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Tristan und Isolde 徒然⑦ 前奏曲冒頭のヴァリエーション その3

前奏曲冒頭の音楽のヴァリエーションを探るシリーズ3回目は、第3幕に現れるシーンから。いつも通り前奏曲の楽譜を再掲します。

そして今回俎上に乗せるのが第3幕のこの場面。

クルヴェナル(すすり泣く声で)「 もう死んでおしまいか? まだ生きておられるか? 呪いが殿を連れ去ったのか?」
(トリスタンの息に耳をすませる) 「おお幸い!亡くなってはいない! 動いた、生きておられる! (やさしく) なんとおだやかに唇が動くことか!」
トリスタン (ゆっくりとまた意識を取り戻して)「 船は?まだ見えないか?」
 クルヴェナル「船ですか?きっと、今日にも参ります。もう長くはかかるはずがありません。」

2幕最後、メロートの剣に自ら飛び込んだトリスタンは深手を負い気を失います。肩幅の広い屈強の男クルヴェナルによって運ばれ、小舟で故郷カレオールに連れ戻されました。その後トリスタンは意識を取り戻すものの、傷は悪化しており、クルヴェナルは治療のためイゾルデに使いを送ったことをトリスタンに告げます。それを聞いたトリスタンは興奮し、幻覚の中で近づく船を見ます。実際には船がまだ現れないことを知ったのち、トリスタンはイングリッシュホルンによる「嘆きの調べ」の中に自身の運命を見出します。その後イゾルデと飲んだ薬に話が進むと、以下のような自暴自棄のような言葉を吐き倒れこんでしまいます。

『おれをこの責め苦のなすがままにさせたあの酒は、俺が自分で...自分で俺が作ってしまったんだ! 父の苦しみから、母の嘆きから、愛の涙から、昔も今もずっと... 笑いと涙から、よろこびと傷から、おれはあの酒の毒を作ったんだ! 俺が作り、俺に流れ込み、喜びをすすりながら俺があおったあの酒... 呪われよ、恐ろしい酒! 呪われよ、それを作った者も!』

クルヴェナルは「およそ愛の受けうる限りの感謝だ」とトリスタンの自身に対する最大限の気持ちを表明します。その後に続くのが譜例の場面になります。

今回は前奏曲におけるチェロによる「憧れの動機」の導入は聞かれません。クルヴェナルの最後の言葉"gewinnt"は h-moll に解決せずにセクション1のトリスタン和音 Fø に繋がります。トロンボーンの持続音に支えられ、心臓の鼓動のような、しかし規則的ではないリズムをクラリネット他が刻みます。まさに「生きているのか死んだのかわからない」重苦しい響きです。

そして1オクターブ上で Fø から和音が進行していくのですが、前奏曲のFø → E₇ ではなく Fø → B♭₇(₉) に進みます。

メロディーはよく見ると半音階進行ではありません。「ラ♭」から全音上がった「シ♭」を通り半音2つ分上昇し「ド」の音まで達します。結果的に長調の属9和音に行くわけです。この和音 Es-dur(変ホ長調) の属和音として捉えることができますが、よく見ると Fø もEs -dur の準Ⅱ₇と見ることができるでしょう。するとここの進行はポピュラー音楽でいうところの
『ツーファイブ』です。説明をお借りしました。

普通の音楽ではトニックに解決しますが、ここではⅡ→Ⅴの進行のみ注目します。前奏曲の進行は Fø → E₇ でしたよね。

前奏曲の開始

E₇ と B♭₇ はどちらもドミナントコードとしての扱いですから、互いに『裏コード』になるんです。これも説明をお借りします。

つまりこの3幕の用法がいわば「普通の進行」で、前奏曲はその『裏コード』を使った進行だ、とも言えるわけです。事実この3幕の進行は前奏曲でのどぎつさは消え情愛に溢れた進行に感じますよね。

ではセクション2にいきます。

G#ø → C#₇(₉)という「ツーファイブ」です。セクション1と同じですね。前奏曲は G#ø → G₇ でしたから G₇が『裏コード』です。
C#₇(₉)は意識を取り戻したトリスタンが歌う小節ですが、伴奏している管楽器の刻みはsubito ppで優しく響きます。この場面でのメロディーの半音階は本当の意味での「憧れ」を私は感じます。C#₇(₉)の後はAo/C#→C#₇(₉) と進みます。

続いてセクション3

4小節目からセクション3、オーボエのメロディーの入声は前2回に比べ1小節早まる

ここはDø → F#₇(₉)という意外な進行です。ツーファイブは低音が完全5度下降するのですがここは減5度下降。メロディーは「レ」から4つ半音上昇して「ファ#」に達するのは前奏曲と同じですが、到達したハーモニーが違いますね。(前奏曲のセクション3は Dø → B₇ でした。)ここはそれに留まらずどんどん半音で上がっていき、憧れが爆発💥していきます。ターンを経由してC#まで達します!!

クルヴェナルから、今日にも船がやってくる、と聞き安心したトリスタンの心情を表すように、意外な、しかし情愛に満ちた進行を生んだのでしょう。

さて今回はこれで終わり。ちょっとややこしいですが、音を聴いてみるととっても自然な流れであることを実感できると思います。ここがむしろ本来のトリスタン和音の進行で、前奏曲は裏コードを使用し唐突な印象を生んでいるのだ、と考えても良いのです。前奏曲の楽譜だけをずっと見つめているだけだとこのことには気付けないのです。

さて次回は「薬」に言及される箇所に出てくるヴァリエーションについて考えてみます。1幕3場のブランゲーネとイゾルデ、1幕4場のイゾルデ、3幕3場ブランゲーネの3箇所があります。その変化形もあったりして、ややこしや〜ですが、それがまた面白いんですよ!

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