『月刊群雛』2015年05月号 感想

この感想については、ポリシー2015年版をご参照ください。

『月刊群雛』2015年05月号

古田靖『群雛なんて怖くないやい』〈ゲストコラム〉

……このコラムは文字で表現する者にとって手本になります。いえ、お手本にしてはいけないほどの名人芸です。内容も含めて、楽しませていただきました。

 著者は2010年1月に電書に興味を持ったというので、けっこう早いですね。こういう先達のおかげで私たちも電書を楽しんでいるわけです。

 米国Amazonで、英語の電書を制作したりして、2013年1月には電子雑誌「トルタル」の創刊を決めているのです。

「雑誌を創刊するのは荒野に旗を立てるようなことだ」

 参加者は、荒野でそれぞれに自分の町を作ることだと言うのです。イメージがパーッと広がる表現ですね。開拓者精神が必要ということでしょう。

 また、「好きなモノを書いて出す」ことができてしまう電書のセルフパブリッシングについて、「最初は後ろめたさすら感じていました」と。この感覚もわかる気がします。「いいのか? 大丈夫か?」と思いながらはじめた人は多いのかもしれません。

 さて、どこまで行っても荒野な感じですが、あらためてそれでも進む勇気が必要だなあ、と感じました。


芦火屋与太郎『夢を継ぐ』〈連載小説・後編〉

……最後まで暗く救いのない話でした。中国人との交流が救いになるのかと思いつつも。

「もう、このまま奴隷になるしかないのかな」なんて、きついなあ。ただ今回、主人公は叫びます。そして行動します。


晴海まどか『ギソウクラブ』〈連載小説・第2回、編集〉

……毎回、語り手が変わる作品。今回は「崎守美羽」。しかも「渚、ちょい待ってぇや」なんて、関西弁。偽装のカップルはすぐバレちゃうし。さらに衝撃的な告白まで飛び出します。しかし地の文まで関西弁にしなくてもよかったのでは、という気もします。次は博多弁か? 広島弁か? いや、そういう作品ではないとは思いますが……。

合川幸希(晴海まどかコラボ)〈連載挿絵・第2回〉


幸田玲『未来からの贈り物』〈既刊小説・再録〉

……柔らかな話です。主人公の男性は、週末というのに恋人との食事を断ります。その理由が明らかになり、そこに恋人も関わってきます。後半、視点が恋人になります。彼女の母の記憶と、彼の母が重なっていきます。ただ、同じところを別視点でなぞることになっていて、私は、すべてを振り返る必要があるか疑問に思いました。


ハル吉『デリヘルDJ五所川原の冒険』〈連載小説・最終回〉

……楽しめます。ただし、終わっていないのではないか、と思われます。最終回なのに。

「メチャ回し学園」という名がここに来て読者にとって楽しいフレーズになりました。そして「一泊二日、送迎付き。二〇万」というDJの仕事が舞い込みます。おいしいようでヤバそうな話。もちろん、それが本当にどんどんヤバい話になっていきます。

「だが、これはシングル盤だから片面長くても五分。まだそんな遠くには行ってないはずだ。探せ!」

 いやいや、山の中で、しかもシングル盤って……。お決まりのセリフも笑いになります。随所にこのような仕掛けが盛り込まれておりました。


青海玻洞瑠鯉『Le COQ』〈読み切り詩集〉

……気持ちと行動、幻と現実の狭間を言葉でつなごうという感覚。と、受け止めました。たとえば「猫」は価値基準になるのかもしれないと感じましたし、この人の「恐ろしい戯曲」を読みたくもなりました。


神楽坂らせん『ふたりのブルベ』〈読み切り小説〉

……ほのぼのとした作品。自転車競技が舞台ですが、詳しくない読者でも楽しめます。

 主人公の女性は、自転車店員との失恋で、手元に残った自転車を活用すべく自転車競技に参加しはじめます。

「ブルベという言葉を教わった。なんでもマラソンのような長距離サイクリングイベント」

 そこに初心者の主人公は無謀にも参加。あわよくばかっこいい男性に近づけるかと思ったら、『もうやめよう妖怪』につきまとわれたり。それでも、一緒に走る喜びを共有できる友人と出会います。


初瀬明生『迷作ミステリー傑作選』〈読み切り小説〉

……こんなミステリーはいやだ、というお題をもらった大喜利のような作品。読者を楽しませようという意欲旺盛。末尾に蛇足的な部分があってちょっと残念。「アフリカダラダラ殺人事件」はとくに好きです。


平乃ひら『パレード』〈読み切り小説〉

……丁寧。しっかりとした語り口。「怪物共を相手に狩りをして暮らしている側からすれば」という一文で「ああ」とか「おお」とか「ふーん」となります。そしていっきにこの世界が見えてきます。同時に語り手のアイデンティティが揺らいでいくわけですが……。ぜひ、そこを中心に描いてほしいところでした。もう少し山場があればなおよかったと思います。


米田淳一〈新作CG・表紙画像〉


■■■■今月の気づき■■■■

「この人、ウソを言ってるのでは?」と思うのはどんなときでしょう。言ってることに矛盾があったとき? 目を見ればわかる?

 いろいろあるでしょうが、「語るに落ちる」という言葉をご存じでしょう。「ウソをついたんだろう? 正直に言え」と問われても簡単には認めません。でも、ベラベラと勝手に話す人は、いつしか自分がウソをついていたことをしゃべってしまうものです。

「実はこの間はああ言ったけど、本当は……」

 小説はこの「ベラベラと勝手に話す人」に似ています。読者はなにも問いません。だけど、小説はベラベラと勝手に語ってくれます。

 それだけに、「やっぱりウソか」と思われるような書き方だけは避けなければなりません。

 たとえば、常套句を使ったときに出現しやすいウソ。「彼はまたたくまに仕事を終わらせた」といった文章。「またたくま」と書いてしまった。ところが、この彼は飲み会に行きたいので早く終わらせただけで、居酒屋でみんなから「おまえのようなやつがよく勤まるな」とからかわれているとしたら、さきほどの「またたくま」はどうも印象が違います。出来る人のように感じられてしまうからです。本当は優秀なのにそれをあえて隠しているのか、とさえ読者は推測してしまいます。実際は、適当に切り上げただけだったら「ウソをつかれた」気分になってしまうわけです。

 書き手がしっかりと情景を把握できていないときや、人物の心の動きを把握しきれていないままに執筆すると、こうした「あれ?」が目につくほど増えてきます。そして読者は「この書き手はウソつきなのかな」と疑いはじめます。読者の信頼を失うと、そのあとにどれほどすばらしい展開があろうとも、台無しです。すべてが疑わしいからです。

 読者にはできるだけフェアに伝えるべき。それでいて、予想外の方向へ話を進めていくことが理想です。創作の妙味ですよね。ウソつきと思わせることなく、ウソをつく……。

 ぜひ、ちょっとした表現、細部にもこだわって、読者が信頼を寄せ、ぐっとくるような、そしてうれしい驚きのあるような作品を目指してほしいと思います。

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