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藤井風は天才で、怪物で、優しい顔で笑う人。


藤井風。




誰もがご存知のとおり、天才。


どれだけ売れたとか、問題じゃない。
彼はもう別格。


宇多田ヒカルとか、椎名林檎とか、今後何があろうが揺るがない絶対的なアーティストというのが数年に一人くらい出現するが、彼はそれ。

齢25にして。



今回は彼はどうして特別なのか、その辺を語りたい。

それでは、行きましょう!


1.彼のカバー動画は最高



僕が彼を初めて認識したのは、およそ3年前のある動画。
そう、彼はyoutube界隈から出てきた新時代のアーティストだった。


カーペンターズの「close to you」をカバーした動画がきっかけだった。

この動画、僕の尊敬する女性シンガーの方がTwitter(現:X)上で紹介していたのだけど、「もはや18禁動画」みたいなコメントが添えられていたのをよく覚えている。


僕は常日頃から音楽における「エロい」は最大の誉め言葉と思っているので、興味津々で動画を視聴した。


そしてぶっとんだ。

これはエロ動画ですわ。



「イケメン」などという言葉にはとても収まらない雰囲気。
色気。オーラ。圧倒的な佇まい。


動画に映る彼が当時まだ20歳そこそこという事実が信じられなかった。


なんだこの男は…



そこからである。
彼のカバー動画を片っ端から…多分すべて視聴した。


で、ちょっと聞いて欲しい。
彼のカバー動画って最高なのである。


何が最高って、この「映え」絶対主義の時代において、彼はそういう「盛る」みたいな概念に全く興味がないところだ。


音も映像も、かなりラフなものが多いのである。
ほら、見てください。

なんだそのサムネは。


バーっと弾き語って、サッと撮って出したって感じの動画が多い。


これ常々思うことなんだが、最近のYoutubeやインスタ界隈、アマチュアでも素晴らしい編集技術を持つ方が増えてきて、それはそれで素晴らしいのだけれど、こういう動画って疲れた時に見るとちょっとしんどいのである。


情熱と若さとキラキラ感が、どうにも疲れ目に眩しいというか…
どうも30超えてからそれが顕著になってきた気がする。
中年にはケーキは重い。蕎麦とかをすすっていたい。


あと、加工や映えを気にしすぎた結果、逆に奏者との距離感を感じてしまう動画って結構ある。画にフィルターかけて、音もいくつも重ねて、音程補正、音圧爆上げ、華やかだけどそれライブで再現できるの??っていう…



その点、藤井風は違う。

この画質に、手作り感あふれる字幕。
マイクすらない録音環境に、サっと録ったであろうオーバーダビング…



あぁ、風きゅん…風きゅんを近くに感じるよぉ…


でも、これで良いのである。


彼のカバー動画には彼の愛嬌、ユーモア、圧倒的な演奏技術と、
何より音を鳴らす楽しさが濃縮されている。


素材に魅力があれば、こんなさっと炙っただけみたいな調理法でも、音楽は十分美味しくなるのだ。初期のビートルズとかそんな感じだよね。

こんなカバー動画が無料で見放題の、彼の公式チャンネル。

マジで全部見てる

一体世の女性にどれほどの生きる活力を与えてるのだろうか。



マジで国の無形文化財に推薦したい。

ぜひじっくり見てみてください。


2.彼のミュージシャンとしての素質


そんなわけでカバー時代から彼の活動を見守ってきたわけだが、おそらくこの時の彼のままなら現在ほどの地位には至らなかっただろう。


そう、彼の活動には、いくつか予想を超えて驚かされた瞬間があった。
それがこちらです。↓


①藤井風、歌こんな上手いの??


実は彼は初期、弾語りではなくピアニストとして演奏していた
そんな中アップされたとある動画にて彼の歌声を初めて聞いた時、

「え、歌もこんな上手いの??」

と思った。


歌唱力がものすごいとかではなく、味が凄かったのである。


まず、そもそも地の声が非常にゆったりリラックスしており、良い倍音を含んだ深い声。そんな彼がひとたび英語を歌えば、まるで洋アーティストのようなフィーリングに、強いグルーヴ感。おそらく耳が良いのであろう発音も良く、発声もリラックスして耳に心地よい。なんとも味わい深い歌声だったのである。


おそらく彼がこれまで浴びるように聴いてきた良質な音楽、ピアノで培われたスケール感、岡山弁の方言などが彼の中で融合し、一種のカオスが発生したのだと思う。



でもこれは持論だが、歌手に必要な素質は「すごい歌唱力!上手!!」よりも、「なんか知らんけどすげー良い!!!」というベクトルだ。


そういう意味で、彼の歌は多くの人を魅了する魔力を持ち合わせていた。


②藤井風、こんな曲作れるの??


