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【小説】ある駅のジュース専門店 第37話「肝試し」

 これは、僕が小学五年生だった頃の話。
 当時通っていた小学校では、毎年五年生の夏頃になると二泊三日の合宿があった。山間にある青少年自然の家に泊まり、キャンプファイヤーをしたり班ごとにカレーを作ったりと、普段はなかなかできない体験ができた。
 そんな合宿で最も印象に残っているのが、二日目に行われた肝試しである。

 夕方からキャンプファイヤーが始まり、終わった頃には、日はとっくに沈んでいた。次のイベントがあるので体育館に集まってください、と先生から指示が出される。みんなでぞろぞろと体育館に入り、人数確認を終え、先生から床に座るよう促されると、館内の明かりが徐々に薄暗く落とされていった。
 実行委員の人たちが二人ほど前に出てきて、一人一話ずつ怪談を語っていく。どれも山にまつわる話で、確か最初に語られたのが「一声呼び」、次に語られたのが「ヤマノケ」だった。僕の前に座っていた女子が「これ知ってる」とひそひそ話しているのが聞こえた。怖い話とかそういうのには疎かった僕も、この二つの話には聞き覚えがあった。
 怪談が終わると、先生から班ごとに一つずつ手持ち提灯が配られた。
「それでは、今から肝試しを始めます。班ごとに山の中を回って、この建物の玄関前に戻ってきてください。聞き慣れない声が聞こえても、絶対に反応しないように。誰かが私たちを仲間にしたくて呼んでいるのかもしれませんよ……」
 実行委員の人が低めの声でこんなアナウンスをしたので、背筋がちょっぴり寒くなった。幸いうちの班には陽気な男子が多かったので、空気が明るくて安心できた。
 僕たちは玄関を出て、闇の中に黒々と浮かび上がる山へと向かった。
「よっしゃー! しゅっぱーつ!」
「なんか歌いながら行こうぜ!」
 リーダーと副リーダーの提案で、メンバー全員がその場で作ったでたらめな歌を大声で歌いながら歩くことになった。周りにいた他の班の人は若干引いていたが、お構いなしに歌い続けた。
 僕の隣には藤田ふじたさんという女子がいた。いつも休み時間に本を読んでいる大人しい人だが、この時初めて、彼女が大声で歌を歌っている様子を見た。歌い終えると豪快に口を開けて笑うのが意外で、少し、魅力的に感じた。
 山へ行く途中に長い橋があった。橋のたもとには血糊を付けた白装束姿の理科の先生がいて、近づくと「うらめしやぁあ〜」と楽しそうに脅かしてきた。怖いどころか安心感が増した。
「先生じゃん」
「えーっ、全然怖がられない……メイク張り切ったんだよ?」
「だって怖くないもん」
「そんな〜」
 先生は着物の袖で顔を隠した。口元が笑っているので、泣き真似だとすぐに分かってしまう。
「先生、道こっちで合ってますか?」
「うん。この橋を渡って、右ね」
 先生が顔を上げ、橋の向こうを指さしながら案内してくれる。
「分かりました。ありがとうございます!」
「気をつけてね〜」
 お茶目なオバケに見送られながら、僕たちは橋を渡った。

