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独自的混乱方言

【5155文字】

僕の話をしますよ

し言葉について
自分自身では昔から
大変苦手と自負しております
「き」「け」を発音するとき
どうやら人と違うらしいと気付いたのが
確か18~19歳の頃
友人の指摘によって自覚しました
本人はずーっと
ごく一般的な発音をしているつもりでしたが
「お前のは何か少しくぐもっている」だとか
「湿った発音だ」などと言われたのです
音楽の大先輩に
杉真理さんという方がおられます
この人の話し方と同じだとも言われたので
ラジオなり何かで確かめることは可能です
当時意識してご本人の話すのを聞いてましたら
なるほど「き」「け」に違和感
自身の発音を再確認するに至ったのでした

速「あいうえおかきくけこさし~」と
1音ずつ51音を発声し確認したところ
ほとんどは口腔内左右の中央部で発音してますが
「き」「け」に限って
左側で発音しているのに気付きました
舌の左側面を使い上奥歯茎辺りで発音してます
無意識だったので自分でも驚きましたが
もう既に大人になっており
矯正は出来ぬまま今に至っております
ただ意識すれば
まともに中央で発声する事が出来なくもなく
でももう別にいいかと思ったりもしていて
ちょっと舌っ足らずなオッサンというキャラで
これからもやって行こうかと思っています
実は言葉について他にも
軽いコンプレックスもあるので
この1点を矯正してもなぁという
何処か諦め気分も手伝っているのです

というのはイントネーションの事です
つまり方言ですね
本人は覚えてないのですが
僕の生まれは岡山市なんだそうで
2歳になる前に東京へ引っ越したらしいです
そこから小3いっぱいまでの8年ほどは
都内を4~5回引っ越しながら過ごし
小4の1年間一気に広島市内へ移転
小5から高校卒業までの思春期は
広島県東部の福山市に6年間と
その隣の府中市で2年間を過ごし
18歳で再び東京へ行き
そこから12年間の間に都内で6回の引っ越しをし
30歳から広島県府中市で1年
福山市で1年を経て
32歳から48歳いっぱいの17年間内に
京都府南丹市から亀岡市
また亀岡市から南丹市へと移転し
49歳から再び福山市に再び戻って来て
この春61歳です

山2年 東京20年 広島県内22年 京都17年
生まれてこの方引っ越した回数が21回
自分の出身地が何処で故郷は何処なのか
本人も良く分からないまま初老を迎えてます
お生まれは?と聞かれても
本人の記憶にない岡山とは言い難く
思春期を過ごした福山と言うようにしてます
福山に初めて行ったのは11歳なんですけどね
しかしそういった事も含めて
それで困ることは一切ありません
少々困ってしまう場面があるとすれば
やはり言葉です
僕が話す言葉は
微妙にどの地域とも一致せず
言わば「独自方言」を使ってるわけです

人は今でも東京に行けば東京言葉
関西に行けば関西(京都)弁
福山なら備後弁を使っている
つもりですが
どの地に行っても言われるのが
「少しなまってるよね」なのです
これについては本人はなかなか自覚できず
先方もいちいち指摘してくるわけではないので
矯正のしようもなく
そんな中今更「き」と「け」だけを矯正してもなぁ
という気になる訳です
話は通じてるのだからいいかという感じです

ントネーションで思い出しました
最近広島のNHKローカルのアナウンサーらが
一斉に変えたイントネーションがあります
それは軍港で有名だった「呉市」です
普段地元では市を省いて呉とだけ言っていて
以前は呉の発音が
「く」にイントネーションがありました
それがどうやら地元では
「れ」にイントネーションがあるらしく
地元ネイティブに従うという事で
NHK広島は一斉に変更したのです
そういえばウクライナの首都キエフも
ロシア侵攻後にキーフへ変更になりましたよね
キエフはロシア発音だからだそうで
地元ネイティブに準じたわけですね
「くまモン」も我々は「く」を上げますが
地元は「く」だけ下げてあとは平坦なんだそうです
「よそもん」とか「くせもん」と同じなんだそうです

ントネーションは前後の絡みでも変わります
「福山」「駅前」「大通り」「商店街」を
それぞれ単語として発音すると
全て単語の語尾は下がりますけど
「福山駅前」「福山駅前大通り」
「福山駅前大通り商店街」のそれぞれは
全て接続部分でイントネーションが平板化します
福山駅前大通り商店街年末特別空くじなし大福引き・・・
永遠にいけますよね
詳しい事は知らないのですが
これはコンパウンドと言う現象だそうで
この様な複合名詞は日本語に限らず
「beautiful」と「girl」などの英語も
「beautiful girl」と複合すると平板化します
ん~確かに
全く違う文化圏なのに不思議です
人間の持ってる特性なんでしょうか

