ヤング・ファーザーズ『Cocoa Sugar』



 アマルティア・センは、2006年の著書『Identity And Violence: The Illusion Of Destiny』(※1)において、単一のアイデンティティーに帰属するという幻想を打ち破ろうと試みた。経済格差やそれに伴う貧困が誘因となって、テロや暴力の連鎖が生まれてしまう状況を憂いたからだ。そうした状況に対する処方箋として、センは「アイデンティティーの複数性」というキーワードを掲げた。現代の世界はアイデンティティーの単一化が広がっており、それが暴力の連鎖を加熱させる。これを食い止めるためにも、アイデンティティーは多重的に構成されていること、さらにはその中から自らのアイデンティティーを選択できる自由を認める必要があると、センは主張する。ノーベル経済学賞を獲得するなど、世界的な知識人として知られるセンだから、その主張が幅広い知見と論理で紡がれているのはもちろんだが、アイデンティティーを深く考察する出発点はパーソナルな経験がきっかけとなっている。このことを示すには、『Identity And Violence: The Illusion Of Destiny』に書かれたセンの言葉を引用するのが適切だろう。

〈私は一九四〇年代の分離政策と結びついたヒンドゥー・ムスリム間の暴動を経験した子供のころの記憶から、一月にはごく普通の人間だった人びとが、七月には情け容赦ないヒンドゥー教徒と好戦的なイスラム教徒に変貌していった変わり身の速さが忘れられない。殺戮を指揮する者たちに率いられた民衆の手で、何十万もの人びとが殺された。民衆は「わが同胞」のために、それ以外の人びとを殺したのだ。暴力は、テロの達人たちが掲げる好戦的な単一基準のアイデンティティーを、だまされやすい人びとに押しつけることによって助長される〉

 『Identity And Violence: The Illusion Of Destiny』から10年以上経った、2018年。ポップ・カルチャーの領域では、アイデンティティーの複数性を組み込んだ表現が多く見られる。たとえばグッチのアレッサンドロ・ミケーレは、今年2月にミラノ・ファッション・ウィークで披露した2018-19秋冬のプレタポルテコレクションにおいて、アメリカ、ヨーロッパ、インド、日本、中国など様々な国の文化を掛け合わせ、複層的な世界観を構築してみせた。生首やヘビを持ったモデルが登場するといった飛び道具ばかり注目されたコレクションでもあったが、フェミニズム学者ダナ・ハラウェイの論文「サイボーグ・マニフェスト」がインスピレーション源のひとつになったことからもわかるように、アイデンティティーの問題を訴えるメッセージ性も重要なポイントだ。もちろん、多くの価値観によって自意識が形成されている現代の若者たちの感覚を表象する点でも、非常に意味のあるコレクションなのは言うまでもない。それをより明確にするため、現代人はキメラであるという挑発的なテーゼを示し、敵対的二元性というあり方に批判的な「サイボーグ・マニフェスト」をモチーフにしたのはさすがの一言だ。

 ポップ・ミュージックでいえば、スコットランド・エディンバラのヤング・ファーザーズも、アイデンティティーの複数性を表現するグループと言える。リベリア移民のマサコイ、ナイジェリア系のバンコール、エディンバラ出身のヘイスティングスからなるヤング・ファーザーズは、ハラウェイと同じく敵対的二元性に疑問を呈してきた。その姿勢がもっとも顕著に見られるのは、セカンド・アルバムの『White Men Are Black Men Too』だ。“黒人は白人でもある”という意のタイトルだけでもかなり刺激的だが、収録曲の“Old Rock’n Roll”では、もっと具体的な形でアイデンティティーの問題を取りあげている。

〈白人を責めるのは飽きた/彼の軽率さは本心じゃない/黒人だって彼のように振る舞うことがある/白人には黒人でもある奴らがいる〉(“Old Rock’n Roll”)

