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友達という名の片思いに涙した

大人になってから本物の友達を作るのは、
難しいと思っている。

私のここで言う"大人"とは、
"社会人になってから"ということを表す。

学生時代は共に過ごす時間も多くて、
親に言えないことも話したりしながら
日々を一喜一憂し合うことで
友達が必然的にできた。

学校からの卒業という壁を越えて、
"友達たち"は篩にかけられ、
誰が本物の友達だったかを
無意識のうちに選別するように感じる。

社会に出て、
自分の時間を大切だと感じる中で、
誰と過ごしたいかを考える。

誰とだったら私と相手の貴重な時間を使い、
それを楽しいと感じ合えるのか。

大人になってから
本物の友達になってくれた人は、
私には1人しかいない。

でも、1人でも奇跡だと感じている。


それなのに私は、我が儘だ。


***


アパレルで働いていた時に出会った
同い年の子と信じられないほど気が合った。

仕事だけでなく、家族や恋愛、
過去のことも含めてなんでも語り合えたし、
感覚的な好みも合ったし、
休日を合わせてまでしょっちゅう遊んだ。

これまで出会ってこなかった時間を埋めるかのように過ごし、親友ができるなんてと喜び合った。

互いの誕生日を祝うのは当たり前で、
素敵なレストランを予約したり、
好みのプレゼントやメッセージを贈るのも
親友として当たり前のことだった。


彼女の喜びや嬉しさは、私の喜びや嬉しさで、
彼女の悩みや悲しみは、私の悩みと悲しみ。

互いにそう思っていると、思っていた。



でも彼女は、
私が同じ職場の上司と付き合うことを嫌った。

その人は私たちがお世話になっていた上司とは、
別の人だったから。


LINEも未読のままの日が続き、Instagramもフォローが外されたことに気付き、それぞれブロックされたのでは…?という不安がよぎった。

でも出会ってから3年ほどでも、
互いを親友だとなんでも分かち合ってきた。
そんなことがあるはずはない。


普段使わないメールもSMSも送ってみた。

返事は一向に返ってこなかった。


彼と付き合おうと思うと話した夜を境に、
私は彼女との連絡手段を一切断たれた。

私は彼女の親友でもなければ、友達でもなくなったんだと、悲しみのどん底に落ちていき、
毎日返ってくるかもしれないとスマホを抱いた。


大人になってから本物の友達を作るのは、
やっぱり無理だったんだ。


それから数年が経ち、
彼女の方からInstagramを通じて連絡があり、
4回会った。

久しぶりに会った時、
彼女は言いづらそうに小さく謝罪していたが、
昔のように、何でもはもう話せなかった。

気まずい時間に思えて、会うことが辛かった。

彼女は今年の初めに遠方に引っ越す知らせをInstagramに載せたが、私は反応しなかった。

引越し先でも元気でやっているようだが、
私と彼女の友達という関係は数年前に終わってしまい、その溝はそう簡単には埋まらず、
それと同じように、現実的な距離ができた。

これで良かったんだと、今では思っている。


***


一昨年の秋から去年の春の短い期間、
ウェディングドレスのコーディネートの仕事を手伝った。

そこで出会った同年代の2人は、
それぞれに夢を持ち、努力していた。その姿は私にはとてもキラキラ輝くように見えていた。

私は自分の夢が無い代わりに、
彼女たちの悩みを聞いたり、落ち込む時は気にすることないと声をかけてみたり、とにかく才能やセンスに溢れる姿を、応援する気持ちでいっぱいだった。

私は緊急事態宣言下におけるオーナーの対応が信用できず、最終的には揉める形となって手伝いを辞めた。

あまりいい辞め方では無かったが、雇う側と働く側には信頼関係あってこそだと思うので、辞めたことに後悔はない。

気がかりだったのは、そのオーナーは色んな出来事を大袈裟に、誰にでも話す人だったこと。

私はその業界に残るつもりは無かったので、どうでも良いと割り切ったが、一連のことをある事ない事、やけに顔の広いオーナーから多方面に話されるんだろうと思った。

一緒に働いていた彼女たちのうちの1人は、
休業期間に準備を進めて独立し、
頻繁に連絡を取り合っている。
(この彼女のことは、大人になってからできた、
 唯一の友達だと思っている。)

もう1人は、そのオーナーを手伝いながら勉強していくことを知っていたので、辞めた際のいざこざの詳細は話さず、連絡は減ってしまった。

これは私なりの配慮があった。
私自身が感じたオーナーへの不信感はあれど、今後もその人のそばで働き、学ぼうとする人に対して、オーナーの批判をしたくなかったから。

「会う機会は減ってしまうかもしれないけど、ランチ行ったりしよう」
「○○ちゃんの夢、応援してるから!」
と、特にその彼女とはほぼ毎日働いていたし、私よりもネガティブな面があったので、彼女の目指す夢を応援する思いは強くあった。

連絡はしていなかったが、
ずっと応援していた。

独立した彼女とは頻繁に会っているので、
その中で彼女が活躍している話や忙しくしている話、今度会うんだという話を聞いていた。

彼女は頑張っているんだと、素直に嬉しかった。
今度は3人でランチに行こうとよく伝えたりもしていた。

数週間前、その彼女の誕生日だった。
私は久しぶりにLINEをして、お祝いを伝えた。
そして今度ランチをしようと誘った。

最近始めた新しい仕事にまだ慣れない私は、
日々クタクタ状態で、気付かなかった。

でも、気付いてしまった。

彼女から返信がないことに。

忙しくしてるからだろうと思ったが、
数日経つのに既読にすらなっていなかった。



まただ。

詳しくは分からないが、聞くところによると、
働く環境から私と関わりづらくなったようだった。


***


私には、分からないことがある。

私は、友達だと胸を張って言える相手が、
たとえ自分の好まない相手と付き合おうと、
たとえ自分と進む道が違くなろうと、
変わらず友達のままだと思っている。

誰と付き合おうが、
どんな働き方をしようが、
あなたはあなたのままだから。

私が大切だと思い、
応援したいと思った人だから。

長い間連絡を取り合わなくても
友達だと思い合える関係がある一方で、

どうしてそう簡単に友達ではなくなれるの…

私の友情が、人より重いのだろうか。


たしかに私は
深く狭く人と関わり合いたいと思っている。

大勢で騒ぐよりも、2人で語らう方が好き。

友達という存在をとことん大切だと思い、
何よりも大事だと思う。


友達の喜怒哀楽は、私の喜怒哀楽で、
友達の夢は、私の夢で。

かけがえのない存在。


大人になってから
本物の友達を作るのは難しい。

大人になってからできた傷はまだ癒えず、
いつまでも生々しいままだ。


私は友達という名の片思いをして涙する。


その傷も、その涙の跡も消えないままで、
新しい友達を作るのが怖いとさえ思えてくる。


それでも私はいつまでも淡い期待を胸に抱き、
友達になりたいと願ってしまうのかもしれない。


そんな傷を忘れたふりして。

私をサポート?!素直にありがとうございます。あなたのサポートは、真っ赤で、真っ黒で、時に真っ青なましろが真っ白になれるよう、note内で活かされ続けます。