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自問自答ファッション講座#2

自問自答ファッション講座を受講した覚えをつらつらと書いています。
講座の紹介というか、わたしが何を感じていたかの思い出話(になってしまっております)です。

講座を受講しようと思った話はこちらから。

では、精一杯のわたしなりの戦闘服であきやさんにお会いするところから。

自問自答ファッションの話、エモーショナルとは。

待ち合わせの店があるエリアは、おそらく初めて降りる街だった。隣のエリアはプライベートで行くけれど、この街に来ることはあまりない。ビジネス街、しかも金融街なのでわたしからはなかなか縁遠い。(東京は、数百メートル歩くだけでも街の色が目まぐるしく変わるのが地方育ちのわたしからするととても面白く、散歩しがいのある街だと思う。閑話休題。)

道路は広く、道沿いに並ぶビルは画一的なクラシックなものがずっと並んでいる印象で、土曜の昼ということもあって、車の通りも人通りもそれほど多くはなかった。

あきやさんに到着した旨を連絡して、指定されたカフェに入る。ほどなくしてあきやさんがお店の奥から現れた。
自問自答ガールズの感想noteを読んで「あきやさんの文章から発信される人物像そのままらしい」ということを理解していたのだけれど、本当にイメージと乖離がなくて、こんにちは〜と挨拶しながら、心のなかで今まで読んできた数々の感想noteにいいね!を押していた。皆様の仰るとおりです。
ああ、わたしこの方知ってる、という不思議な安心感。

飲み物はアイスコーヒーを選んだ。本当はトマトジュースが飲みたかったのだが、わたしはその当時、1ヶ月だけ糖質制限を頑張っていたので諦めた。
(今はしていない。なのでまた機会があったら次はトマトジュースを飲みます)

自己紹介のあと、あきやさん考案の「自問自答ファッション」とは?のレクチャーを受ける。内容はnoteなどでずっと発信されていらっしゃることだけれど、あきやさんご自身が、それこそエモーショナルに、具体的なエピソードを語ってくださるのでとても楽しい。
双子ちゃんのコーディネートの話はすごくリアリティがあったし、「エモーショナル」とは具体的にどういうことかをわたし自身に想起させてくれる。
例えば、わたしはその時、幾つかジュエリーをしていた。

ブシュロンのクルドパリ。エルメスのヴィンテージリング。スリランカで作ったルビーの指輪。bororoのtiny wild wedge。chikako yajimaのルビーシングルピアス。ayami jewelryのイヤカフ。

エルメスのヴィンテージリングは、母親から譲り受けたもののひとつ。貰った時は酸化で真っ黒だったのだけれど、銀座のエルメスブティックにド緊張しながら乗り込んで磨きに出した。石がついているので、対応は難しいかもと言われながらも、工房でなんとか復活させてもらった。もう廃盤のデザインということもあって、店員さんが「是非大切にされてください」と見送ってくださったことが記憶に残っている。

ルビーの指輪は、高校以来の親友とスリランカに旅行に行った時、お守りにしよう!と二人でそれぞれの誕生石をルースから選んで作った指輪。(そして友人が頼もしいことにガンガン値切っていた。)わたしの地金はYGで、友人はWG(石はブルートパーズ)。対照的な着地でいいな、と思っている。

bororoのtiny wildは、わたしの大好きな2.5次元舞台(のライブ)に行く前に買ったもの。この演目が、この人が好きだ、という高揚感を、好きだったことを覚えておくためにわたしは感情をジュエリーによく託す。なので、このピアスにはあの有明の多幸感が詰まっている。
※それはそれとして、tinywildはコンセプトが最高なのでみなさん是非リンク先を踏んでください。

他のジュエリーにも買ったシーンや思い出や、選んでくださった店員さんとのコミュニケーションがどれも付随している。あきやさんは、わたしのジュエリーにさらっと触れてくださり、わたしはごくごく普通になんともないことだと思いながらそれぞれの小さな思い出を披露した。話が終わった時、あきやさんが、少し熱っぽく「そういうことです!これはこういうものだ、と宗谷さまだけがお話になれるものこそがエモーショナル、ということですよ」とお話してくださって、目の前が晴れるようだった。

