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幸運な病のレシピ 2022年1月1日〜10日

アンティパスト

何よりも大事なのは毎日「素材から生命を大事にした食事」を作ることなのだ。もちろんご飯炊いてフリカケにインスタント味噌汁でも「満腹」は同じ価値である。それに白いご飯は美味しいからなあ。

「政治的に正しい栄養学」は食事を50種類程度の「必須栄養素」で健康に永遠に生きると嘘を言う。人生100歳時代とはよく言ったものである。
それは科学的な予測ではなく、市民が「科学」に望んでいることでしか無い。「家族」という自分の未来を見せてくれる「魔法のメガネ」を失った私達は「専門家」に金を払って買おうとする。しかし、金で買えるものに碌なものはない。
人に限らず生命は全て乾燥環境に向き合うためのコロニーである。重要なのはその内側に住む「マイクロバイオーム」である。「分子栄養学」は1960年代に細胞のレベルでの「栄養」が大事なのだと提唱したが、「ヒトの身体にとって」と言う接頭辞がついていた。その意味では「ヒト」が主体の栄養学なのである。だから「腸内細菌」を下請けの様に扱うのである。

目で見た「人の一生」はその内部のマイクロバイオーが生まれ死んでいく過程の結果である。身体の内側では常に代謝されている。赤血球は毎秒120万個が破壊され作られている。皮膚は一日100gずつ表面から(垢となって)滑落する。消化器系の粘膜は常に消化されながら新たに生まれていく。

身体を統べるマイクロバイオームにとっては、身体全体の生き死になど何ら意味がないのである。しかし、身体という単位は大きな意味がある。善悪、道徳、罪、意識はどこにあるのか脳生理学は見つけてはいない。探すところを間違えているのだ。それは関係性のうちにしか無い幻なのである。

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#すき焼き  #マユのご飯 #テンゴ描き

【2022年1月10日】後15年で76歳である。おそらく免許は更新していないだろうから買い物は歩いていける範囲だ。食事作りも普通にできなくなっているだろう。母がそうだった。ご飯を炊いてフリカケにしたり、レトルトとパスタ程度になるだろう。フレッシュな野菜や左官をさばいての煮付けなどは無理だろう。せいぜいで老人向けの冷凍弁当に頼ることになるだろう。身体は徐々に壊れていく。様々な不調が起こり医者は訪問して薬を売ってくれる(ちゃんとそういうレセプト:課金ルールがある)。商品化された食事は医療キャピタリストに富をもたらす「よく効く薬」とセットで私達を少しずつ殺す。『百年のお裾分け』というのは、そんな社会の変化のうちにおいても変わらない共にいたわりあい、恙無く一生を終わりたいという私たちの心の現れなのだ。なんとか出来るだろうか。
子供は当然、離れた所で暮らす。やがてくる運命など気が付きもしない。僕は父母の最後と向き合ったから気がついた。弁当屋を始めること妻は大反対である(笑)。自分を巻き添えにするなと言う。僕の仕事はもう見込みがない。どうせ死ぬなら頑張って死にたい。僕は死ぬまでテンゴ描きだ。
マユのご飯を作り、スキャキを作り今日はおしまい。Sさんおおすそ分けは今日明日はお休みである。



#家事分担

【2022年1月10日】食洗機は繰り返し中の水で洗うので一回汚れを落としてから入れないときれいにならない。我が家では「食器ゆすぎ乾燥機」と言う位置付けである。できるだけ時間を取らないで片付けたほうが良い。厨房の片付けで僕が心していることは、次の厨房仕事ができるところまでで止めるということである。
降り止まぬ雨のように汚れ物は出る。完全にキレイにしたと思ってもすぐに汚れる。お店では、きれいに片付くが、それはお店が始まりと終わりのある厨房だからである。家庭の台所はそうは行かない。常になにか作る続けられるのである。身体の内側では常に代謝されている。赤血球は毎秒120万個が破壊され作られている。皮膚は一日100gずつ表面から(垢となって)滑落する。消化器系の粘膜は常に消化されながら新たに生まれていく。
後片付けは過酷な仕事である。キレイにして当たり前、汚れていたりしたらバカアホウ扱いである。僕も家族の満足するところまで後片付けができるようになるのに時間がかかった。
そして家事は分担しないことである。誰かとともに生きていたとしても、いつか一人で人生に向き合わねばならない。人は一人で死ぬのだから。食事は自分おために作るのである。共に生きる家族を思いやれば、自然に出来る。買ってきたものを買うというのは楽かもしれないが、金で買えるものにろくなものはない。誰かが利益を出すために最低の品質のものを安い時給で作らせるのが商品である。遠いところにいるキャピタリストの富の根源であり、私たちの死ぬまでの10年の災厄の生まれるところなのだ。



