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格差の方程式:子ども食堂って胡散臭い

貧困な子供って結局は「貧困な親」とセットになっている。子供ではなく、親を救え。子どもたちも、もう少しして子供でなくなれば、就職も行き場もなく、社会の中でも爪弾きにされる。

教育支援というのも嘘だ、すでに会社は個人の才能で伸びる場ではない。大学の教員の給料を税金からでなくなったからタカろうとしている。

公平な教育、不公平な就職試験。

公務員試験は平等でも、公務員になってからの出世は親が高級官僚ならばあっという間。コネがなければ使い潰される。貧困の連鎖は日本でも存在する。親が会社の部長や経営者なら就職試験もフリーパス。

家賃収入があり一生夏休みのクレイジーリッチ、自分で給料を決める連中、もちろん権利で守られた世界の所有者、は合法的に私有財産を守られ。年金など必要はない。

どんなに能力があっても、『時給で人生を売るほかない「奴隷」:パートタイムスレイブ』、自由は有るがその自由とやらも自家用ジェットを買ったり、可愛いアイドルを妾にしたり出来る自由ではない。断舎離して、リースやローン、家賃で消えていく時給での借り物人生である。

財産権も人権も保証されるが、なりたいものに誰でもなれるし、そこには飢えて死ぬ権利も、リストカットを繰り替えっして「過食・拒食・依存」で花飾られて人生も保証される。

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企業のあり方

大企業は、生産を海外に移しリストラに励み、経営者は節税に精を出す。

まさに社会奉仕は「自分(=企業)が原因の社会の歪み」に対しての罪悪感を帳消しにする。

ボランティアという美名で貧乏人を貧乏人のために働かせる。実際に弁当作ったりするヒトは最低のコストで使い、子供を支援していると企業は金を出す。

何というマジック。

僕は赤い羽根募金も、あらゆる募金を嫌悪する。24時間TVなどもってのほかだ。コマーシャルで商品売る会社がリストラや時給節約して働いている社員を苦しめる。そんな庶民がマラソンするインチキ芸人(高給もらってボランティア)見て感動もらったと大喜びだ。

そんな安心感が、社会の問題をより強固にするのだ。どうして何も作らないタレントがポンと何億ものタワマン買える?その金の出所はどこだね。シャーロックは言った。犯罪捜査は「金を追え」だ。

表面的に苦しんでいる人を助けた所で、その本質が変わらねば貧困は連鎖する。やがて自分もやられる。

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子ども食堂を調べたが、何よりも、ホームページが立派すぎる(笑)。

ホームページを見れば、笑顔や所狭しと並ぶ弁当にスポンサーしている企業のロゴが並ぶ。弁当は仕入れ40%が標準だから、一つ200円程度、おまけに作らせる連中はボランティア。弁当一つで社会貢献とはご立派なものだ。東大のお偉い先生の考えそうなことである。食い物屋のブランディングとしては良く出来ている。

ボランティアを標榜するならば、組織の役員やホームページを作る人間はせいぜい時給700円で働くべきであろう。決してそうではない、策士は東京大学のお偉い先生である。


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本当の問題は親どうしの足の引っ張りあい

皆さんは、自分お属する社会の層でない方と友達だろうか?会社の社員なら、水商売のシングルマザーと友達だろうか。僕はブルーカラーの時代ソフト開発の時代の友人とは疎遠になった。

共働きで親は働き、食べるものもないような子供を自分の家に招き御飯を食べさせてあげたことがあるだろうか?

そもそも「そういう親」と友達だろうか?

僕は、娘が小さい時いじめられて、助けてくれた友だちを呼んで一緒に食事をした。もちろん僕が作った食事だ。その子に言われたことを今でも思い出す。僕の家庭が羨ましいというのだ、娘のことを美味しいもの作ってもらえて幸せだねと言っていた。今は地元の小さな企業で苦労しているという。ブルーカラーの親御さんと一緒に飲んだことが有る。面白がられた。ソフト会社の経営者などはじめて話したという。

高校受験があり、大学受験がある。他人を蹴落としていい大学に入っていい就職をする。それは、上に気に入られるため。

「ゆとり教育」という方向転換は、親たちが否定した。良い大学出ればいい職につけるというのは幻想だ。僅かな成功例を散りばめて、奴隷には自己責任だと思わせる。

何たるマジック!

