【無料】小説『またあした1』~ユーモア・ミステリー~|第9回|
「ここんとこ、笑ってないなあ」
というあなたに!
ユーモア小説 ケンちゃんシリーズ『またあした』を週1回ぐらいのペースで10週ほど連載します 第1回はこちら
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超・一人称小説『またあした』第一巻
【なッ アッタマいいだろ】連載第9回
その六
それで、どうなったか?
婆さんと息子夫婦と真一くんの四人で、つぎの週から家族揃って一週間のハワイ旅行。
うん、もういきなり。店の入り口に、「臨時休業」って貼り紙してね。
いいよな、ハワイなんて。
オレなんか、トモちゃんとの浜名湖が、えらく遠いってのにさ。
でも、その間は婆さんのお守りをしなくていいわけで、やれやれって思ってたら。これがビックリよ、マスター。
一家四人でハワイに出かけた、そのつぎの日の夜。
なんとさあ、尾張屋から火が出て。もう柱の一本も残ってないってぐらいに跡形もなく、きれいに焼け落ちちゃったんだ。そう、まるごと全焼。
はじめは調理場からの出火じゃないか、ってことで消防も調べたんだけど、店の裏に積みあげてた段ボールの山から火が出たらしくて。うん、野菜とか入ってた箱な。
しばらく旅行に行くってんで。店んなかを掃除したのか、新聞とか雑誌なんかも、みーんなまとめて店の裏に積んでたんだよ。
そこに、ちょっと火が点きゃ、からっからに乾ききった真冬だから、ひとの居ない家なんて、あっという間だよな。
家の中じゃなくて、外から火が出てるしさ。
結局は、不審火ってことで決着。
それから一週間後の朝。
婆さんと息子夫婦、それに真一くんが中部国際空港に着いた。うん、常滑のセントレアな。
オレは、新藤さんに言われて空港まで迎えに行った。だけど、えらく気が重くてさ。とりあえず名古屋駅のセントラルタワーズのホテルに連れてくるように、って新藤さんに言われてたんだけど。空港から名古屋駅までの間が地獄。
家族みんなで、楽しそうにハワイの話をしてんのよ。あの無愛想なおばはんまで、ひとが変わったみたいにハシャイじゃってな。
だけど、オレは浮かない気分でさ。婆さんの顔を見るのが辛いわけよ。だって婆さんの大好きだった実家の尾張屋が、なくなっちゃったんだもんな。
でも、もちろん火事のことなんて言えないだろ。
そんなブルーな気分でホテルまで届けたら、新藤さんがロビーで待っててくれて。もう、やれやれってんで、そこでオレはさいなら。
その日は、くったくたに疲れたんで、事務所に帰って風呂にも入らずソッコー寝た。
つぎの日の朝。
眠りこけてたら、とつぜん『水戸黄門』で叩き起こされた。寝ぼけ眼でケータイに出たら。
「おはようさん」
ああ、そうなんだ。尾張屋の婆さんからのモーニング・コール。その日は、なぜか六時半な。
婆さんの声で、眠気なんて吹っ飛んじゃってさ。
「ケンちゃん。あんた、うちの店が火事で燃えてまったの知っとるでしょう」
もう、寝起きでいきなり冷や汗だよ。
しょうがねえから、曖昧に返事したら。
「この年の瀬に、寝るとこものうなってまったんで、引越しせなかんでしょう。手伝ってもらえん」
あの婆さんに、そんなこと言われたら断れないよな。そんで、セントラルタワーズのホテルに呼び出されたんだ。
ホテルのコーヒーショップに行ったら、婆さんと真一くんが朝飯を食い終わって紅茶を飲みながら待ってた。
「ケンちゃん、あんたご飯は済んだの」
メシも食わずに事務所を飛び出してきたから、もちろんまだ。
「ここで、しっかり食べといてもらわんと。力仕事だでね」
ってことで、朝食を食べることにした。
