従軍慰安婦問題の本質はどこにあるか -松竹伸幸氏論考より

(松竹伸幸『慰安婦問題をこれで終わらせる』P58-67より)


慰安婦問題とは何なのか。どこに本質があるのだろうか。 その点を論じるために、まず、慰安婦をめぐる事実関係を確定しておきたい。軍は慰安婦にどうかかわっていたのか、慰安婦はどういう状態に置かれていたのか、「強制性」はあったのかどうかである。

 だが、私が「これが事実だ」と言っても、そもそも慰安婦問題などは存在しないという立場の方 は信用してくれないだろう。そこで、朝日の報道をずっと批判し、市民運動からは「敵」のように 批判されてきた三人の言説を取り上げ、紹介したい。三人とは、櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)、 秦郁彦氏(歴史学者)、西岡力氏(国際基督教大学教授)である。この三人の言説のなかに、当事 者である慰安婦や市民運動が肯定できるものがあれば、そこまでは事実だと認定できるだろう。またそうなれば、政治的立場の違いを超えて、多くの国民が慰安婦問題のどこで一致できるのかも明確になるのではなかろうか(発言の出所は、とくに明示しない限り「文藝春秋」週刊文春臨時増刊 一四年一〇月三日号。過去の『文藝春秋』、『諸君』に掲載された論考の集大成である)。


◇慰安婦制度には国家が深く関わっていた


 まず、慰安婦という制度に国家・軍が深くかかわっていたことについては、誰も否定する人はいない。吉田証言の誤報を認めたことに端を発する朝日批判の嵐のなかで、慰安婦問題に熱心だった 人のなかには、慰安婦は民間がやったとして軍の関与を認めないのが朝日批判派だと思い込んでいいる人もいるが、そんなことはありえない。

たとえば秦氏は、慰安所への軍の関与の形態について、慰安婦問題の第一人者とも言われる吉見 義明氏の以下の分類を引きつつ、慰安所の分類を試みる。

吉見義明は、広義の慰安所を次のような四十五のタイプに分類している。

A. 軍の直営
B. 軍が監督統制し軍人・軍属専用
   b1. 特定の部隊専属
   b2.都市などで軍が認可(指定)
C. 軍が民間の売春宿などを兵員用に指定する軍利用の慰安所で、民間人も利用
D. 純然たる民間の売春宿で軍人も利用)

 秦氏は、「この分類はほぼ妥当だと思う」とする(『慰安婦と戦場の性』新潮社)。もうひとつの タイプとして、<料理屋、カフェー、バーなど売春を兼業した施設>を付け加えているが、慰安所が軍の管理下にあったのは自明の前提なのだ。

 軍との関連を当然視するのは、櫻井よしこ氏も同じだ。氏は、

「日本人の多くが慰安婦という存在を軍の全体の仕組のなかにとりこんだ当時の状況そのものに、強い疑問と嫌悪感を抱いているのではないだろうか」

と述べている。慰安婦を「軍の全体の仕組みのなかにとりこんだ」ものとして捉え、それへの嫌悪感を表明しているのである。

 

◇慰安婦は人権が侵害された状態に置かれていた

 次に、こうした慰安所にいる女性の状態をどう捉えるかである。三人とも、人権が侵害された屈辱的な状態に慰安婦がおかれていたという認識で共通している。まず西岡氏。

 人身売買による強制売春であっても人権が著しく侵されていることには変わりはなく、その 意味で金さん(最初に名のり出た金学順さんのこと引用者)は被害者であり、深く同情する。 どのような事情があるにせよ、結婚前の女性たちが戦地で慰安婦としての生活を余儀なくさ れたことは大きな悲劇であり、彼女たちが現在不遇な老後を送っているなら福祉的な支援を考えるべきだ

櫻井氏も言う。自分の意思で行ったかどうかにかかわらず、屈辱性は変わらないというのだ。

 戦地で、多数の兵たちを相手に性をひさがざるを得なかった女性たちの心は、如何ばかりで あったろうか。どのような事情で行ったにしても、たとえ、自覚して行ったにしてもそれは耐え 難い体験だったはずだ。まして自らの意思ではなく、騙されたり強要されたりして慰安婦にされた女性たちにとっては、絶望的、屈辱的な日々だったと思う

