自分のものさしで人を判断するということ
私の周りにA子さんという人がいる。
A子さんも私と同じ精神疾患持ちでその仲間にBくんという人がいた。
A子さんは最初Bくんとは知り合いではなく最近友達になったみたいだ。
Bくんの口癖で
「いっその事死んでしまいたい…」
というのがある。
Bくんは単極のうつ病で私みたいにテンションの上がり下がりはなくていつも沈んでいる。
A子さんがたまたま先日Bくんのその言葉を聞いたらしい。
「私も昔は病気でそう思ったことあるけど、伏せずに簡単にそんな言葉を言うのはどうかと思う」
と私に伝えてきたのだ。
その時私は
「そう思っても仕方ないけど、Bくんもうつでかなり苦しんでるし、この間話したけどそんなに悪い人じゃないよ。彼は結婚もしてないし、今後の人生を考えると私たち主婦には分からない気持ちがあると思うよ」
とだけ伝えておいた。
彼女は
「そうですか…」
と何とも煮え切らないと言いたそうな返事をした。
その後A子さんは別のC子さんに
「自分のルールはやっぱり守った方がいいよね」
と言ってBくんとの縁を切ったらしい。
世間一般には「死にたい」というワードは出すべきではないと私も思う。
でも私は精神障がい者として言うが、死にたいという気持ちは私たち精神疾患持ちにとっては常に隣り合わせだ。
健康な人にはその辺はやはり理解不可能だろうか。
話を戻して。
A子さんが「自分は死にたいと言わない」というルールを作ったのは分かるけれどそれを他人に当てはめるのはどうかなと私は思う。
人は人。
自分は自分。
他人には自分と異なるバッググラウンドがあり、つらさの感度も違う。
それを当てはめるのは所詮無理だと私は思う。
人の何気ない言葉でその人を判断することができるとしたら、A子さんも判断される側の存在になるのではないかと思った。
過去にAさんも同じようなことを思ったことがあるならなおさら。
相手の気持ちを自分のモノサシで図ることはしたくないし、私には出来ない。
今回は死にたいというワードについて取り上げたが、ほかのことでも同じだと思う。
人がどのようにしてそんな思考をしているのか分からないのに、自分のルールで人を縛ることはしたくないなと思った。
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