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意味を問い、意味を作る〜地震のあと、空港で〜

僕の経営するTHE MIDFLOW coffee roastというコーヒーショップは、年末年始が一番の繁忙期になる。2023年から2024年にかけての年末年始も妻のhanaとスタッフのakaneとともに元気に乗り切った。


THE MIDFLOWのある東京都国立市という街は、とても不思議な街で「東京」ではあるのだけれど、この街に「帰省してくる」方達も決して少なくはない数おられるみたいだ。年末年始は、見慣れないお客様の数が増えるし、その中のお客様たちと「ここのお店はいつできたんですか?久しぶりに帰ってきたら、新しいお店ができていると思って入ってみました。」という会話を幾度となく交わした。

帰省で東京外に行く人もいれば、帰ってくる人たちもいる。当たり前のことなんだけど、自分のお店で定点観測をしているとなかなか不思議で面白いものだ。

そんなこんなで、バッタバタの年末年始の怒涛の営業を1月1日の16時に新年一発目の営業を終えて、妻のhanaとともにパパッと大掃除を済ませる(大晦日には大掃除どころではない)。パパッと済んでしまう大掃除を大掃除と呼んでいいのかは、ここではあえて論じないことにする。

そんなパパッと時間に、店の間接照明がゆらゆらと揺れているのがわかった。どこから風が吹いてるんだろう?と思った。エアコンは掃除のために切っていたので風が吹き込む隙間なんてないんだけどな、と不思議に思っていると足元がぐらっと揺れた。ゆったりとした次第に気分が悪くなる揺れだった。まさか、こんなにも大きな被害になるとは思わなかったけれど、不気味な感じのする揺れだったことは記憶に残っている。

そのあとその地震の情報に触れて、一応の安全を確認したのち(東京に住んでいる僕たちにとっての)僕は地震のニュースには"あえて"触れないことにした。

大掃除を終わらせてからhanaと僕は大急ぎで帰宅し、それぞれに大きなリュックを背負ってそれぞれにスーツケースを持って「羽田空港」に向かった。

2024年1月2日から1月8日まで、hanaは初めての、僕は5回目となるベトナム旅行が始まるのだ。

1月1日の羽田行きの高速バスの最終便に乗って、22時ごろに羽田空港に到着する。空港は、少し前の世界的疫病の影響下にあったスッカラカンの状態なんて、嘘の様に年末年始らしい混雑を見せていた。世界は元通りに動き始めた。いや、元通りではないけれど、元通りの顔をして新しい世界を構築していっている最中なのだ。僕たちの見えない部分では、今もその歪みは残っているし、現在進行形で深く影を落とし続けている。そして、数時間前に起きた地震もまた僕たちの直接には見えない部分で、新しい影を生む事象として誕生してしまった。

僕はあえて触れない様にした"情報"を頭の片隅に感じて、いろんな想いが浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返していた。そして、考えても仕方ない、と僕はその繰り返す思考にストップをかけた。苦しんでいる人がいるときに不謹慎だと批判をされることなのかもしれない。でも、その時点で僕にできることはない。何一つない。苦しんでいる人たちに、心を寄せて自分までも苦しくなるという不毛なことを僕はしようとは思わない。それは"無視する"こととは違う。意識をするからこその判断だ。

なぜか?

そこに「建設的なこと」など何もないからだ。僕が苦しみを感じたところで、誰も救われない。

それは「3.11」のときに身をもって学んだことだ。
13年前のあの日、僕も他の人たちと同じ様に気分がふさぎ込んだ。
当時は大手のホテルでの会社員をしていて、朝晩を問わず会社からの電話が鳴った。社会全体が非常事態だった。あのときのことを思い出すと、今でも足がすくむ。朝のコーヒーを飲んでもおいしいと感じなかった。温かいご飯を食べてもおいしいと感じなかった。今もどこかでこんなふうに温かいものは飲めない、食べられない、それどころか安心して寝ることも難しい人たちがいるという事実が、テレビニュースで繰り返される悲惨な映像から僕の心から離れなかった。

そのときに、僕のふさぎ込んだ心が、ほんの少しの光を持って開いたきっかけはある人にかけてもらったこんな言葉だった。

「こんなときだからこそ、もっと自分に意識を向けなさい。もっと自分の想いに寄り添いなさい。そうやって、自分にエネルギーを溜め込むんです。これは自分勝手とは違う。自分に意識を向けてエネルギーを溜め込んで、そのエネルギーを発散する形で社会に貢献するんです。それが日常生活を送ることができる私たちのやるべきことだと私は考えます。」

こんな言葉をあらゆるときに思い出す。「自分のことなんて考えている場合ではない。」そんなふうに思った時は、必ずこの言葉を思い出している。

僕は、ベトナム・ホーチミン行きの飛行機の出発を待つロビーに座り、こんなことを心の中で幾度となく想いを巡らせていた。

僕にとって、ベトナムという国は、人生を変えてくれた場所だ。
あの国はエネルギーで溢れかえっている。たくさんの人たちの未来に向ける情熱で、気候以外でもとても"熱い"場所だ。今回で、ベトナムに行くのは5回目になるけれど、過去4回は4回とも僕は何かを得て帰国している。だから、今回も間違いなくそうなるだろうし、主体的にそうしたいと思ったし、そうしなればいけないと思った。

ベトナムに溢れかえっているあのポジティブなエネルギーを存分に浴びて、それを血肉にして日本に帰ってこよう。

僕はそう決めた。そう決めたあとに、僕の中には今回の旅の一つの意味が加わっていた。

沈んだ太陽は、翌朝になればまた昇る。暗いままの世界はありえないとはよく言われることだし、僕もそう思っている。ただし、その物理的な事実とは別に、自分のマインドを上げるのは自分次第であって、それは地球の自転と公転とは何ら関わりがないということもまた事実である。シビアな様だけれど、それを認めることからすべては始まる様な気がする。

そんなことをごちゃごちゃと考えながら、2024年年明け早々のベトナム旅はスタートを切った。

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