見出し画像

格差の方程式:トヨタ嫌い

トヨタと言うと、日本を代表する大企業である。僕は大嫌いだ。

1980年代に「系列」、「カンバン方式」と呼ばれる製造ラインの合理化を通してコストの削減を果たして大衆車を売り出してモータリゼーションを主導して行った。

しかし、「系列やカンバン」というのは、下請けをいじめているだけの事だ。トヨタの広報のようなメディアはビスの一つまで吟味して最高の部品を選択して作り上げた自動車だなどと言う。この「吟味」とはまともに工員が暮らせないような金額で下請けに納品させているとうことだ。

インフラの整備されていない国では庶民の生活費は安くてすむ。つまり、上下水道も役人の給料も天下りを重ねる高級官僚もいないから税金や「生活の利用料:家賃、著作権」が安いのだ。そんな地域や国に工場を作ればビス一つ一つまで吟味できる。アップルが中国でiphoneを生産させて工員を自殺に追い込んだのはもう誰も話題にもしない。iphoneをそのままで部品を吟味するとどでかいビルが立つのだ。100%自分たちの発注で成り立っている会社を見捨ててもこころは傷まないのだ。サイコパスだからではない。それが普通の人間なのだ。その恩恵から逃れることはできない。それが自由主義市場なのだ。世界は大金持ちから貧困層までグラディエーションで染まっている。タリバンに来てもらいたいものだ。お、時事ネタだね。


僕は工場で働いていた。30代の頃のことだ。3年間、毎日鉄を切っていた。手取り15万円でベースアップは5000円10年働いて20万円の手取りになる。

形式的には、「独立した会社」であったが、全ての受注は「親会社」からのものであった。

本来、会社の経営とは、その商品を作る為に力を合わせた人、みんなが幸せになる事を考えていた。それが家族経営なのだ。

同時に、滅私奉公であって、自分の属している組織への忠誠は絶対であった。処罰や報奨の体系がありそれは今に続く。

画像1

家族として共に生きていたのだ。皆秒どいに貧しかったのだ。

問題は、上に金が集まりすぎてしまったことである。下が苦しんでいることを上にはわからない。

能力がないから下で時給が安くても仕方がないと思いこむのだ。生活保護が必要な人達をお荷物のように思う連中がいるが、自分の得ている富が、そういう人がいるおかげで手に入っていることがわからない。

この記事は面白い。トヨタがもうだめだとハッキリ書いている。こんな事書いて良いのだろうか?もっと高額の広告主を狙っているのだろうか?


自動運転って駄目みたいで嬉しい。自動運転はタクシーやトラックの運転などの人の仕事を奪い取って自動車会社が利益を出そうとしているのだ。しかし、認知症のおじいさんが自動運転タクニーに乗って「家に帰りたい」と言うと50年前の自分が若く家族の絆のあった時代の家に帰れたら良いのに。僕も乗ってみたい。

画像3

そして労働組合はすでに失われてしまった。一番の問題はそれを私達が望んでいたのだ。

大昔から、バンコクの労働者は団結などしたことがない。自分お得になるように人を追い落としディールしていたのだ。

重要なことは一番上手に汚く人を踏みにじる奴らが、経営者になるのだ。労働者と経営者はゆるやかなグラディエーションで繋がっているのだ。そしてそのつながる力は忖度と言い決して証拠を残さない。僕だって金が好きだ。

こういう社会はテロで滅びる他ないのかもしれない。

画像2

#自動運転  

#トヨタ  

#水素エンジン

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。