ビュッフェ形式だから、何とってもいいんだけど。スクランブルエッグとかソーセージ、それにパンを皿にのせて急いで食った。
引越し先は息子のとこかと思ったら、野並のマンションだっていうんだよ。
婆さんの話じゃ、港区のトランクルームに預けてた荷物があるから、それを野並まで運んでくれってことでさ。
それ聞いて、ホントよかったなって。たとえちょっとでも、燃えずに残ったもんがあってね。
だって七十何年も生きてきて、それまでの思い出の詰まったもんが、ぜーんぶパア。なあんにも残ってないってのは、やっぱ可哀想じゃん。
で、コーヒーを飲み終わって、伝票見たら二千三百円って書いてある。いっとくけど、もちろん一人前な。しかもランチでもディナーでもねえ、ただの朝メシがだよ。
あの「お値打ちだがね」が口癖みたいな婆さんにしたら、こんなコスパの悪いとこでメシ食うのは、珍しいなと思ってね。
これがコメダ珈琲だったらだよ。ドリンクに百円プラスするだけで腹いっぱいだろ。
《すべての飲み物にトースト&ゆで卵が無料で付いて》、しかも《トーストはジャムもOK》だもんな。
それにさあ、二千三百円も出すんなら、『うなぎや』で特製ひつまぶし食えるじゃん、だろッ。
伝票を睨みながら、財布出そうとしたら。
「ええよ、ここは。わたしの奢りだがね」
そう言って、婆さんが払ってくれた。
「わたしは、お手洗いに行っとくで、あんたらここで待っとってちょ」
エレベーターの前で真一くんと待ってたんだけど、婆さんがなかなか戻ってこない。
「奢ってもらって、こんなこと言っちゃいけないのかも知れないけど、名古屋のモーニングは、やっぱコメダ珈琲の方がよっぽどいいよな」
「ボクもコメダ珈琲が好きなんです。でも、ばあちゃんが、ハワイから帰ってきてから、やっぱり寒さで膝が痛むって言うんで、あんまり歩かせたくなくて」
そこへ、婆さんが戻ってきたんで、エレベーターで地下の駐車場まで降りて、アウディに乗り込んだ。
「ああ、そうだわ。これ、ハワイのお土産」
手提げ袋から婆さんが、青い包みを取り出してオレにくれた。そう、ハワイ土産の定番、マカダミアナッツ。
お礼を言って、港区の倉庫に向かったんだけど、クルマのなかじゃ、火事の話をするのがイヤだったからさ。
「お婆さん、ハワイはどうだった」
「面白かったよ。わたしは、これまで行ったいちばん遠いところが九州の博多。海外旅行は、生まれて初めてだったもんで、ええ冥土の土産ができたわ」
「浅井さん、ばあちゃんは、ホテルのプライベートビーチで日光浴をしてたんですよ」
真一くんは、可笑しそうに笑ってるんだ。
なんか、二人ともあんまり落ち込んでないんで、ちょっとホッとして。
「はははっ。まさか水着姿でサングラスしてたんじゃないよな」
「サングラスは、しとらんよ。でも、わたしでも、そら水着は着とったよ。あはははっ」
その瞬間、まずいことにオレは婆さんの水着姿をバッチリ思い浮かべちゃった。
「むかし若いときに、洋画で見たときから、あれをいっぺんでええで、やってみたいと思っとったんだがね。そうはいっても、こっちだと恥ずかしいでしょう」
そりゃ、見てる方だって恥ずかしいわ。
「でも、向こうにもお年寄りは仰山おったけど、太った御婦人も水着姿で寝そべっとるし。それで、あはははっ。こんな歳になってから、水着で日光浴してみたんだがね」
頭振って、なんとかその絵を、振り払おうとしたんだけどさ。そういう妙なイメージほど、こびりついちゃうだろ。
あれ、なんでなのかね、マスター。
「やりたいこと我慢して、やらずに死んでもつまらんもんねえ。そんなこと我慢しとっても、どうせ誰も褒めてくれんだろうし。あはははっ」
