Theo Parrish『Thanks To Plastic』



 先月、人生という名の道を歩きはじめて、30年目の節目を迎えた。そのうち、ライターとしてさまざまなところで書いてきたのは、8年くらいである。いまでこそ音楽以外の仕事も舞いこむようになったが、ライター活動当初はダンス・ミュージックを中心に書いていた。素人時代の拙文でも書いたように(いま読むと本当に恥ずかしい。後悔はないが)、筆者は幼い頃から両親にその手の音楽を聴かされてきた。そのおかげか、現在もライナーノーツなどで、ダンス・ミュージックに関することを書く機会に恵まれている。こうした機会は、自分のルーツに想いを馳せることができる、大変貴重な経験だと感じている。

 そんな筆者にとって、ほぼ毎週のようにパーティーへ足を運ぶのは、音楽シーンの動向を知るための仕事であると同時に、なにかと世知辛いこの世界を生きぬくのに必要な遊びでもある。ある意味、公私混同とも言える生活をしているのが現在の筆者だ。そのような生活を続けていると、死ぬまで忘れないであろうと確信できる、素晴らしい箱にも遭遇する。筆者にとってそれはプラスティック・ピープルだ。

 プラスティック・ピープルは、ロンドンのカーテン・ロードにあった地下クラブ。キャパ150〜200程度の小さい箱だったが、ダブステップの隆興に大きく貢献したパーティー〈FWD>>〉の拠点になるなど、2000年代の音楽を語るうえで欠かせない場所だ。

 筆者は2回ほどプラスティック・ピープルに行ったことがある。初めて行ったのは2011年7月だ。正直、この頃のプラスティック・ピープルはピークを過ぎた時期ではあったが、低い天井のフロアに設置された最高のサウンドシステムを通して鳴り響く低音には、目から一粒のナニカがこぼれ落ちてしまうほど感動した。
 イギリスでは珍しい日本人である筆者を暖かく迎えいれてくれた観客たちも素晴らしかった、知っている英単語を並べただけの拙い話も丁寧に聞いてくれたし、オススメの音楽もたくさん教えてくれた。「3月には日本の災害(東日本大震災)の被害者を支援するパーティーがあった」という話もよく覚えている。アシュレイ・ビードルやベースメント・ジャックスのフィリックス・バクストンなどが出演し、寄付を募ったそうだ。

 2回目は、2014年の年末年始。クロージング・パーティーがあったからだ。テナント料の高騰などさまざまな要因が重なってクローズすることになったと聞き、駆けつけた。入口に集まった者たちはノスタルジーと涙の匂いを漂わせていたが、中に入ると気持ちいい低音が全身を包みこみ、観客たちは笑みを浮かべながら踊っていた。もちろんこのときも、プラスティック・ピープルは筆者を快く迎えいれてくれた。好きな日本映画のタイトルを連呼しながらハグを求める者、片言の日本語で丁寧に挨拶する者、無言でハイタッチしてくる愉快な者まで、多くの人たちが筆者に接してくれた。

 2回目の訪問で印象的だったのは、とある女性カップルだ。手を繋いで音に浸る様子を見て、思わず微笑んだ筆者に気づいた2人は、軽くキスを交わした。その幸せそうな姿は、筆者の心に温もりを注いでくれた。2人とも簡単な日本語を話せることもあり、話はかなり盛りあがった。音楽や映画の趣味も近く、イギリスにいるということを忘れさせる、家で気持ち良く過ごしているようなフィーリングが筆者と2人の周りに漂っていた。実はこの2人とは、今年のフジロックでも遭遇した。SNSでは繋がっていたが、実際に会うのは2014年の年末年始以来だった。プリンセス・ノキアのハイテンションなパフォーマンスに合わせ、一緒に踊り狂ったのは良い想い出だ。