秦氏も、慰安所のいろいろな事例を引きつつ、

まさに「前借金の名の下に人身売買、奴隷制度、 外出の自由、廃業の自由すらない二〇世紀最大の人道問題」(廓清会の内相あて陳情書)にちがいなかった

と述べる。つまり、陳情書の紹介というかたちではあるが、「奴隷制度」という言葉まで使って、当時の実態を描写しているのだ。

 なお、この三人ではないが、自民党のなかで安倍首相に近いとされ、河野談話見直しの急先鋒の一人として、萩生田光一氏(自民党総裁特別補佐)の言明をあげておこう。彼でさえ、

「慰安婦という職業が、戦争という極めて異常な事態のなかで存在したこと、それが女性への人権蹂躙であっ たということは国も認めています」

ということは表明するのである。

 

◇自分の意思に反して慰安婦にさせられた女性がいた

では、焦点の「強制性」はどうだろうか。 西岡氏について言えば、冒頭に引用したように、最初に名のり出た金学順さんについて、「人身売買による強制売春」としている。軍の指示による強制連行は強く否定し、売春だというのである

が、それでも強制させられた事例があることは認めているわけである。 桜井氏は次のように述べる。

旧日本軍が慰安所の設置や管理に関わっていたこと、自分の意思に反して慰安婦にされた女性たちがいたこと、その点では強制的な要素は否定できないことがすでに明らかにされている

 国家が強制したものだという認識は表明していない。だが、個々の慰安婦にとっては、「自分の 意思に反した」ものであり、「強制性」があるというのが氏の立場なのだ。

 秦氏は、先ほど引用した自著のなかで、実証主義を旨とする歴史学者らしく、慰安婦になったいろいろな事例を紹介する。そのなかには、だまして慰安婦にした事例が多い。たとえば、京城で発行されていた三十九年三月五日付の「毎日新報」を根拠に、以下のような事例を紹介している。

「生活難であえぐ貧しい農夫の娘達」に、いい仕事があるとだまして、約一五〇人を満州や中 国本土などに七○○円から一○○○円で売ったという

  これ以外にも、文盲を利用して保護者の承諾書に指紋を押させたり、下級役人と結託して書類を 偽造した例があるとする。秦氏は、これらを「強制連行」に分類することはないのだが、だましも 強制連行だとする立場の人から見れば、秦氏も「仲間」だということができる。秦氏はまた、「現実には募集の段階から強制した例も僅かながらあります」として、「強制」という言葉を使って事例を紹介したこともあるのだ。

要するに、国家が指示して強制的に慰安婦にしたことは、誰も認めない。だが、慰安婦にとって は強制的なものがあったこと(どの程度の数かは別にして)は、誰もが認めているのである。

植民地支配の問題にもかかわっている

なお、慰安婦の問題と日本が朝鮮半島を植民地支配した問題がどうかかわるのかという問題も、 ひとつの焦点である。この点で西岡氏は次のように発言している。

 一方、日本政府の対応の拙劣さも一向に変わらない。そういう歪んだ構図で登場してくる過去の問題に対して、これまで日本政府はなんら主体的な行動をとってこなかった。何か問題が出てくるたびに、資料がなくて事実関係が不明と答え、韓国政府の要求や日本のマスコミの新資料 発見に押されて、謝罪するということを繰り返してきた。なぜ日本政府はそうした対応しか取れないのか。その一番の原因は、植民地支配の全体像を日本の立場できちんと捉え直す作業をこれまでまったくしてこなかったからだ。
 日本政府は早急にカネとヒトを投入して、本腰を入れた植民地時代研究をはじめるべきである。 過去の過ちを謝罪し、反省するためにはまずそれをきちんと自分の手で調べてみる必要があるのだ。その結果なすべきことがあれば、韓国側から要求されなくてもやるべきだ