#オデン #甘いエビチリ #豚平焼き #鮭 #身欠きにしん  

【2022年1月9日】Sさんには驚いた。エビチリの味の感想を聞いたら甘みが強いためにエビの味が殺されていると言うではないか。86歳でよく言葉を見つける。いつもなら「トマトケチャップとオイスターソースに豆板醤」なのだが、「ケチャップとソース」でまとめてみたのだ。甘くて気持ちが悪い(笑)。次にリベンジである。
オデンは良好であった。鮭は大丈夫、身欠きにしんは豆と合わせたので味の出し方が難しい。ニシンだけで煮ればよかった。豚平焼きは得意だ、昔随分練習した。粉を振っておいて、弱火で脂をあぶり出して、最後に少し蒸すと良い。脂身の多い豚肉を使って卵を包むように焼いてソースにケチャップである。
Sさん今日は手の調子がいいという、グーパーをしても痛くないと言ってやってくれた。サロンパスもいらないと言っている。浮腫も消えてニコニコしておる。僕の食事のおかげだと感謝してくれるのはて嬉しい。元気になる姿を見ると、いずれ分かれる日が来ることを感じる。介護施設職員の方のメンタリティを考えると複雑な心境になる。父と最後の一ヶ月を過ごしたことを思い出す。毎日食事を持っていくたびに複雑な気持ちになる。2日ほどデイサービスにお泊まりで、ご飯のサービスはお休みである。

#ラグー

【2022年1月8日】「マカロニ」と言うイタリア映画のことを思い出して、ラグーを作ることにした。スペアリブを買っていたので、トマト缶で2時間煮込んだ。なかなか美味しいのである。ジャガイモを入れて脂を浮かないようにした。ペンネを使った。家族というシェルターが失われた時代のアメリカとまだ残っていたイタリアのカルチャーショックの物語である。とは言ってもすでに全て失われた物語でもある。

色々と考えること仕切りである。


#イワシ煮付 #ワカサギ唐揚げ #青梗菜クリーム #鳥のレバー

【2022年1月7日】年始の挨拶に回り、打ち合わせして、食事作りである。昼に魚のいいえスーパーに行ったのでワカサギの天ぷらを作った。米油を使い始めた。カラッと揚がる気がする。鳥のレバーは湯に通して霜降りにしてから煮付けてみた。甘みが入ったほうが美味いだろうか?また練習してみよう。青梗菜のクリームは鶏肉を霜降りにしてから入れて、牛乳して片栗でとろみを付けた。僕は大好きである。
タクワンが漬かり始めている。
今年も始まっったのだが、いつものように先が見えない。そう考えると先って見えたことがないのかもしれない。とは言っても「百年のお裾分け」は進んでいく。今年もSさんにはお世話になる。不思議なご縁であろう。しかし、僕にも必ず来る日なのだ。その時に何を食べているだろうか?20年後を科学するのだ。


#鶏団子汁 #かぼちゃサラダ #カレイの煮つけ # #

【2022年1月6日】「百年のお裾分け」は今の時代に向き合った『コミュニテイモデル』を、公金や寄付を使わないで「自立的」に作るのが目的である。80歳になったときにまともな物を食べたいのだ。しかし、「政治的に正しい栄養学」は皿の上の食材の数を数えるが作られたプロセスは無視するのだ。だから、フードキャピタリストは工場でクタクタに煮た野菜を冷凍して「医者の笑顔の太鼓判」を押して売りつける。
一日300食365日休まず作り、配達するのが目標だ。まだマーケットがどうなるかわからない。しかし、家の近辺3ブロックの居住者を考えると、もうここで20人は独居老人(自分で食事を作れない人)になる。すでに作っていない人も多い。そして「政治的に正しい食事」は薬とセットになって老人を苦しめるが年金ATMは医者に富を授ける。頭がおよろしいお医者様は自分もその道を通るとは微塵も思わないのだ。
冷凍宅配弁当や自治体の援助、NPOの提供する食事、いずれもひどいものである。ハイエナのように、僕らの年金を狙っておる。何種類かとってみたがひどいものである。僕はそんなもので老後を迎えたくない。
しかし、いずれにしても75歳位には自分では作れなくなるし買い物もままならないだろう。その時に、僕の作った仕組みが動いてくれている良い。家族というシェルターが「食事」を記憶して作りその中で順にヒトはあの世に行っていた。新しい家族が参加して食事作りを学び、新たなノウハウをその地域の風土の中で育てていったのである。見事に消し飛んでしまいその隙間に商売人たちが群がっている。僕の食事はピンコロの臨終を迎えさせてくれる。
11時に友人が来ることになり、サンプルの弁当を作った。カレイの煮つけ、揚げ物一式、かぼちゃサラダであった。食べてもらい感想を聞く、多くの人にモニターしてもらうと思いもかけないことが分かる。
サンプル弁当のメインのおかずのブースは2つに分かれているので、小さい方の部屋には煮しめ系、大きな間仕切りにはメイン系を入れることにして言う。メイン系は「揚げ物(フライ・天ぷら)」、「焼き魚」、「洋食(ハンバーグ・生姜焼き)」「中華系(エビチリ・レバニラ)」に別れる。いずれもサラダを付ける。