そんな経緯で、彼がオリジナル曲を作ったのは意外と最近である。
デビューシングルの「何なんw」のリリースが2020年。


2020年て。

ついこないだのことやないか…。


で、この頃には「知る人ぞ知る」程度に知名度を獲得していたであろう彼だが、そんな彼のことを知るリスナーも初めて「何なんw」を聴いたとき、誰もが「え、こんな曲作れるの???」と驚いたに違いない。


と言っても、もの凄い大傑作を作ったわけではない。
これまた、味が凄すぎたのである。

良質なビート。シンプルな楽器構成。
アンサンブルの中でも存在感を発揮しまくる藤井風のピアノ。
おふざけか意味深なのかよくわからない歌詞。
深い低音からの、縦横無尽のフェイク。
そして最高にクールなMV。



覚えておいてください。名曲を1曲作っただけではファンは増えません。
ですが、作った曲の味がもの凄かったら、ファンは増えます。
更にそれを作り続ければ、ファンは自然発生的に増加するでしょう。


味が凄い曲というのは何度も聴きたくなるスルメソングということであり、さらに「やめられない、止まらない」中毒性があるということ。


藤井風の生み出した楽曲は、まさにそれだった。


「何なんw」などという、一見本気なのかふざけているのかわからないこの曲を世に放った時点で、彼を知る人は、もう二度と彼から目を離せなくなったのである。


3.「何なんw」 曲分析


さて、ではこの流れで「何なんw」を少し紐解いてみましょう。

サウンドも気になるが、特筆すべきはまずその歌詞。
一体何について歌った曲なのか?

あんたのその歯にはさがった青さ粉に
ふれるべきか否かで少し悩んでる
口にしない方が良い真実もあるから

何なんw / 藤井風

雨の中一人行くあんた
心の中でささやくのよ そっちに行ってはダメと
聞かないフリ続けるあんた
勢いにまかせて 肥溜めへとダイブ

何なんw / 藤井風

え、ええと…


わからん…主題が、何一つわからん…!


ただふざけた歌なのかと思いきや、何か意味深なようにも思える。
少なくとも巷に溢れるポップソングの文脈では無さそうだ。これはどう手をつけるべきか…と思ったら、藤井風本人の解説動画があった。

それがこちら。

「この曲は 誰しもの中に存在するハイヤーセルフを探そうとする歌です」


???


「ハイヤーセルフとは神様みたいなもんで」

「わしはハイヤーセルフが一人一人の内に存在していると信じています」


待って。風くん。待って。
情報量に頭が追いつかないよ。


しかし…少しわかった。この曲は地に脚をつけた現実的な「自分」と、もう一人の「それを俯瞰する高次元の自分」との会話を描いている。


つまり、冒頭の「青のりを指摘するか悩んでる」のは高次元の自分が、現実の自分を俯瞰して考えていること。「そっちに行ってはダメ」というのも、現実の自分が危ない方向に行くのを、ハイヤーセルフが内なる声で制止しようとしていたのだ。


つまり、この曲は、

「もっと自分の内なる声に耳を澄ましてごらん」
「そうすればきっと良い方向に行くよ」


ということを歌っているのだ!

いやわかるか!!そんなの!!!