の賢明なるオジサンオバサンたち同志諸君は
現在若者らのスラング的会話によって
全ての言葉が平板化しつつあるのを
勿論先刻ご承知の事だと思います
このまま言葉の平板化を見過ごし続ければ
日本全国民は全員お国言葉を失い
まるでBotがしゃべってるみたいになるぞ!
などと同志らは憤慨しきりなのですが
その令和世代のオジオバたちでさえ
昭和のテレビ番組のナレーターや
白黒の古い日本映画など見ると
古臭い言い回しだなと思うのですから
歴史は繰り返しながらも
長いスパンでは微妙に変化しているのだなと
気付く事が出来るのです
平安時代なんかの話ことばが
もし現代で聞けたとしたら
もう何言ってるかさえ
分からないかも知れませんしね
大昔の書物に文語体は見て取れますが
日本において口語体が文章化されるのは
明治以降の事ですから
十二単でどんな調子に話てたのか
気になります
言葉というのは時代時代で
どんどん変化していくものだと
思っておいて良いのでしょうね
現代のギャル達がどんな風に話そうとも
我が同志諸兄らは笑顔で見守るのが
きっとベストです
我々だって若い頃に大人たちから散々
言葉が乱れとる!と叱責されていたのですから

個人の話に戻ります
岡山に生まれ2年経たぬうち引っ越し
東京で8年過ごした後の小学校4年の春
4月から広島市内の学校に転校したのですが
この当時は新幹線もまだ東京大阪間までしかなく
東京広島間は現在の感覚より
ずっとずっと遠かった時代です
なので僕の東京弁は広島のクラスメイト達には
それはそれはとても奇異に映ったらしく
クラスは「カッコつけやがって派」と
「テレビの人みたい派」の2派に分かれたのでした
当然ながら僕は
「テレビの人みたい派」と懇意となり
しばらくはその中の子供らと遊んでましたが
夏休みが終わるころには
僕もすっかり広島弁話者になっていて
気付くと両派閥は自然消滅していたのでした
それはいいのですが
ここで言いたいのは
子供の柔らかい脳でも
方言がネイティブ化するまでには
約半年もかかるという事です
しかも経験上で言うなら
言葉は歳をとればとるほど
この変更が利きにくくなってくる
というのも明言しておきたい事実です
お子さんやお孫さんに語学を学ばせたいなら
早いに越したことはありませんよ

の後僕は同じ広島県でも
岡山寄りの備後弁を話す福山市へ転校し
ここでもイントネーションの変更や
知らない単語の追加を強いられます
そしてその実践を積み重ねる事8年
高校卒業までにはネイティブに近い備後弁を
ほぼマスターしたと自負します
ここで重要なのはあくまでも
ネイティブに「近い」です
完全なネイティブではありません
その後18歳で福山を離れ東京に行くと
子供時代に慣れ親しんだ言葉にもかかわらず
湘南の海で「足がタワねぇぜ」とか
居酒屋で「ハブテてんじゃねぇよ」とか
都会では通用しないミクスチャフレーズを
堂々と連発し赤っ恥をかいたり
相手を困らせたりしてました
なので早々に地域方言にしかない単語は
他の地域では使わなくなりましたが
イントネーションの違いはなかなか本人も気づけず
未だ多少の違和感を相手に抱かせるようです

30歳で東京を転出し紆余曲折あり
32歳から関西へと拠点を移した時
当初お隣に住んでおられたお婆さんの関西弁が
もう80%以上聞き取れず焦りました
関西弁と言っても芸人が使うような
お笑い専用の大阪弁ではありません
関西弁は大阪や京都と神戸とかでも
実は微妙に でもハッキリ違うのです
新居は京都府南丹市八木というところで
京都市内から電車で小1時間
嵐山からトロッコ電車や
川下りが有名な保津峡を遡り
その先にある亀岡盆地も超え
更に奥まった小さな集落が
南丹市八木町です
ベースはもちろん関西弁ですが
京都弁とも違って丹波弁に近いのです
早口で大きく上下するイントネーション
そこへ地域独自の方言単語や感嘆語が混ざり
これを完全にリスニング出来るまで
何と10年もかかりました
当時の僕の仕事が
地元とはほぼ全く縁がなかったので
なかなか地元の人たちとの交流が
持てなかったのもあるでしょうけど
習得に時間がかかったのは
きっと年齢が大きく関係しているのだと
体感的に理解する事ができたのです
そして関西弁が少々使えるようになり
このスキルのおかげで
東京人が気色悪い関西弁を使う
といった身の毛がよだつ状況は
なんとか回避されているようです

