Riz Ahmed『The Long Goodbye』


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 パキスタン系イギリス人のリズ・アーメッドは、役者として大きな成功を収めている。『ナイトクローラー』(2014)、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)、『ヴェノム』(2018)といった話題作に出演し、第69回エミー賞ではリミテッドシリーズ/TV映画部門主演男優賞を獲得した。

 一方でアーメッドはラッパーの顔も持っている。スウェット・ショップ・ボーイズの一員としてアルバム『Cashmere』(2016)を発表し、リズMC名義でも『Microscope』(2011)などの良作を残した。
 ラッパーのときは自らの背景を言葉にすることが多い。パキスタン系イギリス人として生きるなかで、差別や偏見といった困難に見舞われる様をラップする。それはとても個人的な事柄だが、図らずも世の不平等や歪さを浮き彫りにしている。

 アーメッドの音楽作品のなかでは、2016年に発表された“Englistan”がお気に入りだ。〈礼儀正しさが暴力と入り混じる場所 これがイングランド(Politeness mixed with violence This is England)〉とラップするなど、イギリスの現実を巧みに描いていく。特権階級に皮肉を投げつける内容は、アーメッドが社会的弱者の視点を持つ男だとわかるものだ。

 そんなアーメッドの最新作『The Long Goodbye』は、リズ・アーメッド名義では初のアルバムだ。
 本作はイギリスをブリタニーとして擬人化したうえで、イギリスの暗部を抉りだしている。その代表例がオープニングの“The Breakup (Shikwa)”だ、イスラム神秘主義と密接な宗教歌謡、カッワーリーを連想させるサウンドに合わせ、アーメッドはイギリス植民地時代のインドに言及する。
 インドを植民地にしていた当時のイギリスといえば、困窮の拡大に怒った者たちにインド大反乱を起こされるなど、さんざん痛めつけてきた国からしっぺ返しを食らうことがあった。

 そのようなイギリスの歴史とブレグジット(EU離脱)を、アーメッドは“The Breakup (Shikwa)”で重ねる。ブレグジット決定後、イギリスでは特定の人種や国籍の市民に対するヘイトクライムが増えたのはよく知られている。こうした状況が続けば、インド大反乱と似たやりかえしが起き、収拾がつかない事態に陥るかもしれない。そんな警告を“The Breakup (Shikwa)”には見いだせる。

 続く“Toba Tek Singh”でも、アーメッドはイギリスの歴史を取りあげる。この曲はイギリス植民地時代のパキスタンがテーマだ。パキスタンの作家サアーダット・ハサン・マントーの短編小説『トーバー・テーク・スィング』にインスパイアされた歌詞は、怒りで満ちている。イギリスに同化しても、用なしになれば出ていけと言われ、パスポートを取りあげようとする。この惨状をアーメッドは秀逸な言葉選びによって描写している。
 そうした内容に、イギリスで問題となったウィンドラッシュ・スキャンダルを想起した者もいるだろう。この事件は、1948年から70年代初頭にかけて、イギリスに移住してきたカリブ海地域の者たちの子供が強制退去されるかもしれないというもの。そうなった主因はイギリス政府の雑な法整備にあるため、政府に対する批判の声が集まった。このことをふまえて“Toba Tek Singh”に触れると、アーメッドの言葉をより深く理解できる。

 本作でアーメッドは、生まれ育ったイギリスに向けた愛憎を滲ませる。怒りや哀しみが漂う言葉は、歴史を顧みず、愚かな選択を繰りかえすイギリスに投げつけるミルクシェイクみたいなものだ(なぜかイギリスには間抜けな政治家にミルクシェイクを投げつける者が多い)。
 これまで残してきた音楽作品を聴いてもわかるように、アーメッドはイギリスのポップ・ミュージックに影響を受けてきた。『Microscope』はグライムやダブステップの要素で占められていたし、本作収録の“Where You From”でもUKガラージを聴いて育ったとラップしている。

 そのアーメッドが、本作ではパキスタンをルーツとするバングラやカッワーリーなどの音楽に接近し、イギリス色を後退させた。そこに筆者は、イギリスを諦めるかのような情動を感じとってしまう。
 しかし、本作のラスト“Karma”でアーメッドは、〈バノンが渡航禁止にした仲間たちのためにこれをやるんだ(I do it for the mans that Bannon put travel bans on)〉とラップする。米国トランプ政権の元主席戦略官で、パキスタンも含むイスラム圏諸国からの渡航禁止を定める大統領令策定に関わった、スティーブン・バノンに虐げられた人たちと連帯するというわけだ。

 この点を考慮すれば、本作は希望を示して終わる作品と言える。ヘイトクライムの増加で危険が迫っても、言葉を紡ぎ、他者と手をつなごうとする。諦めに心が傾くときもあれば、光を見て希望に近づくときもある。そのような宙ぶらりんの心情で、何とか未来を見ようとする泥臭さに、筆者は親近感とリアリティーを感じた。

 諦めと希望のアンビヴァレンスを抱えるという意味で、本作はMoment Joonのアルバム『Passport & Garcon』(2020)と共通するところがある。パキスタン系イギリス人としてイギリスを見るアーメッドに対し、Moment Joonは韓国出身で現在大阪在住の立場から日本を見つめるなど、自分が住む国との距離感もどこか似ている。その距離感を形容するなら、そこに住んでいるはずなのに外部者の感覚を常に抱かせるぎこちなさ、だろうか。

 本作と『Passport & Garcon』が同じ年に出たことで、さまざまな問題が噴出する世界を変えるポジティヴなうねりが生まれるんじゃないか。このわくわくを大切に抱えながら、『The Long Goodbye』の言葉を丁寧に噛みしめている。



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