やばいやばい。やべえよ。


デビュー曲でこれだと。
藤井風、相当ぶっ飛んでいる(褒め言葉)。



昨今の、特に日本のアーティストには珍しい、スピリチュアルな方向だ。
やっていることは殆ど後期のビートルズと同じだ。


余談だが、僕はビートルズが大好きである。



あーじゃあ何も問題ないな。(錯乱)



4.「帰ろう」 曲分析


せっかくなので、もう一曲だけ分析しておこうと思う。
藤井風の曲で、僕が一番好きな曲。

「帰ろう」である。

この曲は、「何なんw」よりいくらか分かりやすいように思う。


というのは、明らかに「生と死」について歌った曲だからだ。
日本人なら、誰しも伝わるものがあると思う。

ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
あの傷は疼けど この渇き癒えねど
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう

帰ろう / 藤井風

さわやかな風と帰ろう
やさしく降る雨と帰ろう
憎みあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう

帰ろう / 藤井風

歌詞中における「家に帰る」とは、「この場所(=世)からいなくなる」
ことを暗示している。

「あなたを遺して、私が去る日はいずれ来る」
「その日に備え、私たちはどうしたら良いんだろう」

というようなことを歌っている曲だ。

この曲にも解説動画があり、藤井風自身がその点を明言している。

「この曲では自分にこう問いかけています」
「『幸せに死ぬためには、どう生きたらええの?』」


改めて20代前半の人生観とは思えないが、この兄ちゃんに関してはそれを言い出したらキリがないので、今後そこにはもう触れないことにする。


この曲はサウンドはもちろんだが、歌詞が素晴らしい。
どこまでも美しく、示唆に富んでいて、そして優しい。
フレーズの一つ一つに、はっとさせられる何かが散りばめられている。


あなたは弱音を吐いて
わたしは未練こぼして
最後くらい 神様でいさせて
だって これじゃ人間だ

帰ろう / 藤井風

最後の瞬間、何の弱音も未練なく去れたら、どんなに美しいだろう。
でも、それは簡単じゃない。


それは、去る人がいて、遺していく人がいるから。


そして同時にそれは、互いが互いを想い合っていた証拠でもある。


それにより僕らは、神様みたいに高尚ではいられないかもしれない。
でもそれは、幸せなことではないだろうか。

人間だから、愛しい人がいたから、去り際に感情は溢れるのである。

わたしのいない世界を
上から眺めていても
何一つ 変わらず回るから
少し背中が軽くなった

帰ろう / 藤井風

「私がいなくなっても世界は変わらない」ことは悲しいことかと思いきや、そうではない。「少し背中が軽くなった」のである。


「自分はとるに足らない存在なんだ」
「だから、もっと肩の力を抜いて良いんだ」


その気づきは重圧を抱える人にとって、どれほどの救いになるだろうか。
去り行く人には、

「あなたがいなくなっても大丈夫だよ」

と声をかけられたなら、安心してくれるだろうか。
少し切なさは残るけれど。


…ここで挙げたフレーズは、ほんの一例である。


日々に少し疲れた時、ぜひ聴いてみて欲しい。
様々な隠喩が散りばめられたMVも素晴らしいので、ぜひ。


聴き終わった後、少しだけ優しい気持ちになれるに違いない。


5.総括



…というわけで、今回は藤井風について掘り下げてきました。


ここまで執筆して、自分自身「あぁ彼のことがこんなに好きなんだ」って再認識した部分もあるし、あと何より書いてて思ったのは、「藤井風はそもそもとても優しい人なんだろうな」ってことだ。


大仰な言い方をすれば、「愛に溢れている」というのかな。


あんなに才能バリバリでルックスにも恵まれ、天から二物も三物も与えられているのに、少しも奢った所がない。どこまでも謙虚で、愛嬌に溢れている。だから周りの人も、彼を愛さずにはいられないのだろう。


実際彼をとりまく制作体制は、愛に溢れていると思う。
必要以上に彼をスター扱いせず、あくまでありのままの彼の創造性を尊重するプロジェクト。そんな人々の献身的なサポートがあったからこそ、藤井風の音楽とメッセージは、世界中のファンに届くに至った。


まぁ実際、ここ最近の彼の躍進はちょっと凄すぎて、彼のことを必要以上に「救世主」と持ち上げたり、「音楽を使ってニッチな宗教を布教している」というつまらない批判も聞くようになったけど、そんな外野もどこ吹く風と、彼なりの音楽を今後も聞かせ続けて欲しい。

僕は、数年前はじめで彼を動画で見たときの、音を鳴らすのが楽しくて仕方ないといった様子でピアノを弾きまくる姿こそが、等身大の藤井風という人なんだと思っている。


きっと彼のファンは皆、そんな彼の姿に惹かれて、今日に至っている。


もちろん僕もその一人だ。


今後も、彼の生み出すクリエーションとユーモアの数々を楽しみにしたい。

優しい顔で笑う人。

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