俺は育ったこの渋き精神の国で

フロッピーディスクを処分しようと中身を整理していたら学生時代に書いた日本文化論のレポートが出てきて、ちょっと面白かったので加筆訂正して載せる。文中での引用はこの授業で使われていたテキスト(後述)。

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 我々は無条件的に日本文化なるものが存在すると信じている。しかしそれは一体どこに根を下ろしているものなのだろう。日本文化の実体とは何だろうか。清水寺や法隆寺などの建築か、茶の湯か、あるいは源氏物語か。

 いっぽう、21世紀こんにちにおける私自身の生活では、清水寺よりもコンビニのほうがはるかに重要な存在であるのだ。さて私は日本文化を見失ってしまった日本人なのだろうか。そうは思わない。私が至っている考えを以下に述べる。

 日本文化はたしかに存在するがそこに実体などはない。文化は生活における個々人の実践の中にこそ姿をあらわすものであり、そしてそれは異種交配や歴史の積み重ねによって、日々生成変化するものだ。

 安吾は「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば法隆寺をとり壊して停車場をつくるがいい」、「日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ」と書いた。文化とは、そこに暮らす人間の生活そのものなのだ。

 ――われわれは自分の必要に従って今ここで生きているのであって、いわゆる日本文化や日本精神のために生きているのではない。もし文化という言葉を使うとすれば、文化とは、その現に行われている生活自体である。(325P)

 目の前に一杯のラーメンがある。果たしてこのラーメンは日本食か、それとも中華料理か。そんな定義には何の意味もない。そこにあるのは、ラーメン屋の大将による実践の結晶である。ユーラシア大陸を横断する麺文化の末端、極東の島国で花咲いた日本食としてのラーメンは、確かにひとつの日本文化の姿であるが、そこに文化の実体を見いだそうなどとは、甚だ不毛な態度なのだ。

 ――創造者たちはそれぞれに自己表現の究極を目ざしたのであった。別に日本文化をつくろうとしたわけではない。強いて言えば、自分文化をつくろうとしたのである。(297P)

 ――文化とは究極的には伝統や国民性の問題ではなく、個々人の「絶対的な孤独」に根を下ろした個々人の生き方の問題ではなかったのか。(346P)

 実際のところ、自分の毎日の暮らしはどうだ。カーペットの敷かれたユニットバス付きの洋風建築アパートに住居し、洋服に身をつつんで自転車に乗って通学する。朝食はトーストにコーヒー、昼はマクドナルド、夜食はラーメンなどという日もある。「いや、昨日は白米を食べたし、味噌汁も飲んだ。うまかった」というような問題ではない。

 日々の生活の中に「自分が日本人であること」を探し求めてみても、突きつめるとそれらは、きわめて自分の周囲における個人的な問題に帰着するはずだ。おいしい味噌汁は作り手である母親や恋人、あるいは食堂のおばちゃんによる実践の結果にすぎず、味噌汁がうまいということと、日本人のアイデンティティに執着する態度とは、何の関係もない(コーンスープや中華の「湯」がうまいと思う時だってある)。そしてその味噌汁も、日々の積み重ねにより生成変化していく。

 無理に日本人であることのアイデンティティを探そうとしなくとも、味噌汁がうまかろうとまずかろうと、清水寺よりコンビニのほうが重要であろうと、ともかく生活していれば、我々は自分が日本人であることの自信をなくしたりはしないし、日本文化を見失っているということにもならないはずだ。暮らしている限り、私は日本人であり、日本文化を享受して生きているのである。

 ――我々は日本精神に無意識であっても結局小説の結末においては日本人であることを暴露せざるを得ないのである。(361P)

 我々の毎日の生活、それこそが日本文化であり、もっとも健全な文化の在り方だ。本当の意味で日本文化を尊重しようとする態度とは、ただ自分の毎日の生活をできうる限りよく生きようとすることにほかならない。そしてこの主張には、強固なナショナリズムや文化相対主義がはらむ問題を柔軟に突破できる力があると思うのだ。文化とは殊更に誇示するものではなく、日常の中で謙虚に実践するものだということを大胆に主張できる人でありたい、と私は願う。


引用文献:西川長夫『国境の越え方』 平凡社 2001年

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だいぶ甘っちょろいところもあるとはいえ、この後に訪れるネトウヨ期に比べればはるかにマシなものの考え方をしていたようだ。最後の一節でドヤ顔してるのが憎たらしいが。