 こうした省察は、彼らが2017年に制作した短編映画『Random White Dudes』など、音楽以外でもおこなわれている。この映画はナショナル・ポートレート・ギャラリーに依頼されて作ったもので、一部の特権階級によって築かれてきた歴史や家父長制に向けられた批評眼があらわになっている。ここまでシリアスになる理由を考えるにあたっては、スコットランドという彼らの背景は無視できないだろう。スコットランドといえば、宗教問題が発端となった主教戦争など、アイデンティティーを巡る争いに晒されてきた歴史がある。その歴史は現在に至るまで影響を残し、それが2014年のスコットランド独立住民投票に結びついたことは、多くの人が知るところだ。このような背景を持つ彼らだからこそ、インタヴューや作品を通して訴える、多様性や平等の大切さに切実な想いが宿るのだろう。

 その切実さは、彼らのサード・アルバムとなる本作『Cocoa Sugar』にも表れている。歌詞の多くはメイル・ゲイズが主要なテーマになっており、そのなかで宗教や制度などが男性性的なものを強化してしまう葛藤も描かれているのが印象的だ。このあたりは、Me Too運動やTime's Up運動に代表される平等を求める流れと共振するし、『Random White Dudes』における試みが本作にも反映されているという意味でも、見逃せないポイントだ。
 このポイントから歌詞を読んでいくと、“Border Girl”の〈受け取らなくてもいい/必ずしも与えられたものすべてを〉など、これまでも見られた平等や多様性を尊ぶ言葉で溢れているのがわかる。前作のようにハッキリと言い切る言葉はないが、経済格差や人種問題など、様々なところで争いが起こっている現在と彼らなりに向き合った跡が見られる。その誠実な姿には、争いが起こったことに対する哀しみはもちろんのこと、単一のアイデンティティーに囚われてしまい、排他的な言動をとる人たちに向けられた戸惑いも滲む。
 この戸惑いは、言い切らない曖昧な言葉が多くなったことに繋がり、前作の明瞭さに狂喜した者からすると、物足りないと感じるかもしれない。だが、その曖昧さこそが、現実と真摯に向き合ったうえで本作が生まれたという証左なのだ。ポリコレ疲れが蔓延するなかでバランスをとったとか、あるいは批判に晒されたから日和ったというような、いわば“逃げの姿勢”とは真逆のところに本作はある。泡沫候補と言われた男が第45代アメリカ合衆国大統領に就任し、イギリスではブレクジットが決まるなど、ありえないとされていたことが次々と起こるなかで分断が進んでいる世界と、彼らは対峙している。それゆえの戸惑いなのだ。

 そうした歌詞の性質は、サウンドにも反映されている。これまでも彼らは、ヒップホップ・バンドという狭い枠組みに括られながらも多彩な音楽性を鳴らしてきたが、それを本作では深化させている。全体的に無駄な音が少なく、メロディーは鮮明になり、さらにはプロダクションも丁寧で構築的なアプローチを選ぶなど、いままで以上に聴きやすさを追求したシンプルな作りが際立つ。こうして築いた土台の中に、スーサイドの“Ghost Rider”を彷彿させるベース・ラインとレゲトンのリズムが交わる“Turn”や、シャンガーン・エレクトロのチージーなビートが刻まれる“Toy”など、多彩なサウンドを詰め込んでいるのだ。
 この構造は、これまでのサウンドや言葉でも窺えたアイデンティティーの複数性を、よりわかりやすい形で示すことに繋がっている。彼らはかつて、「ポップであることに背を向けて、アングラで左寄りなヒップホップをやっても意味がない」という言葉を残しているが、その姿勢をさらに前進させたのが本作と言える。そして、そういう音を鳴らすということ自体が、アイデンティティーの単一化に疑問を持つセンとの考え方と共振するのも、忘れてはいけない。

 『Cocoa Sugar』は、いくつもの要素が溶け合う複層的な作品だ。そこには単一のアイデンティティーを巡って多くの人たちが血を流してきた歴史の暗部も込められるなど、シリアスなメッセージ性も見てとれる。そのメッセージを受け取った筆者は、「アイデンティティーは人を殺すこともできる」というセンの言葉にある重みを、あらためて痛感してしまうのだ。


※1 : 『Identity And Violence: The Illusion Of Destiny』の邦訳は、2011年に『アイデンティティと暴力: 運命は幻想である』として出ております。本稿で引用したセンの発言は、この邦訳からのものです。興味がある方はぜひ。



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近藤 真弥

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