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『BEEF』(ビーフ)第3話まで観ました。

随分とご無沙汰していました。

これまでの記事を読んでくださっている方がいることは、時折来る通知で知ってはいたのですが、なかなか書くべきアイディアをまとめ、ここにログインして実際に記事をアップするまでに至らず、気が付けば2021年9月以来実に1年半ぶりの更新。

その間何をしていたかというと、一時的に拠点をブリュッセルに移し、フランス語を勉強し、完全リモートで仕事をしていたという感じでしょうか。

フォローや通知を見る限り、フィルムスクールの内容に興味を持ってくださる方も意外と多いんだなという驚きもあるのですが、そちらの情報については、また気が向いたときに、小出しにするかもしれません。

どうして今こうしてまた更新したかというと、以下のような経緯です。実はアメリカのドラマシリーズの脚本コンサルタントなる仕事を頂きまして、去年の秋からずっとその仕事が非常に忙しく、どうにも他のシリーズや映画をあまり観る気にならずに、時々映画館に足を運ぶ程度だったのですが、例のWGAのストライキもあってその仕事が若干落ち着き、気分的にも他の作品に手を出す余裕が出てきたので、何かと話題になっていたNetflixの『BEEF』を観たところ、結構衝撃的だったので何か書いておきたいなーと思った次第です。

この『BEEF』ってどういう話かというと、南カリフォルニアに住むアジア系アメリカ人たちの葛藤を描くドラマで、立派な家を持ち、一見すると成功者のエイミーと、社会の下層で日々を生きることに必死なダニエルによる、スーパーの駐車場でのちょっとした諍いから生まれたドス黒いせめぎ合いを中心に話は進んでいます。まだ第3話までしか観ていないのですが、少なくともこれまでの印象だとこういう感じです。

で、これがもう、わかりみが深すぎる(っていう書き方は個人的になじまないのでしたくなかったのだけれど、これが思いつく限りで一番伝わりやすい表現なので)。

実はもうかれこれ15年以上前ですが、僕はオレンジカウンティ―のUCアーヴァイン(ドラマにも名前が出ていました)に1年交換留学をしていまして、さらにここにも書いている通り、UCLA時代にさらに3年間、南カリフォルニアに住んでいました。その時に出会ったあらゆるアジア系アメリカ人が、ドラマで描かれている感じそのまま、特にアーヴァインの時の思い出や様々な記憶が、溢れてきました。

これまで何人ものアジア系アメリカ人の友人ができました(主に二世でした)が、英語の発音や話し方を聞く分にはザ・アメリカ人みたい感じなのに、考え方はけっこうアジアっぽい部分もある、ということがほとんどで、僕はそんなどこか不思議な組み合わせを興味深く見つめていましたた。彼らには日本や中国、台湾などのアジアの国・地域に暮らすアジア人とはまた違う悩みやストレスがあるものと思います。だからこのドラマを観て、同じアジア人として共感できる!というのとは全く違うのですが、たぶん南カリフォルニアに住むアジア系アメリカ人たちは、この作品を観て恐ろしくリアルに感じたのでは、と思います。