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雑記 - 普通じゃないことに疲れることについて

2015年に初めてG1という日本の学生版ダボス会議と言われているようなものに参加して、この前3年ぶりに再び参加してきた。ここには多分、世間からは「意識高い」と少なくとも1回は言われたことがある人たちが集まっており(実際、当日集まった社会人に全体公演であなたたちは「意識高いから」と言われているのできっとそうなのだと思う)、それぞれにかなり面白いことをやっている人たちがいろんな議論に花を咲かせていた。

このイベントの面白いところは、毎年参加者250人分の名簿みたいなのが配られて、ふと後でそれを見返してこんな人も来ているんだなぁと振り返ることができることだと思う。3年も経ったのに実は3年ぶりにG1という場で会う人もいてそういうのは結構感動した(あっちは僕のことを覚えていないことなんてザラだったしその逆もあった気がする)。

こんなにも面白い人たちが集まったらきっと世界を変えてくれると思うが、実はそんな人なんて半分くらいなのかなぁと思ったりしている。こういうイベントに来てfacebookで友達になって、日々更新される彼・彼女らの輝かしい業績を見ると結構焦ったり、隣の田んぼが青く見えたりすることはよくある。そして自分は・・・と自己嫌悪に陥ったり、不要に他人のことを陥れようとすることなんてものもあるような気がしている。

世間から普通ではないと言われる人たちは、世間に迎合しないことをある種期待されているので結構それに疲れることがあると思う。特に、僕ら学生にとっては就職活動というものがあるので、こういう普通じゃない人たちにとっては実はここで普通の会社と呼ばれるものに入るのか、ユニークなキャリアと呼ばれるものを自分で設計するのか結構悩まされたりする。しかも、いざ普通と呼ばれる会社に入ろうとすると、実はそれまでユニークにやってきたというプライドが邪魔したりして結構めんどくさかったりする。しかも、普通じゃない友達はユニークなキャリアと呼ばれるものを選択しましたという報告をSNSにアップロードしてそこにその友達が賞賛するようなコメントをしてそれが目に入ったりする。更には、前述したようなイベントに参加してない友達からは「お前ならどこでもいけるっしょ」とか「お前はどこ行くん?」と羨望の眼差しで見られたりもする。

普通とはみたいな定義をしていないのでいささか乱暴な議論かもしれないが、普通でないことを誇ってきた人にとっては普通に憧れる瞬間は多々あるので悩む。3年前の冊子をパラパラ捲ってもこの界隈にすっかり顔を出さなくなった人もいれば、何年間もG1に参加してその道を究めている人もいる。それぞれに悩みがあっただろうし、ドラマもあったのだろう。

世間にどう思われようと・・・みたいな話はあるけど、意外とその世間って結構気にしてしまう。期待されてとかあるけど、意外とあの人何してるかな、と僕が期待していた人のfacebookを見てみると全く(大変失礼な話を承知で)その期待を裏切って普通にサラリーマンをしながら万遍の笑みで楽しそうにしていることなんていうのもある。それを見て、全く失望の念も抱かなければ、幸せそうだな〜とほっこりするだけなので、換言すると世間って実は考えているよりも範囲は狭いし無関心だし優しいものなのだろう。

普通じゃないことに疲れることもあるけど、それは逆説的に意外と普通のことなんだろうな。学部時代に、僕の大親友であるとても素敵な車椅子バスケット選手(後天的な障がいによって)が「普通とは状況によって変わる」と言っていたけどまさにそうなんだよな。あなたはどんな「状況」にいるのでしょうか。きっと思っているよりもそんなに「まだあわてるような時間じゃない」かも。仙道彰の髪型は少なくとも普通じゃないけど。


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