  読売新聞は、もっと明快に言い切る。

慰安婦問題は、日韓関係に刺さった大きなトゲである。日本の植民地支配に起因していることは間違いないのだから、真摯な反省のもとに対応することが重要。(『徹底検証 朝日「慰安婦」報道』中公新書クラレ)

 

◇感情的な対立はあるが意外に大きな違いはない

 慰安婦問題をめぐっては、政治問題となった九〇年代初頭から二〇数年、国家による強制連行だ と主張する人々と、そういう事実はないとする人々との間で、はげしい論争がくり広げられてきた。 その論争が沸騰するなかで、両者の間では、感情的な対立が生みだされてきた。

 強制連行を否定する人は、それを認める人々から、まさに人非人のような存在とみなされた。軍 の関与は認めているのに、民間がやったことだと言い逃れしている人だとみなされ、重大な人権問 題だと表明しているのに、女性の人権など露ほどにも大切にしない存在だと思われ、強制的な要素はあると言っているのに、女性が心から望んで慰安婦になったと主張する人々だとみなされ、批判を受けてきた。

 他方、強制連行を否定する人々にとってみれば、強制を主張する人々は、事実を見ないデマゴーグである。証拠文書はひとつも見つからないのに、証拠がなくても有罪だとわめきたてている連中であり、自分の意思で慰安婦になったという証言があるのに、無理矢理にそれも強制だと強弁する連中である。 しかし、いま見てきたように、冷静に議論を整理してみると、それほどの対立構造があるわけ はない。慰安婦制度というのは軍の存在なしにはそもそも成立しないものであって、その意味で国家が深くかかわっていることも、慰安婦の人権が侵害されたことも、多くの女性が意に反して慰安婦になったことも(もしかしたら、これを「強制性」という言葉で表現できることも)、大枠での 一致があるのである。

 つまり、根本的に異なるのは、強制連行にせよ強制性にせよ、それを国家が命令したかどうかと いう点だけなのである。それに付随して補償問題の違いがあるだけなのである。

◇強制はしていないが意に反しているという矛盾

 ということは、慰安婦問題を解決する上で必要なのは、その違いをどう捉え、どう整理するかに かかっている。一方には、国家は慰安婦になることを強制していないし、実際にそういう命令を出した証拠もないという立場がある。他方には、女性は意に反して慰安婦にさせられたのであって、強制を認めないなんてとんでもないという立場がある。絶対に相容れないように見えるこうしたふたつの立場が、実はそれほど違わないというのであれば、日本と韓国の間でも、あるいは日本国で対立してきた勢力の間でも、この問題は合意に向かうことができるのではないだろうか。

 このことは日本政府にとっても大事になっている。産経新聞の報道で知ったのだが(『歴史戦』 所収)、二○一四年七月、国連欧州本部(ジュネーブ)において、国連の自由権規約委員会が開か れたときのことだ。日本に対する審査がおこなわれ、慰安婦問題で日本政府が発言し、南アフリカ の委員も発言し、両者のやりとりがあったらしい。それを聞いていたイギリス出身の議長は、日本 政府の説明が矛盾することを指摘した。そして、委員会による最終見解では、日本政府が「慰安婦の強制連行はなかった」と主張しながら、河野談話に「本人たちの意思に反して集められた事例が 数多くある」とあるのは、「立場に矛盾がある」と明記されたという。

 これは、産経新聞からすれば、だから河野談話が間違っているのだ、ということになるのだろう。 しかし、「慰安婦の強制連行はなかった」という主張と、「本人たちの意思に反して集められた事例 が数多くある」という主張は矛盾しない。



以下、秦郁彦『慰安婦と戦場と性』(P53-57)から、自由意志に反した慰安婦が現地に送り込まれてしまっていたということが結果的にわかる論考。

 

公娼制の戦時期の変容について

 満州事変と満州国の建国(一九三二)は、売春の流れをさらに変えた。当時の出入国管理体制では、日本人 (内地人)が中国および満州国に出入するときは旅券を必要としなかった。

 朝鮮人の場合、内地への渡航は許可制になっていて、釜山と下関で警察の手によりチェックされていたが、満州国への出入は陸続きで、釜山→新京、新京→北平の直 通特急列車が走り、フリーパスも同然となっていた。

