら「エレクトラ」を楽しめる体になったと言えるのでは、と思っている。ぜひ公演を観に行く前には音源でこの音楽に体を慣らしてほしいと願っている。

ちなみにこの和音自体は「サロメ」でも用いられている。サロメがヨハナーンと対峙し「お前のカラダは忌まわしい」と罵る場面だ。配置は違うが低音のf#の上にE♭7の和音が乗っかっている。構成音はエレクトラ和音と同じだ。

最初の和音はエレクトラ和音の構成音と一緒だ

「サロメ」の音楽については、また語ろうと思う。


✳︎✳︎ 上級者向け情報:上記Elektra chordのwikiページのForte No.は5-32となっているが、プライムフォームが[0 1 4 6 9]となるため、反転形も表現した5-32Bと見た方が良い。5-32Bのプライムフォームは[0 3 5 8 9]だ。
以下↓のリストにも5-32BにElektra chordと表記がある)


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