望めば何にだってなれる 〜 グライムス「California」のMVに込められた自由と希望 〜



 先日、増井修さんの著書『ロッキング・オン天国』をご恵投いただきました。ロッキング・オンの舞台裏を知れるのはもちろんのこと、増井さんの価値観も垣間見れる面白い内容です。そのなかでも、特に筆者が膝を打ったのは次の一節。デヴィッド・ボウイへの言及です。

 「“そもそも自分なんてものはない”って最初にロック界で言ってくれた人のことを忘れちゃいかんでしょ。そこを壊してくれたから“俺はどっから来たんだ?”なんていう文学的愚問から、音楽で人を解放して、“俺は何にでもなれる”ってアドバイスしてくれたんだし」

 “何にでもなれる”というのは、筆者がデヴィッド・ボウイに教わったことのひとつ。同じことを感じた人がいたんだなあと、ちょっと嬉しくなってしまった...なんて書くと、音楽業界の大先輩に対しておこがましいかもしれませんが。

 実を言うと、この一節を見てまっさきに想起したのは、グライムス「California」のMVだった。まず、この歌で印象的なのは、〈The things they see in me, I cannot see myself(みんなが私に見いだすのは 私に見えない私)〉という一節。いまやポップ・スターとして多くの注目を集めるグライムスですが、そうした生活のなかで生じる複雑な心情を歌っているように思えます。続く一節が、〈When you get bored of me, I'll be back on the shelf(飽きたら私なんか用なしでしょ)〉ですからね。筆者もそれなりに多くのアーティストにインタヴューしてきましたが、このような話を聞くことは少なくありません。

 「California」のMVでグライムスは、さまざまな服装を着こなしています。その姿は、先に引用した「California」の一節を半ば自嘲的に体現しているとも解釈できますが、グライムスの表情が終始にこやかなところを見ると、その変臉ぶりを楽しんでいるようにも感じる。

 ちなみに「California」は、アルバム『Art Angels』(※1)の2曲目に収められた曲。『Art Angels』のオープニングは「laughing and not being normal」ですが、この曲はイントロ的な1分強の小品なので、実質的な幕開けは「California」と言っていいと思います。それをふまえて、アルバムのラスト「Butterfly」で歌われている一節を見てみましょう。

〈If you're looking for a dream girl I'll never be your dream girl(もしあなたが理想の女の子を探しているとしても 私はあなたの理想の女の子には絶対にならない)〉

 つまり『Art Angels』には、「みんなが私に見いだすのは 私に見えない私」とぼやいてから、「私はあなたの理想の女の子には絶対にならない」と力強く宣言するというストーリーがあるのです。この物語をふまえると、グライムスが終始にこやかなわけが見えてくると思います。それは筆者が思うに、“たとえみんなが私にどんな姿を重ねようとも、私はなりたい私になれる”という確固たる自信が反映された結果ではないでしょうか。矢継ぎ早に服装を変えるのも、“望めば何にだってなれる”という確信がそうさせたのかもしれません。

 そんな「California」のMVは、“あなたも自分が望めば何にだってなれる”ということを私たちに教えてくれます。


※1 : 『Art Angels』についてはこちらのレヴューで考察してます。

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