「待って!」
 僕は走っていた。足を進めるたびに橋が軽く揺れるので恐る恐る渡っていると、もう他のメンバーが先に行ってしまっていたのだ。
 明かりとなる手持ち提灯はリーダーが持っている。提灯の光から離れれば、一人だけ夜の闇の中に放り出されてしまうような気がして怖かった。
 山には街灯が全く無い。常に道に街灯が置かれている環境で暮らしてきたので、夜でも明るいのが当たり前のように感じていた。でも、夜というのは本当はもっと暗くて、恐ろしいものだった。きっと昔の夜もこれくらい暗かったのだろう。暗闇に対する不安や恐怖から、その奥に潜む得体の知れない化け物の姿が想像され、様々な怪談が生み出されてきたのだろう。
 不安に駆られ、徐々に小さくなる温かな光を追った。でも、他のメンバーとはもうだいぶ距離ができてしまっていて、追いつくことができなかった。僕はいったん乱れた息を整え、ゆっくりと歩き出した。
 他の班の人たちがいればまだ安心できたのだが、辺りには誰もいない。鬱蒼と生い茂る木々や伸びっぱなしの雑草が、生ぬるい風に揺れている。どこにいるのかも分からない虫の声が響き渡る。時折視界を蚊が横切り、汗ばんだTシャツに寄ってくる。蚊を片手で追い払いながら進む。
 ふと、どこからか甘い香りが漂ってくる。イチゴのような甘い香り。近くに果物でもなっているのだろうかと思った瞬間、遠くの方から声が聞こえた。
中本なかもとくーん」
 藤田さんの声だ。
「中本くーん。どこー?」
 僕を捜してくれている。一筋の光が差した気がした。
「藤田さん‼︎」
 声を上げると、「あぁ、そこにいたんだ」と藤田さんの声にほっとしたような息が混ざる。
「置いてっちゃってごめんね。こっちで待ってるから、はやく来て」
「うん……!」
 僕は声のする方へ駆け出した。
 前方に、木々を切り開くようにして佇む大きな白い建物がある。ひどく寂れていて、入り口の上の看板の明かりが辺りを頼りなく照らす。近づいて入り口から覗き込んでみると、イチゴの甘い香りがした。建物の中はシャッター街になっていて、奥の方に何やらピンク色の明かりが見えた。
「中本くーん、こっちこっち」
 建物の奥から、藤田さんの声がする。
「……藤田……さん?」
「なぁに?」
 やけに艶かしい声が返ってくる。
「……ほ、ほんとに、そっちで合ってるの……?」
 数秒の沈黙の後、ふっと笑いを漏らす音が聞こえた。
「合ってなかったらどうする?」
「えっ」
「こっちにみんながいなかったらどうする? 中に入っても一人ぼっちのままだったら? そのうち中に閉じ込められたら? 山から出られなくなったらどうする?」
「え……ふじ、た、さ……」
「さっき大事な話聞いてきたのにもう忘れたの? 知ってる奴の声出してみたら、信じ切ってのこのこついて来やがって。馬鹿だなぁお前は」
 思わず後ずさった。もう藤田さんの声ではない。男性のようにも女性のようにも聞こえる、大人の低い声に変わっていた。
「一緒に遊んでやるよ。一人ぼっちじゃ寂しいだろ?」
 シャッター街の奥にいる誰かが楽しげに言う。冷や汗が噴き出してきて、さらに後ろに半歩下がる。
「せ……先生、でしょ? 先生だよね……オバケのふり、してるんだよね……?」
「さぁ、どうだろうなぁ。気になるなら確かめに来る?」
 まるで僕を試すような口ぶりだった。僕はシャッター街の奥の方をじっと見つめた。
 入ってはいけない気がする。でも、入らないと声の主が何者なのか分からない。この奥にいるのはきっと先生だと信じたい。先生にしては、脅かし方が上手すぎるけれど。
 意を決し、入り口の奥に一歩踏み出してみる。途端にぶわっと鳥肌が立ち、足を引っ込める。ふふ、と吐息混じりに笑われる。
「そんなに怖がるなよ。別に取って喰う訳じゃないし。もっと奥に来てみな」
 妙に甘い声が手招く。
「う……ん……」
 再び足を踏み出し、二、三歩進んでみる。どこからか、ねっとりと絡みつくような視線を感じた。怖くなって戻ろうとするが、体はひとりでに前に進んでいく。両足が全く言うことを聞かない。
「え……なんで……」
「ふふふっ」
 笑い声が恐怖を煽る。
 いやだ。いやだ。行きたくない! 抵抗しようと足に力を入れても、ずるずるとスニーカーの底で床を擦って前に歩かされる。シャッター街の電灯が、激しく点滅を繰り返す。
「うわ……あぁっ……あ」
 声を上げた瞬間、急に足が止まった。建物の中の明かりが全て落とされ、完全な暗闇の中に放り出される。
「え……」
 こつん、こつん、と靴音が近づいてくる。逃げようとしたが、身体が固まって動かない。ただ為すすべもなく震えているしかない。
 衣擦れの音がして、両肩を強く掴まれた。花のような甘い香りが鼻を掠める。顔に生ぬるい息がかかる。
 その状態で、電灯が点いた。
「っあぁぁぁぁあああ‼︎」
 愉悦そうに唇を歪めるそいつの顔には、頬いっぱいに赤い網目模様が浮き出ていた。

 気がついた時には、自然の家の保健室のベッドの上にいた。担任の先生の話によると、どうやら他のメンバーが僕がいないことに気づいて先生に知らせ、先生たちが総出で山の中を捜索していた際、山道で気を失っている僕を発見したらしい。
 保健室の先生から診察を受けた後、何があったのか聞かれたので、僕はあの出来事を全てありのままに話した。
「その建物の中にいた誰かに、怖い目に遭わされたんだね」
 僕が頷くと、そばで聞いていた担任の先生が首を傾げた。
「うーん……先生たちが中本くんを見つけた時は、周りに建物なんて無かったけどなぁ。先生たち以外誰もいなかったし……」
 背筋が寒くなった。先生が優しく背中をさすってくれる。
「怖かったね。明日無理そうなら、このまま親御さんに連絡取って、送っていくけど……」
「……や、大丈夫です。ありがとうございます」
「ほんと?」
「はい」
 次の日には、特に楽しみにしていたカレー作りが控えていた。それで肝試しのことを忘れられれば良いと思っていた。
 しかし、三日目の朝食の皿に乗せられたイチゴを見た瞬間、あの建物の中に漂っていた香りを思い出してしまった。周りの人の皿からイチゴが消えていく中、僕はなかなか食べる気になれず、隣に座っていた藤田さんに頼んで食べてもらった。
「あの……中本くん。昨日は……」
「うわぁあ! ……え、あ」
 大声を出してしまったことで多くの人の視線を浴び、顔が熱くなる。
「え……ど、どうしたの?」
「や、ううん……何でもない」
「……そっか」
 藤田さんは泣きそうな顔で言った。
「ごめん。昨日は本当にごめんね。置いて行っちゃって。あの時私が気づいて鈴木すずきくんたちに待ってって言えば良かったんだけど、怖くて、そのまま行っちゃったんだ。まさかあんなことになると思わなくて……ごめん」
「ううん、僕の方こそごめん。迷惑かけちゃって」
 藤田さんは静かに首を横に振り、口元を紙おしぼりで拭いた。
「そういえば……中本くん。聞いてもいい?」
「ん、何?」
 藤田さんは小声で言った。
「中本くんが怖がってるのって……もしかして、オバケに会ったから?」
 どきっとした。
「え……な、な、なんで」
「実は……昨日、出発してから橋を渡るまでずっと、誰かに見られてる気がしてて。周りを見てもこっちを見てる人なんていなかったから、怖くなって。ほんとにオバケいるのかもって思ってたら、中本くんが……いなくなってたんだよね」
 あの建物の中から感じた、ねっとりとした視線を思い出した。
 ああ、ずっと見ていたのか。だから藤田さんの声を出せたのか。妙に腑に落ちた。
「だから、中本くんが気絶してたのも、ずっと顔色悪いのも……もしかしたら、オバケのせいじゃないかなって」
 僕はしばらく、何も言葉を返せなかった。

                〈おしまい〉 

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