 プラスティック・ピープルは、筆者に数多くの出逢いと愛をあたえてくれた。音楽に対する姿勢と同じように、さまざまな観客を受けいれる寛容性が、あの小さい箱には詰まっていた。そうした箱だからこそ、2000年代の音楽シーンに足跡を残せたのだろう。

 デトロイトを拠点とするセオ・パリッシュも、そんなプラスティック・ピープルに惹かれた者のひとりだ。毎月第一土曜日にレギュラー・パーティーを開催し、そのたびに渡英していたことからも、尋常じゃない熱の入れようだったのがわかるというものだ。こうした熱の一端を記録したのが、今年6月にリリースされた3枚組のミックスCD『Thanks To Plastic』である。本作は、プラスティック・ピープルでセオが最後にDJした夜を収めた作品だ。スタジオ録音ではないため音量にばらつきがあり、時折ノイズも聞こえる。だが、それを修正などで消さなかったおかげで、その日の生々しい雰囲気がほぼダイレクトで伝わってくる。観客たちの歓声や笑い声も、リスナーの心をプラスティック・ピープルへトリップさせる。

 DJはさすがの一言だ。序盤はハンナ“Prayin”やロバート・オーウェンス“Sacrifice (UK Remix)”といったハウス・トラックを多めにプレイし、そうして観客たちを優美な船に乗せた後は、ソウル、ファンク、ディスコ、ジャズ、レゲエなども混ぜ、私たちを深遠なるグルーヴの旅に導いてくれる。アクセントでハイやローを切るイコライジングや、時には音量も上げ下げするそのスタイルは、どこまでも能動的かつ情熱的だ。綺麗に繋げたかと思えば、何の前触れもなく次の曲をぶっこんでいくというところも含め、セオのDJは奔放さが際立つ。その奔放さがさまざまな音楽をプレイできる寛容性に繋がっているのは言うまでもない。

 セオは多くのアーティストに影響をあたえている。なかでも、プラスティック・ピープルでレジデントを務めていたフローティング・ポインツことサム・シェパードは、セオにインスパイアされたことをガーディアンに語るなど、熱烈な愛情を隠さない。サムは、自身のレーベル〈Eglo Records〉からラフな質感が映えるディープ・ハウスやUKガラージをリリースしてきたが、近年はジャズやプログレッシヴ・ロックにも手を広げるなど、自身の音楽性を開拓しつづけている。この探究心はセオのDJやオリジナル作品にも見いだせるものだが、それをふまえるとインスパイアされたという言葉にも納得だ。そんなサムが、UKジャズシーンで活躍するサックス奏者ヌビア・ガルシアを音楽面で熱心にサポートするなど、UK音楽シーンの発展と進化を手助けしているのは何とも感慨深い。言うなれば、プラスティック・ピープルの精神が受け継がれているということだからだ。

 進化といえば、セオは去年12月にオンラインラジオ番組〈W.O.K.E.〉をスタートさせた。「We Only Keep Evolving(私たちは進化しつづけるだけ)」の頭文字を取ったこの番組は、若い黒人や褐色人種を音楽的に教育することが目的のひとつだという。エンパワーメント、歴史、未来をコンセプトに据え、コマーシャルなラジオ局にはなかなか乗らない音楽を届けている。

 良質ながらも注目される機会が少ないものに光を当てるセオの姿勢は、さまざまな観客たちを歓迎する寛容性で満ちあふれていたプラスティック・ピープルという場所と力強く共鳴した。だからこそ、プラスティック・ピープルはセオを引き寄せ、セオもそこで最高の夜を何度も演出しつづけた。こうした関係性は、自由なコミュニティーとも言うべき親密さをプラスティック・ピープルに作りあげ、疎外感に囚われた者の惨憺たる心に一筋の光を差した。

 人を勇気づけ、励ますことのできる表現はたくさんある。しかし、人生を変えるほどの救いをあたえられる表現は多くない。その多くないうちのひとつに本作は間違いなく入る。セオ・パリッシュのDJは、あなたを救ってくれる。

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