『月刊群雛』2015年04月号 感想

この感想については、ポリシー2015年版をご参照ください。

『月刊群雛』2015年04月号

大西隆幸『事業者側から見た個人出版』〈ゲストコラム〉

……コラム。「プラットフォームに求められるのは編集者としての役割なのではないか」と著者は言う。さらに「今後、多くのセルフパブリッシング作品が読まれるためには、編集者という存在は不可欠なのではないか」という指摘が印象的。


米田淳一『優しさの推論』〈読み切り小説〉

……「さて、新年度最初の昼食はなんだろな」とはじまる作品。そこかよ! 「大昔、宇宙船ができた頃から、宇宙船にはクルーの楽しみのために、クルーそれぞれ専用の『スペシャルフード』保管庫があるのが普通である。」ムムム。食べる話ばかりだ。今回は戦闘はない。ただし事件が起きる。「私のプリンが、ない」……。

 この作品は「国家公務員A試験でやった判断推理の『嘘つきは誰?』みたいな」展開になっていく。それがやりたかったんだ!

 この世界が好きな人が遊び戯れる感じ。この中になかなか入れないもどかしさ。読者を試す仕掛けに、ついて行ける人なら大丈夫。


ヘリベマルヲ『フーチー・クーチー・マン』〈読み切り小説〉

……主人公は、獄門島家の若奥様から「うちの娘をよろしくね」と頼まれた記憶がある。だから娘を守ろうとするのだが。主人公の祖父は「商売を妨げる相手を数えきれぬほど殺し、殺させてきた老人」だったりする。かなりひねった登場人物たちが、このストーリーをぎゅっとひねる。だけど、ある意味この世界は「ペン」によって書かれている。

 難しかった。第一弾は3014年12月号掲載で、残念ながら思い出せなかった。続けて読めばいいのだろうが……。


有坂汀『供犠を巡る物語』〈既刊評論・再録〉

……評論。「興行収入52億円を叩き出した」『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』4部作の3作目についての考察。」

 著者は「またやりやがったか」と言いたくなるほどの衝撃を受けたのだ。」それは「『崩壊寸前の世界を舞台に繰り広げられる壮大な内ゲバ闘争劇』」だった。

 考える楽しみ。考えている人の思考を覗き込む楽しみ。


竹島八百富『Xメン』〈読み切り小説〉

……新橋でのオフ会。「なぜ新橋か? それはおじさんたちの聖地だからである」。つまり超能力を持つおじさんたちのオフ会。

 ラピュ太、ウルヴァリン、ユリゲラ、モリミチ、大魔王といったハンドルネーム。案の定その超能力が……。

「寒い」話で笑いをとる。テンポよく終わりまで安定して楽しめる。


くろま『コナたんの夢』〈読み切り小説〉

……「湖南の夢、それは家族と幸せに暮らすこと」。主人公の湖南(こなん)は「くまのぬいぐるみを使った腹話術というちょっと変わった特技」がある。しかしあるときから、腹話術ができなくなってしまう。

 それは唯一の家族であった父が急逝したからだった。一人きりとなった彼女を酒井美咲が引き取る。亡き父が一度は再婚し、一時的に彼女の母だったから。

 子どもから大人へと成長していく湖南。

 説話形式。おとぎ話を思わせるが現実的な話。誠実な筆致。どこかに絞ってさらに丁寧に書いてみてはどうだろう。駆け足すぎた。


しんいち『三人とリオ』〈既刊漫画・再録〉

……漫画。入試終わりの仲良し三人組が、めちゃくちゃ弱い宇宙人と出会う。ふわっとした話。


波野發作『ガッデンの箱娘』〈読み切り小説〉

……無駄に嗅覚が優れているアントが主人公。前作『ヴェニスンの商店』の続きになっている。「しかし、今日は何かがおかしい」というが、そもそもいつもなにかしらおかしい世界なのである。店番をしているジェシカ(箱娘)との出会い。

 未知との遭遇に浸る楽しみ。しっかりとした表現で、読みながらなんとか前作を思い出せた。テンポがよく人物さばきもいい。謎というか、よくわからないところは、この『オルガニゼイション』シリーズを通して読めば解明されることを期待。


加藤圭一郎『140文字の狂躁』〈読み切り小説〉

……2008年5月末頃。大学四年生でいながら「就職する意欲もなく、大学院に誘われていたものの、あまりやる気がない状態」の主人公は、後輩に薦められツイッターに出会う(文中では「Tw」)。

 2008年6月8日、タイムラインに「歩行者天国で何か起きている」というつぶやきを発見。秋葉原で起きた凄惨な事件だ。こうした体験から、SNSが自身にも社会にも特別な意味を持ち始めていく。

 やがて「人間にはどれくらいの個性があるのだろうか」「私達のアイディンティティやオリジナリティはどこにおけばいいのだろうか」といった疑問にまで及ぶ。

 小説というより考える話。


和良拓馬『ウマが逢う話』〈既刊エッセイ・再録〉

……2014年、第75回菊花賞を見守る著者。「彼を追い続けることに、自分は何の意味を求めているのか」――。この「彼」は馬なのだ。ふとしたきっかけで人生と交錯する競走馬に縁を感じていく。

 知る楽しみ。好きな対象をとことん書く楽しみが、読む側にも伝わってくる。


盛実果子『わた雪』〈連載小説・後編〉

……結夢の父は腰が悪い。北国では容赦なく雪が降る。結夢はふと、あれから疎遠になっていた橘に電話をする。雪下ろしに来てくれるという。ただし「お礼」を約束させられる。それは「ウィンターファンタジー」というイベントに一緒に行くことだった。

 気持ちが揺れ動く中で、橘は横浜へ帰ってしまう。果たして、二人はどうなるのか。

 浸ることができれば楽しめる。

Nyara『表紙イラスト』〈新作描きおろし・表紙イラスト〉

■■■■今月の気づき■■■■

 恋愛の機微、日常的な優しさであるとか、そこはかとなさを描こうという意気込みのある作品は、同時に高度な表現力を試されることになります。

 それは、すでに多数の作家たちが同様のことを描いているからです。過去の作品(名作も含まれる)に比較されてしまうのですから、読者の評価は厳しくならざるを得ません。いわゆる「類似性」だとか「既視感」によって読者は楽しめなくなるのです。

 セルフパブリッシングでは、著者の知る範囲で執筆され、周囲もそれほど読書体験がなく、こうした点に気づかないまま世に出てしまう恐れがあります。

 そのため、たまたま過去作品に詳しい読者に当たると評価が厳しくなってしまうのです。

 一方、著者と同じぐらいの読書経験の読み手にとっては、新鮮に思える場合もあるので好評だったりもします。

 好評に気をよくして、より広い読者の目に触れたときには、たちまち叩かれる恐れが出てきてしまうわけですから、これはちょっとした悲劇です。

 ただし、これはセルフパブリッシングに限らず、残念ながら出版社経由で世に出た本でも起こり得ることです。担当した編集者の知識の範囲では、チェックしきれない場合もあるからです。

 そうした本が堂々と書店にあるからという理由で、インディーズ作家が自著の正当性を主張しても虚しいことはおわかりでしょう。つまり、「よくある話」を描くことはそれだけ大変なことなのであり、恋愛であるとか日常性を美しくおもしろく描くことは、かなりの力量を伴うことだと気づいて、努力をしていってほしいなと思います。

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