オレは、妙なイメージが、寝るまで消えないと困るから、話を変えた。
「ところで、荷物ってどのぐらいの量があるの」
「そうですね。ダンボールで三十箱ぐらいかな」
横から真一くんが教えてくれた。
そんなにあるんだったら、トラック借りないと無理だなと思ったら。
「トランクルームのそばに、レンタカー屋がありますから」
名古屋駅から港区までクルマ転がしてって。真一くんのナビで、そのレンタカー屋にクルマをつけた。
四トントラックを借りて、二百メートルほど先のトランクルームまで転がしてくことになったんだけど。
真一くんは、婆さんを手助けして、なんとか助手席に座らせて。自分は、運転席の方から真ん中に、身体をズラしながらようやく座った。トラックの真ん中の座席って狭いじゃん。だから長い足をピタッと揃えてさ、窮屈そうにしてんのよ。
しかも、運転席と助手席には付いてんのに、真ん中には、シートベルトが付いてない。あれ、おまわりが居たら、どうすんのかな。でも、はなっから付いてないもんしょうがねえよな。
そんで、三人とも乗り込んで、ようやくスタート。
トラックって座席が高いのはいいけど、車幅も違うしさ。おっかなびっくりで、安全運転な。
真一くんに指示してもらって、トランクルームの駐車スペースにトラックを停めて。
トランクルームって、もっとチャチなもんかと思ってたけど、屋根付きの二階建てで、けっこうちゃんとしてんだ。
婆さんを助手席に残して、トラックから降りたんだけど、背の高い真一くんはハンドルの前を、窮屈そうに這いずり出てきた。
建物の正面のドアを開けると廊下があって、その両側にドアがズラッと並んでた。882って大きく番号描いてあるドアに、真一くんが鍵をさして開けると、ダンボール箱がオレの顔のあたりまで積んであって。思ったより多かったんで、ちょっと驚いた。
ふたりして箱をひとつずつ運び出して、トラックの荷台に積み上げてった。
そっから、またオレが運転して野並まで行ったのよ。
「そこです」
真一くんが指したのは、薄いベージュ色のタイルを貼ったマンションで、四階建てだったかな。
一階のいちばん奥の部屋で。六畳ぐらいのキッチンがあって、その奥に和室がひと間。うん、1DKな。たぶん学生とか若いサラリーマンとか、そういう奴むけのマンションなんだろ。
何回も往復して、ダンボール箱を運び終わって。窓を開けたら、真一くんがそばに来た。
「あの、向こう側に見えるのが、うちの団地なんですよ」
名東区にしても、天白区にしても、緑区にしても。名古屋の東側って、丘がつながってるだろ、どこまでもな。
窓から見える団地は、向こうの丘に建ってて、婆さんの入居したマンションとの間は下がってる。そこに一戸建てが並んでんだ。マンションと団地が、ちょうどおんなじぐらいの高さだから、窓から見ると目の前って感じだけど。実際に歩いて行ったら、たぶん十分以上はかかるんだろうな。
「ちょっと、あんた」
婆さんの声で、振り返った。
「この箱に『小物』って書いてあるでしょう。だったら台所じゃのうて、こっちの部屋の押入れに置いてもらわんと。年寄りは、しょっちゅう使うもんは、できるだけ近いとこにあったほうがええでしょう」
言われたとおりに、押入れまで持って行くと。
「箱のガムテープも剥がしといてもらえん。年寄りは、そんなことでも大変なんだわ」って、人使いが荒いんだ。しょうがないんで、真一くんとふたりでガムテープを剥がしてたら。
「あんた、その箱には、わたしのズロースが入っとるんだよ。そんな箱を開けて、いやらしい男だね」
もうさ、勘弁してくれよって。
それで、ひと区切りついて。
「それじゃあ浅井さんも、一緒に昼飯でも食べていってくださいよ」
