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「闇のあとの光」Post Tenebras Lux(映画評)

解読することを拒む作品に出合ったとき、それについて語ることはとてもむずかしい。時間軸や因果律や印象深いキャラクターといった、ストーリーを読み解くための材料すら与えられず、まるで万華鏡を覗くように目の前に展開する映像をただただ体験させられる。座席に身をあずけ、視覚と聴覚をたよりに無力な観客としての自分を感じた115分間は、それでもなぜか心地よかった。

まずは、のっけから始まる映像が刺激的だ。山の麓の広大な牧場で、放牧された牛馬を無心に追いかける幼女。吠え声を上げる牧羊犬の群れ。美しい夕景と、しだいに暗くなる山際。走る稲妻。鳴り響く雷鳴。不安を掻き立てる犬たちの息づかい。家族の名を呼ぶ怯えた幼女の声。やがて圧倒する夜の気配があたりを支配する。画面はレンズのフレームを歪ませたように周囲が常にぼやけている。やがて、寝静まった家の中に侵入する赤い影。その造形は悪魔を想起させるものの、不気味であると同時にどこかユーモラスだ。


映像に意味を求めようとする観客を軽くいなすかような、この不穏でありながら長閑で滑稽な感覚は、作品全体をしたたかに包み込んでいるように感じられた。映像の周囲をぼかす手法も、観客がひたすらリラックスして映像を堪能できるようにという、カルロス・レイガダス監督の配慮であったかもしれない。レンズの向こうで悪魔が現れようと、乱交が行われようと、不運な遭遇によって牧場主が撃たれようと、観客はしょせん、万華鏡を通してあちらの世界を覗き見ているだけなのだから。

虫のすだく音、荒波の寄せる音、倒れる大木の悲鳴、バイクの轟音――鮮烈な映像と相まって聴覚に飛び込んでくる音の洪水も、強く印象に残った。見えるもの、見えないもの、形のあるなしにかかわらず、世界は重層的かつ神秘的であり、理性ではなく感覚を研ぎ澄ますことで、その一端を垣間見ることができるかもしれないことを、映像体験として教えられた気がした。

(監督はメキシコのカルロス・レイガダス。日本初公開作品となる本作は、2012年にカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞している。)

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