西弁と東京言葉の一番大きな違いは
イントネーションもありますが
母音のフィーチャー具合にも
大きな違いがあるでしょう
東京では母音はほとんど意識させない発音で
エッジの効いた発声になり
いわゆるチャキチャキの江戸っ子が話す
その感じになります
関西弁は母音が子音を上回るような
少々お公家さんが混ざったような
のんびりモッタリした感じの発声です
「タクシー」を発音する場合極端に言えば
関東では「TakSy」ですが
関西では「TaAKuUShiiy」的になります
母音を再度強調する感じですね
関西以西はこの母音強調が見られます

言には独自の単語も多く
これを出されてしまうと
他地方の者は全く理解することが出来ません
しかも厄介なことに地方の人は
まさかこれが地元でしか通じない方言だとは
微塵にも思ってません
もっと厄介なのは他地方でも使う文字列を
微妙に違う意味で使う時に事故は起きます
例えば
福山弁の「たちまち」は「とりあえず」
という意味で使うのです
しかしその他の地域で「たちまち」は
「たちどころに」とか「あっと言う間に」
と多少ニュアンスが違います
福山人が仕事で関東の人と話しているとき
「たちまち来月からでいいですよ」と言えば
関東の人はゆっくりでいいのか急ぐべきか
多少の混乱を来すのです
また福山の居酒屋では頻繁に
「たちまち生ビール!」が叫ばれます

た「~しちゃった」というニュアンスは
関東人的に解釈すると
あまりよろしくない状況が発生し
しかし重大なインシデントではなく
酷くは憎めない感じ
と受け取ります
「お茶をこぼしちゃった」とか
「あいつ遅刻なのに歩いちゃってるよ」
などのように使います
しかし福山弁で「~ちゃった」は丁寧語で
「もう食べちゃった?」は
「もう食べられたのですか?」であり
「今日行っちゃった?」は
「今日行かれたのですか?」です
東京出身東京育ちの妻が
福山に初めてやって来た時
近所の奥さんに「わざわざ東京から来ちゃったん?」
と言われ「来ちゃいけなかったのか!」と
その晩は非常に憤慨しておりました

を戻します
現在僕は再び広島県福山市在住です
生まれて2年足らずで転出した岡山を除き
東京 広島市 福山市 南丹市
これら地域の言葉の細部やニュアンスを
今やちゃんと聴き分ける事が出来
聞くにあたっては全く不自由はしません
スピーチも各地域に紛れる程度は可能です
しかし完全に使いこなせるかというと
全地域に渡って中途半端
と言わざるを得ない程度です
でも出張などで関東や関西へ行った際などは
新幹線のホームに降り立った瞬間から
その地の言葉に自動的に切り替わるので
これは大変便利です
他の地域で他の方言を使うのは
なかなか勇気のいる事ですから
これについてはとてもラッキー

在も生粋の福山人と関東や関西方面へ
出張に行く機会がそこそこあり
ご本人はどう思ってるか分かりませんが
隣で彼らの方言を聞いている僕は
顔には出しませんが
前述の通り実はとてもハラハラしています
彼らは結構な頻度で
通じない地域方言を頻発するのです
語尾が地域らしく変化する程度は
むしろ地域色があって良いのですけど
仕事で行っている以上
通じないのはマズいわけです
相手の頭の上に?が出たなと思ったら
すかさず しかもさりげなく
トランスレートするのも僕の役目です

んな経歴がお役に立つことも
稀にある訳ですから
自分の発音や言葉を無理して
標準形に矯正する必要もないかなと思ったり
誰しも自分が発している言葉は
自分が歩んだ人生の一端を示している
などとポジティブに思えば思えなくもなく
しかしそんな風に無理やりその正当性を
声高に掲げるほどのコトでもなく
多様性の一端と受け取っていただく
なんてのもこそばゆく
実際のところよく分かりませんが
もし僕と話していて話の内容より
発音や発声の方に違和感を感じましたら
それはなまっているのではなく
僕独自の混合方言
もしくは混乱方言だとご理解くださいませ