断捨離だ、終活だと言いながら、また買った。要る物はいる、金の有意義な遣い方を希求する。
今朝は、奥様の障碍者支援活動への協力に街へ出た、車で送っただけのことだけど、ガソリン価格の高騰と交通事故防止、フレイル防止のための外出時は徒歩あるいは交通機関利用を原則にしている。しかし、急ぐの、寒いの、疲れるのと様々な理由をつけて、車を運転している。
月200キロメートルを目標としている。それでも軽四で先月3240円、高いか安いか、自己判断、けち臭いというなかれ、現役時代、予算担当もした、お金の大事さ、みえでお金を遣ってはいけない。
何が重要なのか、よく考えよう。
ケチといわれようが、貧乏くさいといわれようが、吝嗇といわれようが、
経済性、緊急性を考える。
なのに、奥様を送り、図書館に寄り、ついにホームセンターへ行った。
今月中は、樹や花の苗を買った。それは来月、また買う。春の樹や花を。
もっと欲しいものを買いたいが、奥様が許してくれない。
売ってないし。
買ったのは、流し台用パイプクリーナーとデスクスタンド、
なんだ、必要なものじゃないかと、
ベッド脇に照明があれば、ついゴロゴロしそうだし、つい横になる癖がつく、クリーナーがあると、すぐ汚す、掃除すればいいじゃないかなんて、
便利さや必要性には、かならず弊害が出る。
それでも買った。
物は増やすべきでない。
地震や津波、戦争などで大事な家財道具がゴミになってしまう映像をよく観る。当事者にとっては、それだけでも心が張り裂ける出来事である。
他人には、不用なゴミでも、様々な思い入れがある。それが一挙にが観になる。でも、ゴミとして捨てられない、捨てないと生活ができない。
ものすごいジレンマだ。
それを乗り越えての断捨離、終活だ。
いろいろな思い、他山の石、明日は我が身だ。
神社のお賽銭じゃないけど、いつか支援をしよう、やはりお金だろう。
孫にもお年玉をやろう、好きなように遣え、自分のために。
神様だってお金が要る。
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