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震災から10年、被災地にて考える⑤

3月11日(木)今日は川内町小松屋旅館さんから

 朝ごはんを食べて、準備をして出発する前に、女将さんと話しをしてみた。川内村は震災の当時は震度6だったそうで、家屋自体にヒビが入ったり壁が剥がれたりと大変だったとの事。ただ幸いにも町には倒壊した家屋はほとんどなかったそうだ。津波で被災した富岡町方面からの避難者が逆に川内村に押し寄せた。小松屋旅館にも知り合いやその知り合い等でいっぱいになった。ただ2、3日経って原発事故の影響で川内村にも避難指示がでて、1年後避難指示解除が出るまでは新潟の知り合いのところに住んでいたとの事。
他にも近くでワイナリー作ろうとしている話を聞いてちょっと掘り下げて聞いてみる。高畠でもかかわっているけどワイン作るの自体は簡単だけど、良いもの多くの人に届ける、お金を稼ぐとなると大変だよなぁと感じている所で川内村も頑張ってほしいと思ったところである。今日は3月11日という事もあり色々感じる事や考える事が多い日になりそうだ。

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朝ごはんもしっかり、2食付きで7700円

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全体的にきれいにしているのが分かるのと、小物の配置が絶妙にいい感じ

草野心平資料館へ

小松屋の女将さんに勧められていた川内町の草野心平資料館へ足を運んでみた。草野心平さんは「蛙の詩人」として知られ、珍しい蛙の群生する川内村に惹かれて別宅を作ったとか。蛙でつながるご縁もあるんだなぁなんてちょっと驚きだった。ついでにスタッフの方に色々お話しを聞いてみた。
 川内村は林業で栄え木炭の加工なんかも盛んにおこなわれていた。木炭を送った代わりに草野心平さんから送られた蔵書が資料館の近くに展示されている。原発が出来てからは仕事で原発へ行く人も結構多かったとか。震災の影響は少なかったとはいえ、震災を機に町を離れた人も多いそうだ。特に若者は外に仕事がある場合も多く、川内町へ戻ってこないというパターンも多いそうだ。実際これはほとんどの田舎が実は抱えている問題で、震災はその実態を一気に加速させてしまうというのが実態かもしれない。平穏には戻ったけれど、傷を抱えたまま落ち着いてしまったというお話が印象的だった。

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草野心平資料館、朝一行ったのもあるがお客さんは私一人だった。

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天山文庫由来

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天山文庫はつい最近の震災の影響で中は見れなかった。

川内村~双葉町~大熊町~富岡町

川内村を出てから今日はより福島第一原発に近いエリアを回ってみた。

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今日のざっくりとした移動エリア、富岡まで南に抜けてから宿のある南相馬にまた戻る

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大熊町は全域帰宅困難地域となっており、各家の前にバリケードが、なんか現実感が薄れてくる。止まるとこなかったので写真はないが主要道路以外の町の入り口の道路が封鎖されていた。この辺のエリアは線量計は0.6~0.7μSv/hを示していた。

東日本大震災・原子力災害伝承館へ

 しばらく帰宅困難区域の中に2020年の9月にオープンしたばかりの東日本大震災・原子力災害伝承館。ここでは震災もそうだが特に福島でのみ被害にあった原発事故の内容が展示されている。今日は震災があった3月11日と言うことで、メモリアルイベントも行われていた。めちゃくちゃ混むかと思っていたが、特に待ち時間などはなく入れた。コロナの影響はやはり大きいかも知れない。各種メディアも撮影等で入っていた。ここは撮影禁止ということだったので、内容は文面のみでお伝えします。
 まずはいると丸い大ホールで福島第一原発ができるまで、事故にあってから、そしてこれからという話の動画が流れる。展示の演出もただプロジェクターで動画を流すだけでなく複数のプロジェクターで曲面に投影されたり、かなり凝っていた。その後は歩いて施設を見て回るのだけれど、震災の被害状況、被災した方々がどう立ち向かってきたか、原発事故はなぜ起こったか、放射能汚染の状況、これからの未来に向けて、というような内容が展示されていた。被災した方が自ら語る、語り部の会というのが一時間おきに行われていて、こちらは満員だった。一番印象に残ったのは原発事故が起こった理由を時系列ごとに追う展示の隣に「原発事故は人災」という解説があったこと。1974年の稼働から30年あまりの歳月の中でこういう事故が起こりうるという事は一通り指摘されてきたそうでやはり人災であるという評価がされているそう。確かに改めてその展示を見て思う事は電力供給がストップしたら冷却出来なくなってしまうなら、今回の事故は想定されるよなと素人目にも感じたところである。これからの未来の話では廃炉技術や事故対応という唯一無二の経験を元に、ロボット産業、エネルギー産業、環境産業、被災地域での農業水産業、などで革新的な拠点にしていこうイノベーションコースト構想という話で締めくくられている。ストーリーとしては前向きで可能性しか感じなかったが、何か引っかかる感じもする。一番は恐らくどこにどれくらいのお金が使われて、それでどこに所属する誰が夢を描いていくいて、誰がどうやって実現していくのか、そういう部分が見えないかったからかもしれない。またJDIの前例があるので鳴り物入りで始まった取り組みへ信頼感が薄いのもある。川内村での話を聞いた後という事もあり、少し離れた地域視点で考えると複雑な感情もある。ただし語られる希望はとても共感できるので頑張っていってほしいとは思うし、この動きは今後も注視していきたい。最後には写真展があり特に津波の被害当時の爪痕や避難時の様子等が克明に記録されていた。あとは施設にお金かかってるなーと感じた。この施設を中心に周りには記念公園や関連施設が建てられる予定だそうで、前述の部分もそうだがここに復興エネルギーの多くを注がれているように目で見てなおさら感じた。

