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【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第5話 ベトナム

2004年3月1日 旅立ちから、現在 59 日目

中国南部雲南省の昆明から夜行バスに乗ってベトナムとの国境に向かい、明け方に国境の町に到着した。

国境の係官から出国スタンプが押されたパスポートを渡され、2ヵ月に渡る中国の旅が終わった。

中国とベトナムの国境


そして国境沿いを流れる川に架かる橋を渡ってベトナムへ入国した。

川を一本南に越えただけなのに町の雰囲気はガラリと変わり、人々の顔つきや肌の色も明らかに中国人とは別のものになった。
菅笠を被り、アオザイと呼ばれる裾の長い民族衣装を着ている女性もいた。
辺りにはヤシの木が生い茂り、昔見たベトナム戦争映画に出てきた南国の風景そのままだった。

この旅以前に東南アジアの国には何ヵ国か行ったことがあったが、その中でも私の思い描く「東南アジア」のイメージに一番近い国がここベトナムだった。

少数民族の住む北部山岳地帯を巡った後、夜行列車で首都ハノイへ向かった。
ベトナムはフランスの植民地だった時代もあり、ハノイには今もその当時の西洋式の美しい町並みが残っていた。
しかしその美しさに似つかわしくなく、人々は怒鳴るように早口で話し、道路ではバイクのクラクションが鳴り響き、動物が町中を闊歩し、市場には屋台の湯気が立ち込め、香辛料の香りが漂っていた。
そんな慌ただしい光景に取りつかれたようにわくわくしながら毎日路地裏を歩いた。
美しい町並みも良いが、やはり私はこの東南アジア独特の埃と喧騒が取り巻く混沌とした雰囲気の方が好きだった。

ハノイの喧騒



ハノイからバスを乗り継いで中部のフエという町まで南下した。

峠の休憩所 プロパガンダ看板がいかにもベトナム


移動中、たまたま隣に座った大学生が片言の英語で話しかけてきた。
彼に日本について知っていることを尋ねると、スシ、サクラ、カラテ、ホンダ、トヨタ…といったお決まりの単語が返ってきた。
だが、同様に彼からベトナムについて何を知っているか聞かれたとき、ベトナム戦争、ベトちゃんドクちゃん、ホーチミンさん、アオザイ、生春巻き…などの、やはりお決まりのことしか答えられなかった。

現代はインターネット上で世界中の出来事を瞬時に知ることができる。しかし果たして本当に私たちはお互いのことを正しく理解できているのだろうか。

「百聞は一見に如かず」とはよく言ったもので、情報として知っていたことでも実際にその場に行って見てみると実は全く違っていることもあるし、違った角度から考えることで新たな真実が見えてくることも多い。
この先の旅の中でも、情報だけに流されずに常に五感を研ぎ澄ませて、直接見て、肌で感じ、自分の頭で考えていこうと思った。

ベトナム人は皆好奇心旺盛だった。
彼らは外国人である私を見ると積極的にベトナム語で話しかけてきた。
私がベトナム語を一切解さないとわかった後も、気にせずにそのままベトナム語で陽気に話し続けた。
彼らが何を言おうとしているのか想像力を最大限に膨らませて考え、あいづちを打ったり、日本語で返事をしたりしてみた。
言語が違うのでお互い全く会話はかみ合っていないはずなのだが、なぜかなんとなく話は進んでいき、食べろ食べろと言って食料を分けてくれたりした。
そして最後にはいつも笑顔で握手して別れた。
彼らは老若男女問わず、皆底抜けに明るかった。

昼下がりのシクロ運転手


市場へ行くと様々な生き物が食材として売られていた。
「中国人は四本足のものは机とイス以外、飛んでいるものは飛行機以外何でも食べる」という冗談があるが、ベトナム人だって負けていない。
市場には、牛、豚、鶏、魚はもちろんのこと、犬、猫、うさぎ、亀、ヘビ、ワニ、トカゲ、クモ、カエル、ネズミ、孵化しかけの卵、昆虫、幼虫のようなモノ、さなぎのようなモノ、何がなんだかわからないモノ…その他様々なモノが所狭しと並んでいた。
私は現地の人が普通に食べているモノは、とりあえず食べてみる主義なので、それらの食材は全て一通り食べてみた。どれも美味しかったが、中にはもう二度と食べたくないモノも、やはり、…ある。

市場
市場


ちなみに、この旅から数年後、私は青年海外協力隊に参加してここベトナムに2年間派遣され、現地の大学で美術を指導することになるのだが、もちろんまだこの時はそんなことを知る由もなかった。


続く
 ↓


ベトナムでの青年海外協力隊の話 ↓


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