わたしは割と何でも好きになるけれど(「好き」が常に八艘飛びしている)、その分特別に思い入れのある「何か」がない。モチーフや、色。
ファッションも、人も、ものも。
本当に「揺るぎなく好きなもの」を選び取るって、それ以外のものを選ばないということだ、という感覚がどうしても拭えなくて、苦手だ。
ああ、それでもわたしにも「エモーショナル」なものはあったんだ、って。

自己認識のいびつさを考える。

結局、ぶっつけ本番で望んだワークタイム。自問自答をすることは大好きだったはずなのに、そこに向き合う筋肉がすっかり落ちてしまっているなあと嘆きながら、「〇〇だよね、と言われたらどんな気持ちがするか」「どんな人が好きか」のワークをしていく。

ここが、ひとつ難関だった。〇〇、という言葉に対するイメージを語る事はできても、「〇〇だよね、と言われる(そう評価した他者がいる)」という状況を想像すると、途端に心が感情の波を失って平坦になっていく。

例えば、「宗谷さんっていつも可愛くしているんですね」って言われたとしたら。そう言われたなら笑って「ありがとう」と御礼を言うと思う。
わたしは、微塵も可愛さを発信はしているつもりはないが、相手がそう受け止めたのであれば、それを否定するものでもないし、”可愛くしている”は相手の中で概ねポジティブな印象だということだ。自分のプロデュース能力が相手の感受性にアンマッチを起こしているというだけで、そもそもいい印象を持ってもらったことには、「あ、そうなんですね。有難うございます」以外の何物でもない。
なお、お世辞、社交辞令、リップサービスとかは考えないようにしている。(これらについては「有難うございます」のほうが一瞬で会話を終了させられるのでむしろ手っ取り早いと気づいた)

なので、「どう思いますか?」「うーん……有難うございます……って感じですかね?」という回答がずっと続いてしまう。特に「ベーシック」「カジュアル」などが並ぶCのゾーンは、それ以外の感情が本当に出てこなくてだいぶ苦しかった。
印象の濃淡の問題なので、興味がないゾーンはそれはそれで良いのだろうけれど、事前にワークをしてきていたら、イメージの解像度をもう少し上げることが出来ていただろうに。
なんとなく思っていたのです。わたしは、割と人に興味がない気質があるな、ということを。なんだかそれに、土壇場で解釈もできないまま触れて向き合うことになってしまった気がして。

その次の「好きな人」も全く出てこない。
自問自答ガールズは皆、ここは熱を持ってお話されているイメージがあるのですが、わたしは逆に全く出てこない。「好き」が薄いからだと思う。
悩んだ末、出てきたのは「スピッツは良いですよね。草野マサムネの顔、好みなんですよ」である。我ながらどうかと思う。(注:ファンクラブに入ってくるくらいにはスピッツの音楽性も大好きです。「夜駆ける」が好きすぎて語りたい。夜を、です。夜に、じゃないです(強火))

キャラクタでもいいですよ、と言われて出てきたのが、騰(『キングダム』)とアビリガ(『将国のアルタイル』)で、そこから要素を言葉で手繰り寄せる作業をしていたのですが、ここで、わたしが好きな男とはなにか、についてぼんやりと考えることになります。このテーマは面白いのでどこかで掘り下げたい。

ただ、その後のワークのどこかで「あ〜、本当に人に興味がないんですね〜」とあきやさんから、普通の個性のように言ってもらったことが凄く印象に残っている。(何でそう言われたかは思い出せないくらい、ごくごく普通の何気ない会話の中だった。このポンコツめ。)
あきやさんの全肯定力を垣間見た気がした。本当に受け止め力が凄い。

講座を通して受け取ったもの、そして戦いは続く。

正直、服装そのものに悩んではいるわけではなかった。
体型のコンプレックスは普通にあるのでスタイルは良く見せたいけれど、好きな服を好きなように着ているし、自分はこういうものが好きだな、まあ似合うかなというのもなんとなくわかっているつもり。
受講を決めた時に心にあった「どうでもいい服を着て人生消費している場合じゃねぇ!」精神は、実際のコーディネートの悩みではなく、ファッションに対する向き合い方の話だ。