 相手国側の規制がないので、関東軍や日系官吏、一旗組の民間人をあてこんだ多数の日本人と朝鮮人売春業者 が殺到した。満州国はこの種の総合統計を作成していないので、実態ははっきりしないが、金一勉は「満州に連れ出された女性の大部分はだまされた朝鮮少女であり、 残りは九州北部の日本人の商売女だったようである」と書いている。

 だが三十三年六月熱河省を視察した中山忠直は「日本軍 が支那婦人を冒さぬのは、娘子軍あればこそで、彼らは 決して単なる淫売ではない」と評価し、「砲弾の間を」 かいくぐって兵糧」を運んだり、負傷兵にとって「妻の如き」看護婦」だったと賞揚した。

 それにしても、業者の悪徳ぶりが目に余ったからだろう。警察は刑法二二六条(国外移送誘拐罪)を適用して、 彼らの摘発に乗りだす。 『大審院刑事判例集』には、この条文の適用をめぐって 大審院まで争った事例が二つ載っている。一つは一九三六年満州国牡丹江でカフェー「ミス東洋」を経営する日本人女性に女給募集を依頼された二人の業者が、佐賀県の飲食店で女中奉公をしていた十八歳の女性を高収入で誘った件で、未成年と知りつつ親権者の承諾を得なかっ たのが心証を悪くしたらしい。両名とも佐賀地裁で懲役二年の刑を食い、上訴したが、三七年九月大審院で棄却されている。

 もう一つは、一九三〇年から上海で日本海軍軍人を顧客とする醜業に従事していた村上某が、三二年の上海事変にさいし「海軍指定慰安所」なる名称で営業の拡張を はかり、数人の周旋人などに依頼して、長崎地区で十五人の婦女を「女給又は女中」とだまして上海へ移送した 件である。

 村上は移送の実行行為には加わっていないのを理由に 控訴したのだが、大審院は全員が共同正犯なりとし 審判決を支持、三七年三月に棄却の判決を出した。

 また司法研究所の『刑事裁判例」には一九三八年五月、華北の済南で料理屋を営む森本某が酌婦募集のため金沢へ来た時、甘言をもって三十三歳の女性(飲食店経営)」 を周旋移送した武部某(詐欺の前科あり)を、懲役四年 に処した金沢地裁の判決(三九年六月)が紹介されている。

 第二、第三例はいささか強引な解釈と言えぬこともないが、「一罰百戒」的な意味をこめた政策的配慮かもしれない。

 似たような事例は朝鮮半島でも見られるので、二、三 の事例を挙げてみよう。

 一九三九年三月五日付の『毎日新報』(京城発行のハングル新聞)によると、逮捕された河允明は、妻とともに 三二年から各地の農村を歩きまわり、「生活難であえぐ貧しい農夫の娘達」に、いい仕事があるとだまして、約百五十人を満州や中国本土などに七○○円から一○○○ 円で売ったという。

 ついでに河から五十余人の女を買った京城の遊廓業者 を警察が呼び出すと、それを察知して彼女たちを牡丹江 や山東省に転売したことも判明する。

 つづいて起きた「第二の河九明事件」では、犯人の 襲長彦は一九三五年から四年にわたり百人余の農村女性をだまして北支と満州に、百五十余を北支に売りとばしているまたこの種の国外移送にさいし、渡航許可に携った役人が戸籍を偽造するなどの汚職に手を染めていたことも判明した。 二つの事件を検討した尹明淑は、女が女性を売る場合、国内より中国や満州国のほうが二倍以上の利益を得られた、と述べているが、詐欺の手口も内地に比べると、はるかに単純で荒っぽいものだった。文盲を利用して保護者の承諾書に指紋を押させたり、下級役人と結託して書類を偽造した例もあった。

 廃娼運動と連動したかにも見える警察や司法当局の強硬姿勢は、日中戦争初期の段階までつづく。 ともに一九三七年末から翌年一月にかけて、各県の警察部は軍から依頼されたとして大規模な戦地向け慰安婦の募集プロジェクトに業者が暗躍していることを知る。

