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テセウスの船は目的と存在の衝突である

もう一つ有名な思考実験としてテセウスの船をご存知だろうか。パラドックスの一部であり、概要としてはある物体を構成するすべての部品が入れ替わったら、その物体は過去のものと同一とみなす事が出来るのかが問題だ。

ここで例を挙げながらこの問題について考えていこうと思う。例えば、ある芸術作品を取り上げて話を進めていきたい。ある画家が描いた絵画が美術館に搬送される時、少し傷がついてしまった。そこで、美術館で復元され、元通りとなった。ここで年月の流れと共に復元が続けられ、すべて復元された絵の具で構成されてしまうと、その絵は同じ絵柄であるかもしれないが、その画家が書いた「オリジナル」の絵ではなくなってしまうだろう。なぜなら、その画家が筆を取って、描いた絵ではないからだ。

反対に、あるバスを例にとってこの問題を考えていきたい。ある学生が毎日、通学のために乗っているバスがあるとする。毎朝8時に駅を出発し、15分後には学校の最寄駅に到着している。学校のある日は毎日、この同じバスに乗っている。この場合、「同じバス」という定義は8時に駅を出発し、15分後に学校に到着するバスのことを指すと考えることが自然ではないかと思う。同様に、違うナンバープレート、運転手、車種であったとしても、この定刻に出発するバスであれば「同じバス」という見方ができる。

この場合、同じテセウスの船のパラドックスに対して2つ違う考え方が出てきてしまった。さて、どちらの方が正しいのか。これは、どちらもあっていながら、どっちも間違っていると私は考える。一つ目の絵画の例は、その物体の「存在」を元とした考えで本物かどうかを判断している。その物体のオリジナルの部品、もしくはパーツが残っているかを問うレンズで見ている、といっても良いだろう。その一方で、二つ目での例は「目的」を元とした考えでこのパラドックスを捉えている。例えば、もの自体は同じでなくとも、その目的が同一であれば同じとみなす考えだ。

これらの考えに対して、この問題は存在と目的、どちらを重視するか問うている問題であると私は認識する。しかも、どちらかを重視してしまえばそのもう一方の考えを放棄することとなってしまうだろう。そのため、私はどちらの答えは同時に正解に近いが、同様に間違いにも近いのではないかと考えてしまう。

そこで、全く新しい考えの誕生に期待することとしようと思う。何千年も前の思考実験、非常に興味深き。
ではでは、また次の記事でお会いしましょう。

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