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人生をさっと振り返る。

▷私ゴトの記事です。


小さい頃から一流の監督になりたかった。

スポーツをしていても、プレイヤーより監督をやりたいと思っていた。

社会にでると教える側こそが努力不足だと憤りを感じた。

教える勉強をした。

初めて部下を持った。
だけど通用しなかった。

学べば学ぶほど、
人は変えられないことを知った。

だから今度は構造を変えようと考えた。

アントレプレナーシップに目覚めた。

「ビジネスは政治より強し」
という言葉に惚れた。

ルールや規則といった強制力ではなく、生活の延長線に理想があることに共感したからだ。

誰かと争うことは嫌いだ。
パワープレイも好きじゃない。
気づいたら達成していることが理想的だ。

それからは、強制せずに自らが動きたくなるような技術を学んだ。

デザイン、マネジメント、マーケティング、ライティング、プレゼン、心理学。

その過程で、師のマーケターからこんな格言をもらった。

人を動かす技術は強力である。人を幸せにすることもできるが、不幸にすることもできる。
だからこそ、それを使う者は崇高な倫理を持たなくてはならない。

その通りだと思った。

それから、コーチング、傾聴力、アート、芸術、哲学、論語、道歌、児童文学などの本を読み漁った。

スキルや能力ではなく、人としての器や深さを磨きたいと考えていた。

そして私は会社を立てた。

だけど飽き性の私にとって会社という手段は性に合わなかった。

いつだって惹かれるものはここにないもの。
形のないものが私の心を駆り立てるのだ。

来年は今と違うことをやっているだろう。
その場その場で変わっていくものだろう。
未来を今見える枠に閉じこめたくないと思った。

年間計画や3年後の事業計画なんて、
一ミリも興味がなかったのだ。

そんな芸術家きどりの草舟のような会社に誰かを乗せることはできなかった。

まいった。
私はどんな形でこの社会に貢献できるだろうか。

生まれた時代を間違えたかなーと考えたこともあったが、生まれてしまったものは仕方ない。

だけどこれだけは言える。

こんなに物があふれても、
こんなに便利な世の中になっていても、
人は愛に飢えている。

物がほしいのでない、愛がほしいのだ。
物を買ってるのではない、愛への慰めなのだ。

愛への渇望を助長させ、消費を促す社会に絶望した。

愛はどこにも売っていない。
だけどお金がなくても与えることができる。
なのに物ばかりが作られている。
本当に物と愛は両立できるのだろうか?と疑っている。

目に見えるものと目に見えないもの。
くさいものにフタをするように。
面倒くさいことを見てみぬフリするように。
大事なことから目を背けたくなるように。

もしかすると私はずっと、
愛を作りたかったのかもしれない。
お金に無頓着なのはそのせいだろう。
と、思いたい。

家族は不仲。
異性と長続きしたこともない。
他人に誤解ばかり与えてしまう。
自分の伝え方が悪いのかと何度も訓練した。
色々な伝え方を学んで試してきた。

それでもダメだった。
愛を知らないからなのだろうか。
認めたくない結論に何度も行き着いた。

そんな私に愛を作れるだろうか。
愛の発明。
人生を使って扱うテーマには丁度いいかもしれない、と思った。

そうして私は職業に興味がなくなった。

どんな職業であっても、
やることは一つだったからだ。

愛を届けること。

いつかきっと、
私が死んだ後でもいい、
愛が満ちた世界になってほしい。

テクノロジーが神をも超える日がくるなら、
人類よ、愛を創ってみせろよ!

そんな厨二心が私の中で叫んでいるのだ。

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