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Tristan und Isolde 徒然⑥ 前奏曲冒頭のヴァリエーション その2


前奏曲冒頭の音楽のヴァリエーションを探るシリーズ2回目は、第2幕第3場マルケ王の長い嘆きが終わったあとの場面を取り上げます。

まずは前奏曲冒頭の楽譜を再掲します。3つのセクションに分けています。

そして今日考察する場面はこれ。

マルケ「きわめがたくも深い謎に満ちたそのわけを、いったい誰が教えてくれるのだ?」
トリスタン (同情するようにマルケ王を見上げて) 「おお陛下、それはお話できません。お尋ねのことをお聞きになることはできません。」
下の段から「まどろみの動機」

トリスタンの裏切りを滔々と語ったマルケ王、その最後の単語"kund"の小節からセクション1の音楽が始まります。しかし「憧れの動機」を演奏する楽器はチェロではなくイングリッシュホルンのソロです。イングリッシュホルンと言えば!3幕でトリスタンの運命体である「嘆きの調べ」を吹く楽器です。チェロではなくイングリッシュホルンであることには大きな意味がありそうですね。

マルケの歌い終わり”Wer macht der Welt ihn kund?”を導く和音が
G#o(ソ#レファシ) で、マルケの最終音が「ラ」で終わりイングリッシュホルンが「ラファーー」と吹くのですから d-moll (ニ短調)を感じませんか?G#oがd-mollのドッペルドミナントになるわけです。前奏曲冒頭は「もしかしたらa-mollかな?」と思いますが、ここでは明らかにd-moll を感じるのです。「あ、このメロディーってニ短調だったのか!」と思ってもいいわけです。

ま、そう思ったとしてもトリスタン和音Føが鳴るのでd-moll の意識はどこかに吹っ飛びます。そうです!トリスタン和音って調性感を曖昧にする効果は絶大です。FøからE₇に進むのは前奏曲と同様、E₇の小節でトリスタンは"O König"と歌い始めます。しかし次にgis moll (嬰ト短調)主和音の第2転回形(レ#ソ#レ#シ)に進むのは新規軸。E₇をgis mollのドッペルドミナントとして見たわけですから、マルケの最後から同じような進行が続くんです。Føから低音はf→e→d#と半音階下降進行します。

「あれ?第2転回形といえど三和音に落ち着いて解決したっぽいんじゃない?トリスタン和音って最後の最後にしか解決しないって聞いたけど。」
そう思われた方、ご安心ください!続くトリスタンの歌唱声部(O König)、は gis-moll で歌い始めますが歌い切りの音(sagen の "gen")は期待される「レ#」ではなく「レ」の音です。見事に調性外の音ですし跳躍も不可思議な増4度です。トリスタンがハシゴを外してくれるので解決には至らないわけです。またトリスタンの歌唱パートは4/8という拍子で書かれており6/8で演奏するオーケストラと拮抗しています。

続いてセクション2、やはりイングリッシュホルンでの入声です。進行は前奏曲と同じくA♭øからG₇ですが、G₇のところでトリスタンが歌い始めます。 "und was du frägst"「お尋ねのことは」の音形が上昇するのに合わせるかのようにオーケストラはクレッシェンドします。これも新しい。そしてh-moll(ロ短調) 主和音の第2転回形に進むのです。セクション1と同じくG₇はh-mollのドッペルドミナントです。やはりトリスタンの歌い切りは期待される「ファ#」ではなく「ファ」にいく増4度跳躍により裏切られます。

セクション3の音楽が続きます。3拍目からの入声は前奏曲と一緒です。また長6度上がり半音2つ分下降するパターンは一緒ですが、音価はどうなっているでしょうか?

4,5小節目の音の長さを確認してみよう

5→3→1 となっていますね。
(追記:新全集版のスコアは5→2→2となっています。)

ちなみに前奏曲は 4→3→2

1幕5場は 6→4→2

です。こんな細かいとこまでワーグナーは変化球を投げてきます。トリスタンを暗譜したい人はここをしっかり覚えとくと良いですよ!!

トリスタン和音Døから始まる音形の1オクターブ上での繰り返しはなく、フェルマータもありません。「ミ#ファ#ーー」の半音上昇の小節が2回続きます。次に期待される属9和音は強奏されず、木管楽器の柔らかい響き(mf)で演奏されます。メロディーラインは「ミ#ファ#ーーソソ#シーー」と進みますが「シ」の音でFの和音には進まずE₇の和声のまま滞留します。そのまま弦楽器に引き継がれると「まどろみの動機」が再現され、トリスタンの言葉はイゾルデに向かっていくのです。E₇→A♭ という進行もやはり!E₇をドッペルドミナントと見た進行です。セクション1ではgis-moll の第2転回形に進みましたが、ここはAs-dur の第2転回形にいくわけです。短調と長調の違いですね。

このように和声を文字にするとややこしく思うかもしれませんが、前奏曲と違う進行をしてるんだ!と感じることができれば、味わい方が変わってくるでしょう。私はなんと言っても「まどろみの動機」への繋ぎ方が最高だなあと思います。その後の2人のやりとりは、簡単に言えば
トリスタン「僕についてくるかい?」
イゾルデ「ええ、ついていくわ」
ということなんですが、これを長々とやるのがワーグナーらしく私の大好きなポイントです。そして音楽も2幕の中でも最高の部類なんですから。

次回は3幕に登場するヴァリエーションをご紹介します。


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