真一くんが、部屋を出てった。
オレは、婆さんとふたりで、フラダンスやハワイの食べ物の話をしながら待ってた。
「ハワイは景色もええし。あれだけ暖かいと、膝もラクだし。ええとこだがね。そんでも、やっぱり食べもんがあかんわ」
食いもんにうるさいからな、婆さん。
「水か魚か、お出汁のとりかたのせいか分からんけど、わたしの口には、よう合わんわ」
「でも、日本食のレストランも一杯あるんじゃない」
「そら、あることはあるよ。こっちで食べるもんと似とるけどねえ。そんでも違う食べもんだわ。やっぱり日本の食べもんが、なんといっても、いちばん美味しいがね」
そんな話をしてると、窓の外を自転車の籠に荷物を山積みした真一くんが通りすぎた。すぐに玄関のドアがあいて、レジ袋と大きなずん胴、それにフライパンを抱えて立っててさ。
もうオレは、ビックリよ。
「えっ、まさか、ここで料理すんの」
そう訊いたら。
「ええ。もうガスも水道も通ってますから」
「でも、きのう帰ってきたばっかりだろ」
「ばあちゃんが住むとこなきゃ困るだろうって、このマンションを新藤さんが手配しておいてくれて。それにガスも水道も電気も通しておいてくれたんですよ」
そりゃそうだよな。だって、よくよく考えてみりゃあ、きのう帰ってきたばっかで、今朝マンションの手配なんか出来るわけないもん。
よく見たらさ。食器棚や折り畳みの卓袱台、それに座布団とかも揃ってて。きょうから、すぐ暮らせるようにしてあった。さすがだよな、新藤さん。
真一くんは、ずん胴に水張ってコンロにかけて、すぐに料理をはじめた。
手慣れたもんでさ。きのこを手で裂いて、ベーコンを切ってんだ。
パスタをずん胴に放り込むと、フライパンを火に掛ける。腕時計を睨みながら、菜箸でずん胴からパスタを摘んで口に含んで確かめる。
その仕草がさ、なんかプロっぽいんだよ。
ザルの上にザバッとずん胴の湯を切って。フライパンで炒めてたベーコンときのこに、ザルからパスタを和えて、味つけして一丁あがり。
「お待ちどうさま。ベーコンときのこの和風パスタです」
「どうかね」
婆さんは、箸でパスタをつまんで一口、二口食べてから目を見開いた。
「これは、美味しいわ、シンちゃん。わたしはバタくさいのはあかんけど、これなら食べられるわ」
そのパスタは、たしかに美味かった。
息子夫婦はどうか知らないけど、真一くんは婆さんのことを、ホント大切にしてるんだなと思ってさ。
それから残りの荷物を片付けて、オレは夕方まえにマンションを出た。
そんとき廊下で、ケータイいじりながら歩いてきた女とすれ違ったんだけどさ。ケータイに、二十個ぐらいストラップがついてんのよ。そりゃいいんだけど、女の髪はグリーンで、耳には牛の鼻輪みたいなでっかいピアスして。
おまけに、ラメの入ったシャツの上に毛皮のコート着て。下は超ミニの黒のタイトスカートな、ぴっちぴちの。とにかく、えらくケバいんだ。
オレは、空のトラックを転がしてレンタカー屋まで行って、アウディに乗り換えた。そんで、もらったマカダミアナッツを齧りながらクルマを走らせてたんだけどさ。これからあの部屋で暮らす婆さんのことを考えて、可哀想だなって思ったんだよ。
だって、真一くんと両親の住んでる団地と近いっていえば近いけど。あの坂道の多い街じゃ、膝の悪い婆さんにはキツイだろ。
それに、あんなケバい女だけじゃないだろうけど、若い奴が住むようなマンションだろ。そこに婆さんひとりじゃ落ち着かないよな。七十過ぎて、そんなとこで暮らすの、やっぱイヤだろうなと思ってね。
(つづく)
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