見出し画像

昨日の”青天を衝け”を見て、思い出したこと

 父子の確執や不信、私は男の子がいないので、体感としてはわからない。

 NHKの大好きな大河ドラマ、これだけでも受信料を払った甲斐があるという気がする。特に、今年の”青天を衝け”、昨日の放送の一部に、長男篤二の成長とともに、母を亡くし、これからの難しい展開を仄めかすような場面であった。

 一般的に、十一歳、多感な年ごろである、ようやく自我が芽生え、自分を意識し始めた頃、多忙な父を支えた母が突然コレラで急死、継母が家庭に入ってくる、以前から母と同じ立場であるが、絶対的な差のあったお妾さん、しかも妻妾同居、いかに明治時代で現在とは違うといっても、当然、成長期にある男子として、様々な思いがあっただろう。 

 そのうえ、何の脈絡もないが、思い出したのは、井上靖という、ちょうと昔の世代では大家の小説家、「蒼き狼」、ジンギスカンを主人公にした小説である。母が、モンゴル内部での他の部族に襲撃、誘拐され、その間、犯された。その後、ジンギスカンが生まれた。

 父は、自分の子ではないと疑っていた。それが、ずっと影響する。本人は、ほんとうの父が誰か、どうしようもない。そんな伏線のある小説だった。父子の相克、徳川家康と信康、武田信虎と信玄、その長男の義信、素人の私でさえ父子の軋轢は、多々ある。ギリシア神話のオイディプス、父を殺し、母を犯すのも、似たようなてーまであろう。

 渋沢栄一、日本の経済近代化に大きな貢献をした偉人、されは間違いない。それゆえに、そうした父を持った長男篤二、重圧と反抗心、いろいろな思いがあっとと思う。

 noteも、だいぶ慣れてきた。小論文みたなもので、短くても、起承転結とかテーマ、結論にこだわると、いかにも教科書的、自慢、お説教などになってしまう。人間、そんないいことばかりではない。

 どう生きていくか。死ぬことが見えてきたとき、どう考えて、日々を過ごすか、それが問題だろう。

 私は69歳、年明けには、数えで70歳、気分は、昔とあまり、変わらない。それはどうしたものか。人生の諸先輩を見ると、衰えがめっきり目立つ。歩けなくなり、外へ出なくなり、芽が見えなくなる。身体的に、不具合が生じる。認知症まがいの症状が出てくる。

 そうならないようと考えるのは当然。そのためにも、いろいろ努力したい。それでも、老いは、かならずやってくる。

 少しでも元気に日々を暮らしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?