虫をぼーっと観察していたけど、虫はよく引っ越しをしているような気がする。
お店の場所探しは継続しております。。
アンテナ張り中です。
今日も「いいところありませんか?」と聞いてみました!
コーヒーの焙煎室はやっぱり個別でいるなと感じるし(おいおい要個別になってくるので・・・)
小屋を別で作れたり、家の一部を焙煎小屋に・・と思うし、
その欲求はむかしから変わらずやりたいことだなぁと感じています。
引っ越しをすればするほど、引越しはいくらしたっていいと考えるようになっています。
というか移動し続けることの方が自然なことなのでは?とどんどん感じることが増えてきた。
虫を観察していてふと思ったことがあった。
蟻だって蜘蛛だって、「この場所は適さなくなった」と思ったらサッと場所を移動して、またいい場所を見つけてそこに巣ごと移動して、新たに作ったり、安全を確保して、餌が獲れやすくしたりと、整えたりしていると思う。
そう思ったら、
移動する方が自然だなって思う。
(移動できない理由があったり、色々とうんぬんかんぬん人によって理由はあると思います。私の今の状態から考えを深めてみています。)
もちろん、蟻の移動を見ていると、卵を運んだりもあるわけだし大変なことだと思うけどそれら大変なことをしてまで、移動している。
蜘蛛も、巣が壊されたり、なんかここ人通りが多くなったなとか感知したらどこかへひょいっと移動して、また新しく巣をせっせっと作っているように見える。
蜘蛛の、あんな綺麗な巣をまた一から作るのって大仕事だと思うのに、それでも移動を選んでいる。
この家に来てから、周りに何かと虫が多いので自然と虫を観る機会が多くなりました。
気づいたらじーっと見つめて何をしているのかを見ている自分がいる。何か「じーっ」としていると、ふと思うことがあったり問いが生まれたりする。
その「じーっ」という時間は、時間があるからこそできることだなとも思う。
無意味な時間が、わたしにふと何かを感じさせてくれる。
それは、もちろん感じないことだってある。特に望んでいるわけではなくて、最近結果としてそう感じてた時間もあったかもな、と思う。
まあ、ちょっと脱線しましたが、移住ってなるとそこに留まることが普通だったり、長く居ることがよしとすることもあるけど、
わたしとしてはずーーーーーっと同じところにいることはむしろ不自然なことなのでは?と虫を見ていて最近思うことのひとつ。
呼ばれるところに移動しているだけです。って言ったらかっこよくていいのかな?笑
という感じ!
それではー!
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