自分史-不登校、不安障害、B型事業所、わたし-

もうすぐ20歳になります。20年のうちもう5年ちょっとを病人として過ごしている、恐ろしいことです。

せっかくの節目なので、人生を振り返っていこうと思います。長くなりますがぜひ。


0歳

生まれる。 特に変わった生まれ方はしていない。

幼少期

めちゃくちゃ泣く子どもだったらしい。この頃から感受性がカンストしていて、知らない場所、知らない人、とにかく家と母以外は異物としてみていた。(父は仕事で家にいないことが多かったので他人扱い)


幼稚園

このあたりからわたしの舐められやすさが頭角を現し始める。ほどほどに友達もいて、このときが人生のピークだった気がする。


小学校


あまり良い思い出はない。一緒に帰ったり遊んだりする人はいたが、心の底から楽しいときはなかった。女子特有のいざこざにうんざりして、この頃から生きづらさを感じていた。
身体症状としては頭痛が酷かった。欠席は多かったけど、不登校にはならなかった。


中学校


あまり良い思い出はない。親友がひとりいたことが救い。
部活の先輩にいじめられたり、「友達の好きな人にちょっかいをかけた(事実無根)」という理由で無視されたり、そこそこの苦労はありつつなんとか力を振り絞って毎日通っていた。

中学2年あたりから身体症状が酷くなっていって、毎日片頭痛、立ちくらみ、食欲不振などがあり限界が近づいている予感がしていた。
それでも第1志望の高校(結構偏差値高めのところ、真面目に勉強したかったから頑張った)に合格し、やっとわたしの望んだ世界で生きられるんだ、と希望に満ちて高校に入学した。


高校


地獄だった。あまりに辛すぎて記憶が曖昧だけど、朝起きて泣く、朝ごはん食べながら泣く、電車内で泣く、授業が始まるまでトイレで泣く、下校中の電車内でまた泣くといった生活を1ヶ月ちょっと続けて心身が完全にぶっ壊れた。
軽いいじめもあってそれが1番の原因だけど今までの学校での嫌な思い出、恐怖感、それらが全部重なって病気になったんだと思う。


退学


2ヶ月ほど不登校を経て退学、通信に転校。最初は、ずっと入りたかった学校だったし退学までしなくても……と思ったが身体は言うことを聞かなかったし。ここから病人としての生活が始まりまる。

1年目


ほぼ寝たきりだったが、ここの過ごし方をわたしは今でも後悔している。このときのわたしは「普通」に戻ろうとした。「みんな」に追いつこうとした。とにかく必死で、布団から起き上がれないなりに英単語などの簡単な勉強をして、また元の生活に戻るんだと本気で思っていた。

2年目

世はコロナ禍。なんだか世界が大変なことになっている感覚。嫌でも耳に入ってくる死亡者数。環境の変化に滅法弱いわたしはかなり参ってしまった。
1年目の冬には遊びに行ったり学校行事に参加していたのがすっかりできなくなり、また寝たきりに近い状態になった。この辺から「わたし本当に治るのか……?」と焦り始める。自分に合う精神科を見つけて通い始めたのもこの頃だった。

3年目

ある日突然ご飯が食べられなくなった。理由は今でもわからない。体重はどんどん減って、それに比例するように気力体力全てがなくなっていった。
実は1年目のとき、2年もすれば元通りになって普通に大学受験できると思っていた。
甘かった。
この病気の本当の恐ろしさを痛感したのがこの時期だった。
でも頑張って通信の高校を卒業した。

4年目

大学には行かなかった。行けなかった。ただただ自分の何もできなさと闘う日々。何もしてないのに疲れていく心身。限界だった。

主治医からカウンセリングを提案され、受けてみた。始めの頃は本当に緊張して吐きそうになっていたけれど、次第に慣れて今では心を落ち着かせられる場所になっている。ありがたい。
カウンセリングを始めて、少しずつ外に出かけるようになった。美味しいものを食べたり、服を買ったりして、ちょっとだけ自分の好きなことが思い出せたような気がした。

5年目

この頃から心情の変化が起きていた。
あれだけ治したいと思っていた病気について「治るのが怖い」と思うようになった。
わたしから病気が無くなったらもう誰も心配してくれないかもしれない、前と同じようにギリギリまで頑張る生活を送らなきゃいけないかもしれない。
そう思うと本当に怖くて、不安で、死にたくなる。このままでいいわけない、でもこのままでいたい。
今もこの気持ちの整理はついていない。

そして今

なんと仕事を始めた。
きっかけはあってないようなものでいい加減何かしないと、という焦りだったり、何か新しいことがしてみたいという前向きな気持ちだったりしたかもしれない。

仕事といっても一般就労ではなく、B型事業所という、身体や精神に障害を持つ人が雇用契約を結ばずに働く場所に行っている。(実はよく分かっていないので気になる人は調べてみてほしい)
そこでの生活にはまだ慣れていないが、会う人会う人みんな優しくてびっくりしている。
お金を稼ぐというより、少しずつ社会復帰ができたらなと思う。(ただ治るのが怖い気持ちもあるので板挟みで辛いときもあるけどね)

こんな感じです。改めて文字にすることで自分でも整理がついた気がします。
ここまで読んでくださった方がどれだけいるか分かりませんが、ありがとうございます!
これからも病んでても読めるローテンションコンテンツを目指して気持ちを綴っていこうと思います、よろしくお願いします。

生きます。