お笑いエネルギー論


お笑いを起こす人間に必要なのは「愛」です。

「人間愛」という言い方が合ってるかもしれません。

愛とはそれすなわち、人とやりとりをして、あたたかい気持ちになることを意味します。

愛のある人間にはエネルギー(元気)があるので、少々向こう見ずな発言をされても、笑って見過ごすことができます。

愛とは"情"の発生源です。

お笑いとは。方程式におけるその根本を辿ると、その答えは「情」です。
いわゆる、"あの人のために笑ってあげよう"です。

「あの人ひどい言われようで可哀想」

「あの人この空気感だと喋りづらそう」

「あの人いつも周りに気を配ってるから手助けしたい」

場における、苦労人への同情や、恥や勇気に対する称賛です。

僕たち私たちが、ふと笑う瞬間はいつだって、「人間らしいな」と可笑し可愛く感じた時です。

だから笑いを起こせる人は、周りの人の感情のゆれを機敏に察知できているのです。

愛がエネルギーのもととなるのは、愛をたくさん浴びると、「人がすき」というマインドになれるからです。

恐怖とは「人がこわい」と感じる。愛の反対側にあるもの。

恐怖があると、人にやさしくしようと思えない。

恐怖心は視野を狭め、相手に対する情がなくなります。

自分が回避することしか考えられず、相手を傷つけても何も思わないし、客観性がなくなるので、自分の振る舞いが相手を傷つけていることにすら気づけなくなる。

そして、余裕がないので、何も思いつかなくなる。

つまり、同じ景色を見ていても、認識が違うので、そもそも見えている景色が違うのです。住んでいる世界が違うのです。

そんな人に「人見知りなんだね」と言ってあげられるような、やさしい世界が見えている住人は、前提に「人は人が好きである」という認識があります。

「本当は仲良くしたいけど警戒してしまうんだね」と、そう感じられるのは、日頃からたくさんの人に愛されて、温かい情に触れているからです。

お笑いの方程式における発想力(所謂ボケやツッコミ)とは、「思いつき」です。ただの「思いついた」それだけです。それを「思いつける」ことが才能です。

「思いつける」のは、それを実行可能にできる能力があると直感が踏んでいるからです。

あとは、"思いついた"ことを「言う」か「言わないか」です。

ただ、「思いつく」には"余裕"が必要です。

余裕とは、"実行可能であると思いつける幅"のことです。

「相手の期待に応えられてる自分の姿が想像できる」ようになってこそ、"余裕"が生まれたということになります。

余裕のある人は、元気のある人です。

周りを「警戒」していては、余裕の余地などないので、「安心」が必要になります。

安心や慣れがあると、考えられる「余白」があるので、周りに気配りができる「余裕」が生まれます。

安心の条件は「他愛」であり、周りを愛するためには、「自分への尊厳」や「他人に対する情」を持ち合わせる必要があります。





やたら抽象的な表現ばかりなのは、お笑いの可能性は無限大であるので、つまらない具体化に当てはめて考えを固定したくないからです。

また、人間関係は変数まみれなのであしからず。

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