今日という一日、終わった。無事であれ、なんであれ、人生の1ページ
予定としては、心の病を持つ四女、一度入院した。その家族の集まり、病院の主催、「家族の元気の出るプログラム」と銘打っている。医師、看護師、作業療法士などの病院スタッフそして当事者の家族、私は、娘が入院する前から時々、数年おきに参加している。
それぞれに状況が異なる。息子さんが30年以上入院、繰り返し入院とか、遠くから、この病院へと息子を入院させた母親など多様なパターン、家族との関係や生活、そのなかで悩むこと、将来への考え方、病院スタッフは、あくまでも医療関係者とのしての知識や考え、退院後は、また別の専門家になる。
同病相哀れむの類ではある。根本的解決には、方向性は同じでも、なかなか解決には繋がらない。金も力もない一般の人、そういうものがあったとしても、そう簡単には解決ではできない。家庭内の話が多い。
いまは、福祉もかなり改善、前進した。昔なら、山の病院とかいって、完全に封鎖されていた。いまでも神戸の神出病院、むかしは宇都宮病院などと、障碍者差別の酷い、犯罪が時折、表面化する。
それはそれで、家族もちゃんと人権が守られているか、観ておく義務がある。治療と虐待とは、まったく別の話である。
病棟も、一般の病院とまったく変わらない開放病棟もあれば、そうではない閉鎖病棟もある。難しい問題もある。
いま様々な場所で問題化している。いじめ問題やセクハラ、モラハラ、パワハラなどの人権問題も。
家族としては、病気は病気として早く治してほしい。薬だけでなく、様々な方法も施してもらいたい。薬はあくまでも幻聴幻覚その他の症状への応急措置に過ぎない、根本的に治す方法はないか。
発症原因もまだ完全に把握されていないのが実情、なかなか難しい。
家族としては、先々心配なのだ。親である自分が死んだら、どうなるか、どんな状況、病気、ケガでも同じことはいえるのだが。
とりあえず見守るしかない。
それもたいへんなんだけど。
世間様は、いろいろな花を植えている、それを愉しんできたんだ。花にも命がある。植えた人は、いなくなっても、花は美しく咲いて、他の人間を愉しませている。花には関係ないけど。この花たちに、なにも援助できないのが残念だけど。
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