好きの閾値が低いので、テイストが定まらない。着ないものがないわけじゃないけれど、似合わないのでなければいろいろな自分を纏いたい。オールブラックもいいけど、カラフルな服も着たい。Tシャツデニムで生きていくのは格好いいだろうなと思うし、たまにはFOXEYを着てお嬢様を気取るのも楽しい。
ファッションは楽しい。けれど、あれもこれも、は薄っぺらい気がして心が疲弊する。でもそんな浮気症なわたしが3つに制服を絞り込めるだろうか?
それ以外の服や色が着たくなったら?
どんな制服が提案されるかの興味とともに、不安もあったのは確かだ。

事前アンケートの”講座に求めること”に「お話をしたいです」とだけ書いたことは、今思えばきっとわたしの素直な本心だ。
わたしはファッションの話をしたかったのだ。
ファッションのエンパワーメントを確信しながら、柔らかい眼差しでこの世の中を走って、戦って、生きているひとと。いつからか、わたしの中でファッションは、わたしが何者であるかの表現と過分に結びついていた。それを言葉にしてこなかっただけで。

この講座を受けて感じたのは、人生に対する肯定だ。
わたしが、「こうありたい。けどできていない」ということを見つけて、それをコンセプトとして形にしてくださった、と感じる。
そのコンセプトは秘密にしておく。

だから、わたしの中でコンセプトは「わ〜〜〜!それだ〜〜!」というものでは、ない。「そう、なんですかね。でも、そのコンセプトを貫けたら幸福かも。随分と背筋を伸ばさないといけないけど」というのが最初の気持ち。
でも、そういう躊躇いも飲み込んだ上で、心の中にある結晶を掬い上げて、大事なものであるならそこから目を背けずちゃんと抱えて歩いていきませんか、とそっと背中を撫でてもらったような、気がする。

そうしてレポートが届いた。
蓋を開けてみたら、色が踊っている。制服案も自分でもう一度咀嚼するような、自由さがあるようだった。
制服は「案」で、自分の目指すコンセプトに合っていれば、自分の望みの生き方に沿うのであれば、別に何を着たっていい。柄の服をあれこれ着て、好きな色を身に纏って、服だって、鞄だって、靴だって、ジュエリーだって、赤も青も緑も黄色も、別に特定の色を決める必要はないのだ。
それが、自分の生き様に胸を張れる、と思える限りにおいて。
それがあきやさんの至高の名言・「わたしはいいけど、YAZAWAがなんと言うかな?」精神ということだったんじゃないかと、レポートを見てようやく腹落ちした。
これでいい、じゃなくてこれがいい、と自分自身で揺るぎなく選び取ったものを武器としないと、このトーキョー砂漠を生きていくには心許なさすぎる。

自分で選び抜いたわけでもない40個近い鞄に、20着以上もあるコートたち。
愛の許容量はひとそれぞれだから「愛せる数だけ持てばいい」という言葉に随分と救われもしたし、だからこそ逆に「愛せないなら手放すべき」だということがあの日から楔のように刺さっている。
服の溢れたクローゼットはきっとこれから戦場のような選抜戦だ。
そこでわたしの愛を勝ち得た服たちと一緒に、軽やかに勝利していきたい、と思う。わたしは、そうして世界に歓迎されたいのだ。

(これはまさしく「コンセプトの戦い」では!?)
(ハイキュー!!は最高の部活漫画ですよろしくおねがいします)

post script.

コンセプトの棚卸しが一通り終わったあと、「苦手な色、嫌いな色はありますか?」という問いがあります。(好きな色、得意な色も聞かれます)
割と悩まず、「グレー、ベージュとかのぼんやりした色、パステルカラー、あとピンク」と答え、即答&笑顔で「はーい、着なくていいです〜」とばっさり切り落としてもらって「ですよねー」と二人でキャッキャッしてたのですが。
まさかのそのちょうど1ヶ月後に、ピンクをメンバーカラーに持つ某アイドルに落ちるとは思っていませんでした。
メンカラピンクじゃん……ってなった瞬間に、真っ先にこのあきやさんとのやりとり思い出して、舌の根も乾かぬうちにって顔を覆いました。(「好き」を託して身に纏いたいオタク!!!)
一ヶ月後の自分がご機嫌なファッションは、今想像しているものとは違うものかもしれない。ファッションはほんと人生なんだろうな。

Life was like a box of chocolates.
You never know what you're gonna get.

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