50年前のことをよく考える。まだ親たちが地域でつながっていた時代である。隣近所におすそ分けをして、共に生きていた時代のことだ。

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企業の募金活動はクソである

僕は募金活動が大嫌い。労働組合の委員長時代に上部団体に行って見放された。鉄鋼労連やお偉い連中はご立派な服を着ている。それは、組合員が手取り15万円の給料から数百円を出している金でできている。

ビル・ゲイツなんて最低だ。貧乏人に金恵んで節税したり、福祉財団に縁者郎党を雇って高級払うくらいならウインドウズをタダにしろ。そうすれば少しは企業のコストが人に向く。LinuxやPrelは出来ていることだ。

福祉活動はセレブの社交の場である。外から鍵閉めてスズメバチ放してやりたい。おまえたちのセレブな生活は、労働者の時給を削って、外国の工場で自殺させて手に入れたものではないのか。

しかし、問題は僕もセレブになりたいということだ。

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僕は今、食事を鍵にした小さなレベルのコミュニティを夢見ている。

僕が小さい頃、母の友人たちは、近くの高校(廃校になって市のセンターとして一時期使われていた)の家庭科室を使い年取った老人に食事を持っていっていた。夫婦で老人が暮らして子供が同居しないという生活のパターンがはじめて生まれた頃である。

僕は1980年代が三世代同居の終焉だったと思っている。農家や商店と言った生産・人生の場所と住居が一体であった時代から、サラリーマン(パートタイムスレイブ)と所有者に分離した時期である。まだ食事がお店で売っていなかったからこういう食事作りのボランティアが自然発生したのだろうと思う。やがて、インスタント食品やらお店でおかずが売られ弁当が商売としてなりたって行った。社会の変化と生活の変化はシンクロする。学者先生には見えないものだ。いま「子ども食堂」というお粗末な仕組みが注目されるには意味がある。

父と母に食事を作り、最後の日々を過ごした。両隣の家におでんあんんか造った時におすそ分けしていたが、お返しができないから要らないと言われた。けど、近所の年寄はろくなものを食っていない。一度母の友達のおばあさんと道で会ったら、歩ける距離のお店からサバ缶を買って、これ美味しいのよと言う。ご飯を炊いて食べるのが好きだという。

もう母は亡くなっていたが、亡くなる数年前から、ご飯炊いて岩海苔の佃煮で食べていた。歳を取るとそういうものが好きになるのかなあと思っていた僕は愚かであった。隣に僕が住んでいながら、もう料理を作れなくなっていると気がつかなかったのだ。涙が出てきた。おかずを持っていってあげようかと思っても筋が通らない。

家族の延長であるお隣さんたちにご飯食べてもらいと思うこと、それこそが、共に生きるということである。

カートヴォネガットさんは「拡大家族」と言う良い言葉を見つけた。世界中の人が家族になれば良いのだという。他人は見捨てられても、家族は見してられないのだ。もしかしたら、そこに道があるのかもしれない。では、すでに失われた絆を見つけ出す方法はあるのだろうか。僕は父と母にずいぶん長く食事を作った。そして、父と母は最後まで心は狂わなかった。食事作りは、継続的に出来なければしてはならないことなのだ。

僕はあと15~20年で食事を作れなくなる。介護保険の認定は降りないであろう。施設に入る(他人の世話)のはまっぴらだ。どんなことをしてもらいたいだろうか?