 調べてみると、元凶は神戸福原遊廓の大内藤七という男で「上海派遣軍陸軍慰安所に於て酌婦稼業(娼伎同様)を為すこと」との前提で、年季二年、前借五○○~一○○○円で十六ー三十歳の女性約五百人(あるいは三千人)を集める予定で、すでに二百三百人が現地に渡っていることが判明した。

 内務省は苦慮した。「醜業を目的とするは明かにして公序良俗に反し、皇軍の威信を失墜すること甚だしき」といったんは決めつけたものの、どうやら軍の希望にそったものらしいとわかったからである。

 けっきょく内務省は「募集周旋等が適正を欠くと、帝国と皇軍の威信を傷つけ、婦女売買に関する国際条約にも抵触する」ので、条件付で「婦女の渡航は.........必要己むを得ざるもの」として当分の間黙認することとし、各県へ通達した。

 条件とは「現在内地に於て娼妓共の他事実上醜業を営み満二十一歳以上」の婦女に限り、警察署が渡航のための身分証明書を発給するに際し、婦女売買や略取誘拐でないことを確認せよというものだった。「満二十一歳以上」の条件を付したのは、すでに書いたように日本も加入していた「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」 (一九二二)を盾にとったのである。

 だが、陸軍省外務局とか内務局という自嘲的な言葉も ささやかれていた御時世に、軍の威光に逆らうのは所詮はむりである

 三八年十一月には、南支派遣軍の久門少佐参謀と陸軍省徴募課長から「慰安所設置の為必要に付醜業を目的とする婦女約四百名を渡航せしむる様配意ありたし」との 申出が来ると、内務省は「各地方庁に通牒し密に適当なる引率者(抱え主)を選定、之をして婦女を募集せしめ の希望 現地に向はしむるよう手配されたい」と指示した。そして、大阪二○○、京都一○○、兵庫二○○、福岡一○○、 と、 帝 山口五〇名の枠を割りあてたが、台湾総督府分の三○○名はすでに手配ずみとある。

 もっとも現地で軍慰安所の経営に当る業者の選定については、内務省も頭を悩ませたらしく、各知事あてに「貸座敷業者等の中より特に身許確実な者」を選定せよ、 とくどいほど注意している。

  この点は陸軍側も困惑していたところで、三月に陸軍省兵務課起案で北支方面軍と中支派遣軍にあて「内地に於て之が従業婦等を募集するに当り故らに軍部読解等の名儀を利用し......募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受くる者」があるので、「之に任ずる人物の選定を周到適切」にせよと指示しているところだった。

 戦争第四年の一九四〇年に入ると、慰安婦の需要もほぼ満たされた代りに、一儲けを企図し或は其の他の不正行為を為す等の如き所謂不良無頼の徒輩」の渡航が目に余ってきたので、外務、内務両省は巻き返しをはかる。

 五月の閣議で「不要不急の渡支を極力制限」する主旨 とのを決定、出先の領事館警察が発行した「渡支事由証明書」と内地警察の身分証明書がそろわないと渡航できないようにしたのである。

 表2-13は渡航を拒否された事例だが、領事館警察官が署長印を勝手に押して処分された事例も報告されており、どこまで実効が上がったか疑問である。

 以上、引用終わり


【ポイント】


①1940年頃に慰安婦の需要が満たされるまで、またその時期においても、誘拐などの不正行為が横行していた

②また、これらの行為は国際条約に違反していることも把握されていた。

③途中から、内務省や現場の領事警察官が水際作戦で阻止をもくろんできたが、その効果については「どこまで実効が上がったか疑問」(秦氏)

④すでに送り込まれてしまった、未成年者、また不正行為や甘言などで騙された慰安婦について、これを帰国させたという記録は、ひとつふたつの事例はあるものの、全体としては全く記録されていない。

⑤加えて、これらの業者の甘言などによって自由意志ではなく慰安婦になったものの存在は、現場の兵士等によって多数証言されている。




 

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