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いつもの神社、日々変わりはない。人間世界は有為転変、すべてが変化している。

 この神社だって、17世紀後半にときの領主が新田開発の無事達成とその後の繁栄を願って、近くの八幡神社を分社したと掲示板には書いてある。
 それからざっと四百年近く、神社そのもの管理運営も当時からは予想外の少子高齢化でもはや風前の灯火、かつては領主の大名をはじめ多くの権力構造、いまなら行政から保護を受けていた。
 いまは氏子、誰が氏子かわからんけど、昔からいた人たちの子孫、ずっと農業従事者だった。いまは、周辺は、耕作放棄地だらけ、というより新興住宅街、自治会は転入者は入れず、昔ながらの氏子で構成している。
 行事は元旦だけ、掲示板に書いている。
 いずれ消滅か。
 さて閑話休題、
 ハッピーリタイアの前期高齢者、趣味は、高校生の頃からの読書、ほかにもちょこちょこあるものの、日々読書で過ごしいる。
 今日読み終えた本、昨年3月に亡くなった坂本龍一著『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』、同じ1952年生まれ、学年は一つ向こうが上。
 経歴は、東京芸大卒業、音楽での著名人、YMOとか『ラストエンペラー』の主題歌作曲家、音楽には詳しくない。だけど、有名人、亡くなってしばらくして遺作というべきか、本が出たので、図書館で予約した。
 1年以上過ぎて、やっと順番、急ぐものでもないし、しかし読んでおきたい。
 少し暗に相違して、「死ぬ、もうすぐ死ぬ。がんはこうだ。』という内容かと思えば、少しはあるが、さほどではない。自分の音楽生活を振り返り、また死後の環境問題にも触れ、淡々としたものだ。
 老年期はじめには、がんであることを知り、結構、長い間、闘病生活を続けていた。治療・治癒、再発を繰り返し、転移、余命半年なんて言葉も出る。自分であれば、どう受け止めるか。考えてみた。
 実際に、そうならんとわからない。
 老年にいたって、体力が落ち、気力が衰えると、このまま死ぬもしかたないかと思ってしまう。
 いまの私、若い頃は、昼寝なんかとんでもない。それが疲れたら寝る、それが心と体に一番のごちそう。気力と体力の回復で、次へのチャレンジのエネルギーとなる。
 死にたくはない。それは坂本氏も同じだろう。
 いい本ではあった。

光っているのは室内照明

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