たそがれの国のロケット打ち上げ失敗 英雄たちの選択はどうなるのか

3月7日打ち上げ後に爆破されたロケットには「だいち3号」という衛星が搭載されていた。ロケットが運び、その後切り離されて、衛星軌道上で観測データを送ってくるはずだった。しかしロケットの爆破により、おそらく粉々になって海の底に沈んだ。天空はるかに固定されるはずだった衛星は、元の形がどんなふうだったかもわからないくらいにばらばらになって、海底に今もあるということは痛切の極みである。
「こんなことなら打ち上げは他に頼めばよかった」という見方がでてきても仕方ないのではないかと思っているのだが、そういうことはまだ目にしていない。ロケットの失敗、という刺激にマヒしているからかもしれないが、私はこのような衛星が計画通り動かないということのほうが心配でならない。この衛星がもたらす地理空間情報は災害時に大変役に立つということだったが、影響がないことを祈るばかりである。
ニュース番組などでの報道をみると、ロケット開発は日米欧の三すくみでの競争なのだそうだ。商業衛星の打ち上げについてはロシアが多く担っていたが、ウクライナ侵攻により打ち上げ機会が少なくなったこともあり、より各国で費用のかからないロケットの開発競争がし烈になっているのだという。ヨーロッパのことまではよくわからないが、イーロンとベゾスというIT長者が常識外の資金を背景に宇宙へとビジネスの領域を広げようとしているのに対し、我が国も堀江氏が民間に出資してロケットを開発している例を除けば、政府主導でこのH3は進められてきた。そして失敗し、停滞を危惧する声がでてきているのは、なんともやるせない。なにが理由でうまくいかなかったのかわわからないが、日米のやり方の違いになにかあるのであれば、優秀な技術者がアメリカにわたって仕事を続け成果をあげることを選ぶきっかけにもなりそうだ。
そう思うのは先に打ち上げ中断した際の記者会見の様子からこの2回目の打ち上げ、そして失敗という流れは、なにかしらこの国がかかえている精神文化を象徴しているように見えるからである。

1回目の打ち上げが完了しなかったことについて、事業側は「中断」、記者の一部は「失敗」という認識の違いについて激しいやり取りがあった。あいかわらずロケットは発射台にいることだけが事実であるから、中断でも失敗でもどちらでもいいから喧嘩はやめて、と思う一国民からすれば、その違いには雲泥の差があると想像し、そこに深い闇を感じてしまう。失敗とされるとなにもかもが悪い評価になり、一生懸命やったことが無に帰るようなことがあるのか、マスコミのほうも失敗ということを認めさせればそれは人から褒められるような記事になるのか、どちらも健全な精神状態で次のステップをめざせるようには思えない。
ただし、一般の営利活動とは異なり、官僚的な組織というのは失点により優劣がつく傾向にあることは事実である。営業会社であればとりあえず儲かるか顧客数を増やした、とか外的基準が動かしがたい評価となる。宇宙開発事業団もマスコミも官僚的な組織であると仮定するなら、彼らには共通の習性である。個人がどう思うかよりも、組織の価値観が自分の行動を定義してしまうがゆえに、あのような醜悪な現場になったのかと思うと、こういうことだからおかしくなるのだよな、と思った。二度と失敗と言われたくない、が、中断といった手前、早く2回目の打ち上げを実施して成功させてしまいたい、となるのは自然の組織的感情であろう。それが今回の悪い結果になったのではないかと邪推するのである。
「できない理由、できなかった理由を教えてください。怒らないから」みたいなことを言う人がよくいるのだが、なぜそれが知りたいのかいつも不思議に思う。知恵が足りなかった、時間が足りなかった、人手が足りなかった、自分の能力が足りなかった、のいずれかになるほかないこの質問。できなかったことになんらの気持ちを持たない人は別だが、一生懸命考えてドキドキしながらチャレンジした人には厳しい質問である。それと同時に、こんな目にあるならチャレンジしない、失敗しないことをしたい、と思うか、無理して「次はがんばります」と委縮しながら声を絞り出すだろう。こういうことでなにか良いことがあるのかな。
一生懸命やってうまくいかなかった人が目の前にいたら、私はこういう。「疲れをとろう、少しゆっくり休もう、次はどうやってチャレンジするか一緒に考えよう、私で役に立つなら」かな。
もちろん客観的にその人がそのポジションで次もよいのか、チャンレンジさせるのかは組織が決めればよい。大事なことは続けさせるにせよ、退かせるにせよ、その人はまだまだ人生が続き、この経験を次に活かして成果をあげる可能性がある。それを腐らせないことだ。
官僚組織というのは競争なので、誰かが落ちた時は結構徹底的に落とし排除する。なぜなら席をあけないと、まだ失敗していない人が入れないからである。席の数は決まっている、増えないのである。民間と違って、組織内部の人間が「この役所を大きくしよう」なんて夢はみないから。一般企業は「この会社を大きくするぞ」っていうかもしれないけど、それは具体的に何かというと社長の財布を分厚くするということで、それが楽しいのかは人によるかもしれない。それがゆえに、金を稼ぎそうだ、なにか役に立ちそうだという人をたたく必要はないのだが、経営センスのない社長、あえていうならエンジニアあがりの社長というのは人を問い詰める。
話はそれてしまうのだが、エンジニアあがりの社長、もしくはエンジニアが会社を作って社長になると、彼にとっては自分ならしない失敗をする人が不思議だからなのである。なんでもお見通しという全能感で支配されてしまう。器の小さい大きいでいうなら、そういうエンジニア社長は小さな会社しか作れない。組織はトップの器の大きさ以上にはならないからである。この器問題が我が国の最終問題。なぜか大人物がでてこない国となった。

