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極妻の様な祖母の感情を分かち合った話


11月から通い初めて
そして今年の1月からさらに受講を重ねておりました
「日本ホリスティックアカデミー」での
尊敬する村井啓一先生のアドバンストコースのご講義。

今週で最後の一日が終わりました。

その最終日にあった実技の一つが
「年齢退行療法」~感情の架け橋
といって、
現在の幸せな感情を思い出し、そこに繋がる過去の幸せを
ヒプノセラピーの催眠下で再体験する、というもの。
そのときのポジティブで肯定的なエネルギーが
受け手である人を癒し、楽になる…という
愛のセッションです。

ペアになっていただいた
Mさんは、とても包容力のある綺麗な女性で
なんだか懐かしい感じのする方。
私は安心して委ねていました。

トランス状態になると
見えてきたのは
父の実家、細いわたり廊下にうずくまっている
白い猫。
(実際に祖母は猫を飼っていました。)
小さな私
(私は実際には幼稚園には行っていないのですが
たぶんそれより前の年頃)
…が猫をあやしていると
見えてきたのは
向こうに着物を着て立っている祖母の姿。

小さな頃から
祖母は怖い人でした。
母も祖母の良い話は全くせず、むしろその逆で
さらに印象は良くありませんでした。

このセッションでは
まず子供の自分の気持ちに入り
そして
目の前にいる家族の気持ちに入り…
それを交互に繰り返して
お互いの氣持ちのやりとりを
催眠下でしていきます。

(実際に
クライアントさんは右脳を使って故人の言葉を語ったりする…とのこと。)

Mさんの誘導で
私の中に祖母の心が入った…!と思う間もなく
瞬時に、
祖母の激しい感情が私の胸の中で痛い程に爆発し
私は祖母の口調で泣きながら、ほとんど叫ぶように言葉を発していました。

「なんで
わぁ(私)ばかりがこないに寂しい思いせなあかんねん!」

理性の私の脳では
ただただびっくり…

そして、祖母が「子供の私」にかけた言葉は

「この子は強い子や
わて(わぁ?)とおなしやて、ちゃーんとやっていける」
そんな言葉だったと思います。

あまりの激しい感情の爆発に
(まるで極道の妻が降臨したかと思うほど・汗)
私は痛む胸をおさえながら

Mさんの誘導で
子供の私に入り、祖母に話しかけます
いつのまにか、子供の私も泣きながら。

「おばあちゃんに、逢えて、よかったよ」

実は
祖母は
父の実の母ではありません。

祖父のところに後妻でお嫁に来ました。

祖父は教師をしつつ
家は下宿屋で、
入り口が小さく奥に長いつくりの家でした。

私と祖母が
出逢ったのはこの家の長い細い、そして寒い廊下。

祖父の死後、祖母は晩年病気で亡くなりますが
そのとき、実は祖母に
外に子供がいたことが初めて分かるのです。

その後のごたごたは、
祖母の印象をさらに悪くするものでした。

でも

こんな寂しい氣持ちを抱えて生きていた祖母を
責める氣持ちには到底なれません。

昔のことで
もう分かりませんが

たとえば
自分の子供を
実家に預けて
お嫁に来ていたとしたら…

あるいは

後妻には来たけれど
子を成せないまま
つらい思いをしていたとしたら…

いつもつんと背筋を伸ばし
家の中は隅々まで綺麗にしていた祖母は

いったい何を想い
そうしていたのだろう

今まで
気づかなかった、気づくきっかけもなかった
20数年前に亡くなった
血は繋がらないけれど
どこか私に似ている
祖母の気持ち

そして

祖母が亡くなって
半年後に
亡くなってしまった
父の気持ち

セッションの最後は
幸せの感情を味わって
現在に帰ってきます。

私は
祖母と仲良く
猫に
魚の食べ残しの骨を舐めさせて
(当時は猫のえさはみんなそんなものだった)

祖母はわりとあっさりと
「ほな」
と去っていきました。

ほな 

一言、そう言って…

わたしたちのわだかまりが
大きく大きく
溶けていく様な氣がしました。

さいなら、は

言わない

きっとまた
どこかで逢えるから。

分かり逢えたから。

私が
村井先生のヒプノセラピーを学び始めた理由の一つは
このことを体験することでも
あったのかもしれないと
自分の中で思えた、
大きな出来事でした。

導いて下さった村井先生、
深い洞察で見守って下さったMさん、
一緒に受講したみなさん、
本当にありがとうございます。

そして
これを
ふとしたきっかけで読んで下さった方、

ありがとう。
ますます、幸せでありますように。

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