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見極めについての覚書き

自己評価。それは、自身への客観的な目で実施されなければつまらない忖度でしかない。過大はむなしいだけだが、過小もまた忖度でしかない。

 個人的な役割、それは組織の中での立ち位置や役職のようなものではなく、例えばチーム案件での担当分野の様なこと、自身のそういうものについて考えを巡らし、一旦一つの結論にいたりました。

 ビジネスにおいては若い時分から企画や営業、ディレクションといったフロント寄りの役割を主に担ってきた経緯もあり、誰かに任せようと思ってはいても、ついつい経験が邪魔をしてとやかく関与してしまう傾向が抜けません。現在のスタイルで仕事をはじめてあっという間に5年近い歳月が過ぎましたが、いよいよこの問題に決着をつける時が来たということでしょうか。いや、ようやく決断できる状況が揃ってきたと言った方がそぐうのかもしれません。ここでいう決断できる状況とはどんなものかということについて書き残しておこうと思います。  

 まず、フロント寄りの役割から内側へ、私の諸活動でいうところのそれは制作や演者寄りの領域ですが、そちら側にシフトするにはどういった要件が揃う必要があるかを整理する必要があるかと思います。

  • そもそも私自身が制作や演者として最低限以上のパフォーマンスができなければならない。

  • 私がこれまで担ってきた領域を最低限以上にこなせる後任を育てる、もしくは見つけなければならない。

主にこの二つです。先に書いたところの決断できる状況とは、これら二つの要素が伴った状況を言うわけです。

 まず前者について。若い時分からビジネスとは違う個人的な活動の中で、表現活動は継続的に続けてきていますが、まずその領域において、自身のパフォーマンスにそれなりの自信を持てる段階に達したということができます。その中身は意外と幅広目のミドルレンジです。

  • ​ イメージを具現化するためのオペレート技術→DTP/DTM/映像編集/音響機材の扱い

  • 各表現→演技/話力/執筆/歌唱 など

これらのクオリティが、フロントでの業務の相対的なクオリティを上回ってきたという手応えが今はあります。ようやくスタート地点に立てたという実感があり、大変うれしく思ってます。

 続いて後者についてですが、こちらは他者との関係であり、自身の努力だけでどうにかなるものではない分ユニークな特性の課題ですが、ありがたいことに守備範囲を広げてながら且つクオリティを高めてきてくれた仲間が今はいてくれます。後方領域でのパフォーマンスや彼らのフロント領域でのパフォーマンスは、まだ自立するのに充分とは言えませんが、周囲には頼れるプロフェッショナルがたくさんいてくれますし、フロント領域においては私自身がフォローすることでことは足ります。 かくのごとき次第、そういうわけで、今私は諸活動の役割分担バランスを見直す段に至ったというわけです。

 さて、役割分担に関する考察はこれくらいにして、今後この変化によって見込める前向きな産物についても少し書いておこうと思います。それを示すには私の得意分野を見るより苦手な領域を見た方が正確です。フロント領域に寄れば寄るほど重要になってくる要素の一つに社会との接点があります。ビジネスで言えばクライアントであり、表現においてはスポンサーや観客、時に目視できない社会全体との接点です。それは必ずしも取引きや事務仕事だけを指すものではなく、複雑でややこしい表現の世界をどのように社会に提供したり提示するかという企画的な要素も含みます。どんなに深く優れた表現であっても、提示の仕方を誤り、他者に伝わる、もしくは考えるきっかけが伴わなければ社会的な価値を見出すことはできず、無視無反応の範囲にとどまれば自己満足という他ありません。私の主な弱点はそこに集約されます。とにかくマニアックで分かりにくいのです。それでも内側から沸き起こる表現欲求が止むことはなく、社会的価値を見出せなくても活動を続けてきたのがこれまでの人生です。これまでは社会との接点、提示の仕方も含めて独りよがりなこだわりを強く持ってやってきており、その領域も自身で担ってきたわけですが、表現の在り方は同じであっても接点だけは一般的な感覚を持った方が上手くことを進めることができる様です。もちろんこのことには随分前から気づいてはいたのですが、実際は、私の中にある何らかの感情が接点を一般化することに抵抗を感じてきたと認めておきます。今ころになってようやく、そこに負の感情を抱きわざわざ伝わりにくい体裁での出力を続けることに特に意味や価値がないという考えに至ったということだと思います。  ありがたいことに、私の周囲には一般的な感覚を持ち、同時に私の表現世界を前向きに受け止めてくれる人たちがいます。さらにありがたいことに、私がビジネスを共にするメンバーの中にもいます。先に書いたフロント領域でのこれまでの私の役割を今後引き継ごうと考えている人もその一人です。 ​

 餅は餅屋といますが、志をともにするチームのなかに、新たな餅屋が育ってきたということだと思います。そしてなりより、私自身も本来担いたい領域で、まがりなりにも餅屋になれてきたということかもしれません。

2022師走

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