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帰宅困難エリアの海岸沿いにある

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夜点灯する予定のイベントの準備が進んでいた。セレモニーイベント等には若い人も結構かかわっている感じを受けた。著名なアーティストのコメントを集めている展示等もあった。

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海岸沿いは綺麗に整地されていて公園や色んなものができるのだろう

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お昼は地域で昔から愛されるという浪江やきそば、どちらかというと焼うどんという感じ。ボリュームあって満足感がある。

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海沿いの線量はかなり低め。

富岡町を歩く

 福島第一原発にはどこまで近づけるのだろうと思い、伝承館から南へ車を走らせる。どうやら福島第一原発が見えるところまで行くには許可が必要そうだったので諦めて大熊町を抜けて一番近い居住可能エリア富岡町を目指す。大熊町は帰宅困難エリアで幹線道路沿いにすき屋やかっぱ寿司、しまむら等の店舗が綺麗なまま残っていたり、町に入る道はほとんど封鎖されており、バリケードの量もより多く印象深かった。で富岡町の駅前とショッピングモールがあったのでその辺りを歩いてみた。

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浪江駅~富岡駅区間が復旧して全線復旧したのは2020年3月14日だそうだ。ちょうど電車が走っているのを見れた。奥の方では引き続き工事が進む。

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富岡駅外観

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駅の放射線量

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富岡駅ちょっと上から

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ちょっといい感じの物件が立ち並ぶ

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集合住宅も結構立っている

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幹線道路沿いにあるショッピングモール、日常生活は送りやすそうだ。

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もう一つ行きたかった東京電力廃炉資料館は新型コロナウイルス感染拡大防止のため閉鎖中、まぁ色々大変なのかなとか想像する。

 富岡エリアは不動産開発の力場を感じた。モデルハウスから単身世帯向けのちょっといい物件まで、田舎郊外の高級住宅エリアという感じが出ており、小高や浪江とは違った雰囲気がある。集合住宅も外装等ちょっとこじゃれた感じだった。すでに入居始まっている物件は満員御礼の表記も以外とあるがまだまだ空き地も多い。原発エリアに一番近い居住エリアであり、ショッピングモールも残っていたり、学校が近くにあったりと、復興関係で訪れる若い人には人気が出そうだ。あとこの辺はある程度お金払いがいい人が多いだろうという事が想定されているかも。海岸のすぐ近くにある富岡駅前は空き家的なものはほとんど見られず、津波の被害が大きかったのかなと想像される。元々原発関係で居住する人も多かったのかもしれない。ショッピングモールを歩いていると14時46分をお知らせする時報が、近くにいるみんなが1分間の黙とうをささげた。

農家民宿いちばん星さんへ

 富岡町を後にし南相馬市へ再度戻り、農家民宿いちばん星さんへ。宿の日程がうまく合わず北へ南へ移動したが、人と会えたり拠点に意思がこもっているかが大事なのでこんな感じになった。

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農家民宿いちばん星、オーナーが星さんというらしい

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玄関入ってすぐ甲冑が目に付く

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今日のお部屋

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ウェルカム草餅とお茶、おもてなしが嬉しい

 到着してからお風呂に行くと、やたら大きく綺麗な浴場でビックリした、途中から近所のおっちゃんも入ってきて、あぁ一般にも開放しているのかと納得する。震災後の共同浴場的な機能もあったのかなと想像する。休憩しながらポチポチブログ書いていると宿の旦那さんから、これからみんなで3.11追悼の花火を見に行くのだけれど一緒にどうか、とのお誘いをいただき同行させてもらった。同行した方々はここの常連さんらしく気さくな感じだった。

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堤防で打ち上げた花火、ほんとに目の前まで移動してくれて大迫力だった。何となく遠くに見れるかなーとは思っていたが今日ここに泊まる事にしてよかった。
動画は下記より

​花火をみんなで見た後は、なんとなく仲良くなった常連の皆さんとオーナーと一緒に晩御飯をいただいた。

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野菜ソムリエの方が作る晩御飯、どれも丁寧なのと品数にビックリ、とてもおいしくさらに熱燗までいただいちゃいました。

 今日お話しした方々は中越地震の際に立ち上がったNPO法人のメンバーで、震災後色んな楽しい活動をしてきたそうだ。そんな中東日本大震災の折にこちらの方にもボランティアで足を運ぶようになり、最近は毎年この時期になるといちばん星さんに泊まるのだとか、一番お話しした女性の方は今年68歳になる方だったが、子供が4人いるそうで間もなく孫とひ孫がどちらも生まれそうな話、知人宅の雪下ろしの仕事を格安で請け負っている話、骨折したけど気づかず翌日まで普通に寝てた話など、元気エピソードをたくさん聞いた後で、こういう人達と話している方が私自身も元気になるなぁと感じた。どんな場でも一番重要なのは結局年齢や性別関係なくみんなが元気に楽しくいる事が重要だと再認識した。後ろ向きに、何かに縋ろうとする人に人は寄り付かない。みなさん若者へ配慮しながら構ってくれてありがたい限りである。

 熱燗呑んで話が盛り上がって部屋に戻ってこれ書き始めたが、途中に気持ちよく寝てしまって目を覚ましてまた書いている。もう5時だ、10年目の3.11だからどうという事なく酔って寝ていたら過ぎていた。10年をきっかけとして、私自身の学びであり遊びであり記録でありこれを書いているが、それが一々何か重大な意味を持つわけではないのだろう。
書き終えたので寝るとする。明日の移動は眠そうだからのんびりいこう。

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