5 後退科学的考察-1

分類学

 言葉を覚えた人間は、どうやら全体を把握したくなってしまったらしい。それは、GPSなんかで、今どこらへんかをきにするのに近い。基準は比較を可能にする。分類もそうだ。だって、分類とは、違いで区別していく作業だからだ。ここではダーウィンのことには触れないけれど。

ある男が、中年になっても幸せになれない、満たされない日々を送っていた。原因は、ひょっとしたら、随分前から幸せだからじゃないのか。

お肉を食すとき、口付近の感覚の何をもってうまいとするんだろう。その問題は、実は自由では片付かない。だって、おそらく多くの人が、選択肢を揃えていないだろうから。


砂防ダムをダムと感じたことは一度もない。


アリスは言う。
好奇心は災いのもと。
だから穴から落ちたんだ。


 僕の夏休みは、そのほとんどの時間が退屈だったんだ。やることがないし、いつでも遊べる友達もあまりいない。でも大人になってから思い出すことは掃除機の音とホコリ臭い匂いのセットなんだ。7対3で匂いだ。

ファーブル昆虫記の奥本さんが言う。
今の子供には暇がない。
ならば、忙しいって概念もないんじゃないか。

僕はいまだに、暇潰しに忙しい大人かもしれない。
そんなギャップは最近感じてるところだよ。


 今も昔も変わらないのはデフォルトだろう。初期状態の人間だ。比較は分類の負の作用の一部でもある。違いにばかりに目を向けるのでは分類もままならない。真剣に分類するには、同じ部分にも気づかなければいけない。ここは同じ、ここは違う。そうやって精度を上げいていく。

表情ついて

 仕事の段取りができない。手配ができない。後から後から不足に気づく。要は仕事ができない。そんな男がいた。おまけにそいつは見え透いた嘘をつくんだ。その嘘は仕事に支障がでてしまうほどだ。親方はみんなに愚痴をこぼしながら、明日は言おう、改善か撤退を求めよう、なんて毎晩のように考えていたんだ。そして片隅で思ってた。
そうはいっても、あいつが集中して作業してる表情は、真剣で一所懸命に感じるんだよなあ。

 大嫌いな大人がちょっとしたアクシデントに見舞われて、悲しい表情を見せたんだ。なぜかそういうものを見ると、嫌いだけど僕が我慢すればいいって受け入れてきたみたい。

 明らかな相手の過失を、一度は弁償を求めてしまっても、最後は償いを受け取れないのは今も昔も同じなんだ。もっとも今はお金の余裕が弁償を求めないのだけど。でも認めた方がいいと思うんだ。お金に余裕がなかったら、昔のように償いを求めたい気持ちにならないとは言い切れないってのがしょうじきなところかな。


告白したくないことがいくつかある。例えば虫なんかを駆除したり、めんどうだから叩き潰してしまうことは3割くらいはある。

乾電池って燃費が悪いよ。


どんなに気持ちを大切にしたいと思っていても、相性や実力の加減で共同クリエーティブをしたくないって思う相手はいる。


 行き場のない事象は起こり得る。でも決着をつけなけければいけないことも多い。そういうとき判断基準を持ち合わせているとは言い切れないんだ。ボブディランが風に答えを委ねても、僕は時の感情に勢いでおしきってしまうことがある。貧困な価値観だとわかっていても、やっぱり損したくないって気持ちは完全には消えてくれない。けっして大きな人間なんかじゃないんだよな。

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