父の介護の時に冷凍の老人食を2週間位頼んだことが有る。食べたが、良いものでは無かった。食事で商売(利を稼ぐ)してはいけない。

行政が入り込んではならない。「政治的に正しい食事」は私達を殺す。役所が絡むと、「食事補助」とかになって冷凍弁当屋が大喜びである。

これは僕が今取り組んでいる食事メソッドの「核」になるテーマだ。

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この記事のコメントにかいてある出来事がスタートです。下に引用します。

僕の食事コミュニティ「百年しばた」はまだ初まらない。名前決まっちまった(笑)。まだ酒も止まらない。

実は僕も、禁酒しては飲みはじめてを繰り返しています。
https://note.com/masaya59/n/n9348f3b6c438
この即時のレシピ(というか実践の記録)ページに書かれている暗号(+21日-1日+13日-2日)これは21日飲まないで一日飲んでしまい。13日飲まないで3日飲んでしまったとうことを意味します(笑)。
この3日飲んでいるのは、町内会で700万近くかけて土地を買ったことが原因です。
町内会の会館の隣の土地を買って駐車場にするというのです。
町内会ですから、そこに集まるのは歩いてこれるような連中ばかりで、車で来る必要など無いのに買うというのです。
町内会の幹部の連中がお仲間同士で金の回しっ子しているとしか見えないのですが、土地を買って駐車場を作ればそこで町内の夏まつりとかしてヒトのつながりが出来るというのです。
年金が足りなくて、65歳を過ぎても働かなければならない自営業者の僕にとっては数百円の町内会費も幹部のお仲間のために使われるなどというのはおかしいと思っているのですが、怒鳴り込みに町内会の役員会に出席しょうと思っていたらいつの間にか決まっていました。
妻ともこの件では喧嘩になり、町内会の日程も教えてもらえなかった。
怒鳴り込みに行くと行ったら、止められました。仕事が忙しくて、国体の開催市との交渉やらシステムの開発やらで死ぬか生きるかだったのです、妻も騒ぎを起こさないでくれと言うのです。
一昨日、幹部の一人が、やてきたのでどうなったか聞いたらもう買ったというではないですか。
総会で誰も反対しなかったというのです。50人も座っている所で発言など出来やしません(僕はするけどね)。
俺の金をそんなことに使うなどとはもってのほかだと怒鳴りつけて大喧嘩。夜に幹部の一人がビールもんてきました。
13日やめたのに、また飲んじまいました。
けど、3日のんで少し落ち着きました。町内会の幹部連中もも不安なのです。連れ合いが死んで独居老人となって遠くの子供は帰ってこない。
役所は当てにならない。
何とか人のつながりを作れればいいと思うから土地買って夏祭りしようというのです(今も前のド悪露を使って1日くらいしている)。
しかし、お仲間の土地買って、駐車場作った所で失われた人のつながりは戻ってこないのです。
僕は、ボランティアで頑張って焼きそばっ作ったりビール売ったりしているヒトは怒ると思う。類例は町内会のいたる所で見られます。
僕は市民運動の活動家なのです(笑)。
http://www.hcpt.jp/100/
それがわからないのでしょう。
そして僕らには、80歳になった人の不安さがわからない。
しかしいづれば億もそこに届く。
どうすれば良いのでしょうか。
僕は、65世のと気に貯金は2000万円内から、確実に年金では生活できないので、父の庭を売れば良いのでしょうか。
そんな事するくらいなら、僕は庭に穴ほって埋まり、土に戻ります(笑)。
ワクチン打ちたがっている市民の方々の本当の恐怖は熱出して家で死ぬことですからね。
https://note.com/masaya59/n/n241b3ab840f5?magazine_key=m1df5249d9d1e
しかし、何をすれば良いのか、本当の敵が見えない。
自分中にもいるから厄介です。
酒は確実に僕の身体にとって問題を起こすと思うのですが、明日首を切られるというと木にひげの心配するのは馬鹿げています(笑)。
今年も国体が中止になって、売上がなく、目も悪くなってきていてパソコンにも迎えません。
禁酒が続くというのは、人生に見込みがある証拠かもしれないですね。
もう、-2-3日飲んで、考えて、なにかできるかなと思えるようならやめるでしょう。
人生は短い、酒など飲んでいる暇はない。はずだから。
https://note.com/masaya59/n/n61cafd9c0b1a
https://note.com/masaya59/n/n7f7256f0e674
お互い頑張りましょう。

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#子ども食堂




厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。