夢があるようで無くて、眩しいからこそ腐りたくないんだ
私には夢がない。
とは言っても、
幼稚園の時は動物園の飼育員さんになりたかったし、その次は漫画家になりたかったし、その後は歌を頑張りたかった。
その後は何かあっただろうか。
思い出せずにいる。
でもそれらに対して特別頑張ったわけではなく、幼き頃の何らかの挫折があったりしたのだろう。
動物の飼育は家の中に1匹でも大変なことで、
絵も歌もとことん周囲が上手かった。
私はそれをいつしか夢とせず、
流れに身を任せて生きてきた。
生きる上での夢というか、目標、指針はある。
「人に喜んでもらいたい」
それだけだ。
だがそこに我が儘がくっ付いた気がする。
「私の好きなもので、
人に喜んでもらいたい」
私は接客業が好きで、人と関わるのが好きだ。
相手に喜んでもらえるなら、
その労力も時間も問わずにいられると思う。
そして、
好きなものをおすすめしたいというパワーというか、愛のようなものは溢れていると思っている。
しかし、
それをどうしたらいいのか分からない。
私は、自らで何かを生み出す創造力はないと思っているし、生み出された全ての物事や物体を知っているわけではない。
3人くらいから「パーソナルなファッションコーディネートをやってみたらどうか?」と言われたことがある。
共通点と言えば私の友人であることくらいな3人が、別々の場所と時間に、私にそう伝えてくれた。
私はそれに対して同じ文言を返したと思う。
「私は私の好きなものしか知らないし、
自分が出来るとは思えないよ」
夢を見つけられない人の特徴として、
"自分を過小評価している"
という項目があるらしい。
私はそれに該当しているのだろうか?
私はここnoteで、
夢を語り、
それを実現している人をたくさん見てきた。
そしてその人たちはまた更に大きな夢を語り、
きっとその夢すらと実現していくんだろう。
凄いことだ。素晴らしい。
素晴らし過ぎて、眩しくて眩しくて…
私はどうやら嫉妬しているのかもしれない。
動きもしていない私が、
努力をし続ける人たちに嫉妬するだなんて
お門違いも甚だしいというのは分かっている。
でも、私は私の好きを伝えることを
どうしていったら良いのか分からない。
私は私の好きなものしかおすすめできない。
嫌いなもの…とまでは言わないが、
好みではない、苦手なものは勧められない。
(きっとここに関しては販売員失格だろう)
しかし、その好きなものへの愛は怠らない。
私の重い思いは友達にだけでなく、
物体にまで及んでいるようだ。
どうしたらこれを
私の夢へと繋げられるんだろう。
33歳を目前にして、
何が夢だよと恥ずかしいけど、
私も何か成し遂げてみたいと思った。
人との関わりを大事にして、
私の好きを伝えたい。
もっと私の好きなものを愛していくためには、
もう少し金銭面でも必要が出てくるだろう。
でもまずは、私はこの思いを
どう消化していくかを見つけなくては。
ずっと悶々としてる。
多才で多彩なみんな。
力を貸してほしいです。
こんな私には、
何をどうしていくのが合うのでしょうか?
漠然としすぎだよ、ましろ。
私をサポート?!素直にありがとうございます。あなたのサポートは、真っ赤で、真っ黒で、時に真っ青なましろが真っ白になれるよう、note内で活かされ続けます。