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私から見たベトナム

ベトナムの旧正月に行った。そこで感じたことを忘れないようにメモしておこうと思った。

最近は何をここに書けばいいのか分からなくなっていたけれど、最近読んだ本に「書くことはただのメモである」と書いてあったので、今回はメモとして残してみようと思った。自分だけしか見れない日記とは別に、誰でも見れるこの場所で書く意味はなんだろうかとか考えていたけど、意味なんてどうでもいいなという結論に至った訳で、いつかここに戻ってきた時に分かればいいと思った。

ベトナムに住む友人に会いに1週間ほどベトナムに行った。ありがたいことにその子の家にお邪魔させてもらうことになり、伝統的な旧正月を過ごすことができた。良くも悪くも日本に住んでいたら絶対に気付けなかったことを知れた気がする。

私は都市ではなく、都市から2時間くらいバスで離れた田舎に泊まった。田舎の家の多くは自給自足をしている。自分の庭で鶏を飼っていて、野菜を育てていて、朝食に今朝仕留めた鶏の肉が出てきた時にはびっくりした。一方でびっくりするほどの豪邸がいきなり草地に姿を現すこともあった。友人が言うには一定数のお金持ちがいるらしい。シャッター街のようなボロボロの家と、大理石のような豪邸が同じ地区にあるのには驚いた。

ホーチミンにも行ったが、そこには多くの観光客と多くの物乞いがいた。バイクで信号が変わるのを待っている間に、子供とその親だとみられる人が声をかけてきて宝くじを買うように言ってきたり、小さな子供が座っているバイクの後ろに「この子たちは可哀想な子です。だからお金を恵んでください」と書いてあったり。特に前者は親ではなく子供に声をかけさせていて、親に「相手にされないよ。どうすればいいの?」というように見上げていて、何もしてやれない、何も知らなかった自分が恐ろしく無力に感じた。

別に何も関係ない、生きる世界が違うのかも知れない。そう思って私のように見逃す人もいるし、何かしなければと思って行動する人もいるのかも知れない。日本でもホームレスを見たことはあるし、物乞いがいることも知っている。でもこうやって目の当たりにすると、私が生きる世界が世の中の普通ではないと言うことを突きつけられた気がした。

トイレットペーパーの無いトイレ。35度を超すのに冷房のない部屋。食べた後の骨やゴミを下に落としてそのままにする人たち。車とバイクが接触するほどの交通量。

私にとっては異常な世界。でもそこで生きてきた友人にとっては普通の世界。
自分が生きてきた環境、作り上げてきた普通なんて簡単に崩れるのだなって思ったし、軽々しいけど私って異常に幸せだと思った。

ベトナム人はお金をかけたトランプが大好きだ。まだ5歳の子供も24時までトランプをする。特にお正月はみんな今年の運勢占いも兼ねてトランプでお金をかける。私も参加させてもらい、ひたすらに「シーヤ」と言うゲームをした。1番だった人はその年はたくさん稼げるらしい。その代わり恋愛運は最悪らしいが。同じゲームを3時間ぶっ通しでやるのは当たり前で、私は正直何が面白いのか理解できなかったし、少額のお金を掛けて一喜一憂できるのが不思議で仕方なかった。ギャンブルの神様?の画像をスマホで検索して、それにトランプをかざして毎回祈るほどには楽しんでいた。

多分、これは聞いてはないから真意は分からないけど「お金」に対しての考え方が日本と絶対的に違うと思う。
お年玉がたくさんぶら下がっている木。お年玉をもらう時に、相手に対して敬意を払い、祈る文化。
友人は「お金持ちになりたい」とずっと言っていた。彼は3カ国語話せるからお金持ちだとか、彼女の親はお金持ちだから高層ビルに住んでいるとか。もしかしたら私の友人だけかも知れないけれどスキルがあればお金が稼げる、お金持ちになれると言う思考が染み付いているのかも知れない。
英語や他の言語が話せれば、スキルとして認められ仕事が増える。お金が稼げる。日本のように就活という時期がないからかも知れないけど、大学を出ている人は自分の将来についてしっかり考えてスキルを身につけていると思った。実際大学を出ている彼女の周りの友人の多くは2カ国語以上を話せていた。

日本の大学の多くはスキルを得るためというより興味を広げるための学びを得るためという概念が強いと思う。実際は人生の夏休みなのかも知れないけれど。

でもベトナムでは将来の仕事で有利に働くスキルを身につけるためという思考が強い。これは大学に行くのが当たり前でないベトナムだからなのかも知れないが、「スキルで稼ぐ→お金が人生を豊かにする」という考えがあるのだと感じた。

スキルがなくてもある程度の生活の保障はされている日本。仕事がないと将来陥るであろう姿を日常的に目にするベトナム。

若者の学ぶ意思の闘志はここから出ているのではないかと思った。
ここで思ったのは、もしも自分の持っているものはそのままにして、友人の世界と私の世界を交換したら、私は世界から淘汰されるだろうということ。こんなにも環境が、その人の人生のハードルを左右するのだということ。

ベトナムに来なければ分からなかった。他の国よりも強く、旅行が楽しかったと言うよりも、自分の普通が覆される瞬間がたくさんあった。
友人は私が返った後に、私にとっての異質な環境の中で日常を送る。私は日本の日常に戻る。
それぞれの日常があって、それぞれの世界がある。
こりゃ、全世界丸ごと統一なんてリセットでもして一斉にリスタートしない限り無理だ。

逆に友人は日本に来た時に、どんなことを感じたのだろう。友人は日本語が話せるが、そうではなくて彼女の母国語で通訳者からでなく生の声が知りたい。そして彼女から見た日本として記録できたら面白いと思った。

ベトナム語は呪文のようで、理解できそうにないけれど。

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