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社会包摂または包摂社会

基本的人権や公共の福祉が機能していれば、もう少し楽な社会がそこにあるのではないか。

今、楽な人は今の環境を維持するのに全力をあげても、結果が楽だから問題ない。今、苦しい人が全力をだすのは苦しさを越えて危険だ。有利な方がもっと有利になる。

苦しい人が楽になる方法はあるだろうか。苦しい人を助けてくれる機能はないだろうか。

基本的人権や公共の福祉からなる社会的包摂というものがあればその役割を果たす可能性がある。

人が生存しているときにはそれ相当の生体反応があり、社会があるかぎりそれ相当の反応がある。その反応が社会的包摂になりうる。すなわち、社会的包摂は人が存在し社会が存在しているときに既にそこに存在している。これは仮定である。

この仮定に基づけば、人が攻撃的になるように社会も攻撃的になるし、人が傷を癒し回復するように、社会も傷を癒し回復する機能があるはずである。休息して回復する機能を包摂と命名できないだろうか。

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