ロケットはちょっと遅れるけど、衛星でビジネスをすればよいのでは
最初の話に戻るが、いろいろ不憫に思うことがあるのだけど、一番不憫なのはこの衛星とそれを作った人々である。また衛星を作ってほしいと思うのだが、それは果たして彼らにとって意欲をもって取り組める仕事なのだろうか。
私は今回のロケットの失敗で悪いことを一つあげろと言われたら、この人たちのモチベーションにプラスになることが見当たらないことである。ロケットチームは次こそ打ち上げを成功させるぞ、である。で、打ち上げ成功させたら次にいくぞ、である。
衛星チームはそれが難しい。打ち上げが成功して、衛星でいろいろ試すことができなければ次の課題がないのである。それどころかまた同じものを作るのか、作るにしても組織の決定には時間がかかりその間はなにをすればよいのか、ということになるだろう。
だったらイーロンとか他の人も自由に宇宙ビジネスをやっているアメリカで、なにかやったほうがいい、となるのはなんら不思議なことではない。

というわけで、英雄たちの選択の時間となりました。

1 ロケット開発を続行
これまで通り、費用を確保してロケット開発を進める。時間の経過とともにビジネス化が遅れ、競争相手のほうが先に市場を支配するかもしれないが、これまで多額の投資を回収するためにも、今回の失敗を踏まえ、改良して遅れを取り戻す。これまで以上に困難な道のりとなるにしても、国際的な宇宙ビジネスである程度の地位を確保するのは国益であり、なんとしても達成しなくてはならない。

2 ロケットは開発はやめて、高機能衛星でのビジネスを確立
ロケットはエンジン制御が難しく、それを低コスト化するというのは開発コストを回収する期間も考慮しなくてはならないため、事業の継続か撤退かはこれから発生するコストと必要な時間が合理的かということに他ならない。これからロケットに費やすコストと時間を、高性能開発衛星の開発と製造に転用し、衛星から得られるデータを資源としたサービスを他国に販売して利益を得るとういうビジネスを立ち上げるというのも、宇宙ビジネスのやり方の一つかもしれない。衛星の打ち上げは他国のリソースを使い、衛星ビジネスで利益を得るというのはトータル的には悪い話ではないはず。これまで培ってきたロケットの技術は商用ではない領域、たとえばコストがいくらかかかろうとも確実に国内で打ち上げなくてはならない高度な安全保障上の案件などに使うロケットの開発製造で継続的に発展させる。

私は2です。ただし民間だけでやること。宇宙開発事業団なんてのは介さない。
はっきり申し上げて、政府主導でビジネスをたちあげるといってやったことはいくつもあるが、うまくいった試しがない。原発や新幹線の輸出は最近で、記憶にも新しい。古くはYS-11とかも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?