#焼きそば


【2022年1月5日】焼きソバはもやしやキャベツの甘味を麺に吸い込ませて食べるのだ。炭水化物は毒ではない。身体の内側でもそうなのだが、各種脂質やタンパク質と結びついて美味しさを維持する。もやしとキャベツの水分をソバが受け止めて美味しくなる。市販の粉ソースを使うならば、水は必要ない。ヤキソバが重要なのである。もやしは蒸して水分がなくなるくらいまで水を出すことがい一番いい。肉は焦がして旨味を麺に吸わせる。好きである。

#オム焼きそば #手羽先フリッタ

【2022年1月5日】焼きソバを目玉焼きの上に落としてひっくり返してお好み焼きソースを書けると美味い。手羽先のフリッタを作ったが、味を少なくしすぎて美味しくない。難しい。汁は、キャベツの味噌味に豚のシャブシャブ肉である。キャベツは味噌味が合う。手羽先を保温鍋で溶かして汁にした。
コルステロールというと蛇蝎のように嫌わえる。細胞間でのメッセージであり必要な材料の移動手段なのだ。特定の疾患の患部に多く見られるからと行って原因ではない。事故現場に救急車がいるからと行って救急車が事故を起こすわけではない。事故が起こっているところへ助けに向かっているのだ。1960年代の栄養学は生化学物資のうちのわかりやすい3種類をあたかもまったく別の物質のように考えたが、愚かさが服を着ているようだ。
何せ植物はほぼ100%炭水化物で出来ており、動物は50%がタンパク質でのこり50%脂質である。常温で炭水化物は「タンパク・脂質」へと代謝されていくのだ。そして、細胞内でのATP<->ADP+Pの化学反応はブドウ糖がメインである。脂質も使われるが補助的でしか無い。それが証拠に、インスリンを打ちすぎると低血糖でヒトは死ぬ。脂質(ケトン体)が「ATP<->ADP+Pの化学反応」に使われるというならば低血糖など起こらないであろう。
肝臓でブドウ糖を作る代謝においてケトン体とタンパク質(五炭糖と言われるアミノ酸)が使われてブドウ糖が代謝される。「糖新生」と言う代謝系がなければ肉食獣はみな死んでしまう。僕もブドウ糖をとらないと夜痩せる。それは皆この代謝のおかげである。しかし、酒を飲むと際限なく太る。困ったものである。



#青椒肉絲 #ラグー風 #キノコ汁 # トンハツの炒め

【2022年1月4日】トンハツは柔らかくしのだが、Sさんには硬かったようである。青椒肉絲はピーマンの味を楽しむ。気をつけよう、内臓はできるだけ食べる様にしたいのだがこの辺は余り食べる習慣がない。きのこ汁は数種類のキノコが入る。味噌汁でも汁にはいつも一つはキノコを入れるが、半端が出てくると、一気に使う。青椒肉絲は20代の頃に恐る恐るオイスターソースを買って作った記憶がある。今日のタケノコは昨年5月に「母の山」でとったものである。酢水につけておくとい一年持つ、煮沸より確立が良い。ラグー風はトマト缶で肉を煮込んだものである。ジャガイモを一緒に煮込むと脂が炭水化物を結びついてトロミとなる。片栗粉を入れるのと同じである。パスタのソースにすると良い。今回はフツーに食べているうちになくなった。Sさんも嬉しそうである。今年はじめて顔を見た。この笑顔が嬉しい。指の浮腫で医者に処方されたステロイドは飲まないでスッカリ良くなっている。ものすごく嬉しい。食事の力である。母にももっときちんと食事を作ってあげあげたかった。80歳になった時の自分に届く食事を作りたい。


【2022年1月3日】手首の捻挫がひどく料理ができなかった。時には良いかもしれない。31日~3日まではSさんお休みである。

【2022年1月2日】家人がノッペを作ってくれた。

【2022年1月1日】蕎麦食うことになってかき揚げを揚げた。玉ねぎと「冷凍海鮮かき揚げ」である。玉ねぎの味がシャキシャキ残りなあらカラッと揚げっていることが一番いい。揚げたてに限る。そばの汁が塩っぱすぎて不評であった。朝は餅つき機で餅とノッペである。もう何年もおせち料理は買うことも作ることもない。大体からして高すぎる。素材も高くて出来合いも材料が豪華ではあるが中身はスカスカである。それはそうである。わずか3日のためにどれだけの「見た目がよく、値段が高く、キャピタリストに利益を与える料理」が作られるのだろうか。反対に言えば、おせちの時期は日本中の健康指数が落ちる時期であろう(笑)。
憂鬱になる。


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。