書評◆「津波の霊たち」(リチャード・R・パリ―)

防波堤を超える津波の映像をはじめて見たとき、器から水がとめどなく溢れるようだと思った。けれども家々を破壊し車を押し流し、瓦礫とともに田畑の上を進んでいく津波の空撮映像を見たとき、これはもう水の塊というより、触れるものすべてをのみ込む黒い怪物だと感じた。あれから7年が経つけれど、Youtubeには今もたくさんの津波の動画が上がっている。時どき思い出したように、私はそれらの動画を見る。不謹慎と言われるかもしれないけれど、私は津波の映像に深い感銘をおぼえるのだ。

東日本大震災という災害は、被災地の東北地方の人々はもとより、現地の映像を見た国内外の何万という人たちに、心を掻きむしられるような衝撃を与えたのは確かだと思う。東京在住の英国人記者、リチャード・ロイド・パリーの「津波の霊たち 3.11 死と生の物語」(早川書房)は、一外国人の目を通して津波災害と被災地の実情をきめ細やかに描いている。なかでも被災者とその遺族に寄せる思いは、粘り強い取材と日本社会に根づく非合理的思考を見抜く欧米人の視点に裏打ちされて、よりいっそう力強いのものになっていると感じた。タイトルだけ見ると、被災地の霊体験を扱った内容と誤解されそうだけれど(もちろん犠牲者の霊が引き起こしたと思われる不思議な体験談も描かれているが)、著者が取材を通して描きたかったのは、家族を失った人々の悲しみや虚無感、癒されることのない後悔の念だ。なかでも児童74人、教員10人という犠牲者を出した大川小学校の悲劇にページの大半を割き、残された親たちの被災後の心の葛藤をあぶり出し、日本社会の因習や常識にひそむ“魔物”が、この人災を引き起こしたのではないかと喝破するくだりはみごとだ。

いつか来る、きっと来る大地震。それは日本のどの地域に住んでいようと変わらない。複数のプレートが重なり合う場所に奇跡のように存在する日本列島。東北を襲った悲劇の映像は、いつの日か自分をのみ込む災害の“実像”なのだ。だから私は津波の動画を繰り返し見る。見ることをやめられない。瓦礫に覆われた被災地の泥の中に、私は自分の死の姿を探す。誰にもけっして避けられない、いのちの終りの様相を見て、納得できない気持ちを鎮めようとする。いのちの終りはなぜこんなにも残酷なのだろうか・・・・・・。

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