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器がどうたら

人間性を表す尺度?のひとつに、「器」というものがあります。
「器が大きい人」とか「器が小さい人」とかの、「器」です。
私は、あるキッカケでこの言葉に疑問を感じて、使わないようになりました。

今回はそんな「器」のお話です。

【器が大きい人】

「器が大きい人」というと、どんなイメージでしょう?

・ それなりのミスも笑って許してくれる
・ ワガママをすんなり受け入れてくれる

一言で言うなら、「包容力がある人」でしょうか。
元々の使われ方としては、おそらくそう遠くない意味だと思います。

しかし、なんとなく「優しい人」が「都合がいい人」に変化していったのと同じニオイを感じます。


【器の小さい人】

「器が小さい人」。
これは、当然「器が大きい人」の逆ということになります。

しかし、私の周りだけでしょうか……
女性に対して「器が小さい」と言っているのを聞いたことがないんですよね。
もし男性だったら「器が小さい」と揶揄される性質の女性も、「なんかちょっと変わったコ」程度のマイルドな言われ方になるか、「キャパオーバー」で済ませて問題視されていないことすらあります。

ということは、「男性は受け入れる ( 我慢する ) ものである」という前提の話のように感じます。
性別による役割分担の強制、つまり性差別ですね。
冒頭の「あるキッカケ」というのは、ツイフェミが「ビョードー!」と泣きながら、意味不明な性差別を撒き散らしているのを見たことです。

たとえば、少し前に話題になった「デート代を奢る奢らない問題」。
奢らない男性に対して、「器が小さい」とか言いそうな場面ですね。
しかし、この問題って日本経済やら収入格差やら男女平等やらが複雑に絡み合っていて、「それらを加味すると何が正しいんだろう?」と考えること自体はある程度意義はあるとも思います。

「物事の道理として正しいかどうか?」という話なのに、突然入れ物の大きさの話にすり替えているわけですね。
もっとハッキリ言えば、抽象的な割にすごく嫌な気持ちになるであろう言い方、かつ反論しにくい言い方で、話をすり替えている、ということです。

正しい主張をしているなら、器とかの話にすり替えずに、主張内容を言えるはずです。
なぜ言わないのでしょう?

【完全和訳 器が小さい人】

ここまで考えてみて、そもそも器の大小って何が基準なのかという疑問が湧きました。

他にも「器が小さい」と言ったり言われたりする場面はあります。
個人の体感の話で申し訳ないんですが、「器が小さい」という意見・発言に正当性があると感じたのは、1 割に満たないと思います。
大抵の場合において、「器が小さい」という表現以外に、より的確な表現があります。
だから、わざわざ「器が小さい」という表現を使う必要がないのです。
結果、発言の正当性を感じ取れるのが 1 割未満ということになってしまうのです。

ちなみに、正当性を感じ取れる 1 割以外の 9 割は以下に当てはまると見ています。


・ 原因の分析不足
・言語化能力の不足
・そもそもその事象に興味がない

・ただのワガママ
本音を言うと自分の意地汚さがバレる
  ↓
相手の器のせいにする


結局のところ、器の大小について明確な基準などはないどころか、もはや器がどうたら言う側の主観の言い換えでしかないのではないでしょうか。

つまり、「器が小さい」を和訳すると

このワガママを受け入れてくれないと
こっちは都合悪いんだけど?!
マジむかつく!
ばーかばーか!


という意味になります。
そんな意味に成り下がってしまいました。
そう感じています。

だから、人に対して「器」という言葉を使わないようにしました。
前述のツイフェミの件もありますが、言葉の意味というか質?が下落したと感じたからというのも大きいです。


ただし、自身に使うのは良しとしています。
たとえば、自分の目標を「器の大きい人間になる」と設定するのはいいことだと思いますし。


以上
本日はこの辺で。

ありがとうございました!


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