見出し画像

【短編】テレビ、エンドロールは誰の為


 私の名前は「桜井 凛子」(さくらい りんこ)29歳。周りからは「りんごちゃん」と言われている。見た目も特に美人でも無ければ、頭もそこまで良くはない。でもやっている仕事は意外にもテレビ局のアナウンサー。そんなに大きくない地方のローカルテレビ局。だからアナウンサーだからなることが出来た。と言われればぐうの音も出ない。こういう小さな地方局は自分の担当以外にも雑務をこなすことも多いのだけれども、仕事自体は充実していたように思う。

 ある日の事、いつものように出社し、いつものようにデスクに座ると一枚の紙が机の上に置かれていた。

「お前の魅力を見せて!」

何だこれは?薄っぺらい自己啓発の本に書かれているようなそんな言葉。キョロキョロと周りを見渡すと一人の女がこちらを見てニヤニヤしていた。彼女は「宮国 蘭」(みやぐに らん)私と同期入社のスタッフで今はAPをやっている。休日が合えば一緒に遊びに出かける間柄だがたまに彼女は全く読めない行動を始めることが多い。

 「何なのよ!」

と私は彼女の元に駆け寄ると蘭はいつもの調子でコーヒーが入ったカップを啜っていた。

「いやさね、退屈だから何となく朝電車で浮かんだ言葉を投げつけたのよ」

退屈のしのぎ方を知らないのか?こいつは。いつも良くわからないことをしては周りを困惑させているものの、腕だけは確かなようでこのご時世にもかかわらず彼女が出した企画は凡庸であるがそれなりに視聴率がいいらしい。私は信じることが出来ないが。

「おーい、お前たち!今日は局長から大事な話があるってよ。会議室に早く来い!」

「はーい」

蘭は余所行きの声をあげると私の方を向いてウインクをした。何なんだ?こいつはと思いながら2人で会議室に向い、ドアを開けた。

「重い」

 そこは空気が死んでいた。死んでいた?いや違う。全く生きていない。同じことか。明らかに雰囲気が違う。いつもの会議室じゃない。と私が若干ビビっていると隣に居た蘭がツンツンとつついてきた。

「何よ?」

「〝今日、局長が〟ってフレーズなんか語感いいよね」

「くだらないこといってるんじゃないわよ、あんたこの空気読めないの?」

「読まないの。私は昔からそうなの」

 強い。彼女はこの場面でも強かった。局長をはじめとした役員が首を並べている会議室でもお構いなし。彼女はマイペースのようだ。しかし、会議が始まって開口一番、局長からとんでもない言葉が飛び出すと私たちは真顔にならざるを得なかった。

「今から1週間後、この局は閉局になる」

 ざわつき。それしか起きない。仕方がないじゃん?そんなこと急に言われたら。でもね局長さん、話には順番ってものがあるんですよ?

「いえ・・・閉局は間違いじゃないんですけど、合併です。いわゆるね」

 直ぐに訂正が飛んできた。隣に居た若めの役員から。それはそうでしょうよ、急に1週間後に首になるかと思ったじゃないの。辞めて欲しいわ。

「合併になる」

 だから聞いたってその話。なんで繰り返すわけ?バカなの?知りたいのは経緯とかそういうのでしょ?説明しなさいよ!

「えーっと・・・何というか、要するに力を合わせないとこれからの時代に生き残れなくなってしまいまして、感情の整理は付かないと思いますがとにかく合併しないとやっていけないのです」

 雑な説明を数分続けていてすごく眠くなってきた。あー今日の昼飯どうしようかなとか考えちゃう。なんでなんだろうね?なんか重大なことを言われている気がするのに空気だけが重くて言葉が全然重くない。だから刺さらないのかもしれない。

「・・・と言う訳だ。残りの時間はこの局の歴史やそういう特番を盛り込みたい」

「そんな!急すぎますよ!」

 周りがやっぱりざわつく。まあ、たしかに局は無くなるのかもしれないけれど、局は無くならない。地方の拠点としてこれからも変わらない放送を続けていくのだけれど、大きく変わってしまうのは「社名」都会にある大手の局の系列にうちが入るという事だ。

「やることは変わらないんだから、社名が変わるくらいでしょ?」

 隣に居た蘭が気軽に話しかけてきた。まあそれはそうなんだよね。今の時代名前が変わるなんてことは市町村も、学校も、会社もさほど珍しくはない。

「業界再編」

 良く聞く言葉だ。でもこの言葉の裏側には数万人という人たちが影響を受ける。影響を受けるようにはなるのだけれど、これ自体に反対をすることも出来ない。居心地の良い場所は時代の煽りを受けやすい。

「ネット動画」

 一言で言えばこれだろうテレビ局が下がっていったのは。でも私から言わせればそれは「憎きネット」ではない。今までのテレビが強すぎた。強すぎたんだ。だから「最適な数値」に変化しつつあるというのがお偉方にはわからないみたい。かつての栄光にすがっていて、その数字ばかり追い求める。

「バカみたい。昔は娯楽が無かった。だから面白くない物を面白く見る能力が人にはあった」

「でも、今は面白いものを人が求めている」

 ネット動画は「面白く」そして「わかりやすく」そのうえ「短い」
レスポンスを求めた。応答性の良い物を求めた。昨今でこの動きはごくごく当たり前になってきているが、それはどうして?と言われるとやっぱりネットと言う物自体、応答性がすごくいいからという理由に尽きる。

「ゲームでもそうでしょうに。ソシャゲが流行ってる理由の中の一つに有るのが、お金を出した先の演出。向こうが用意したキャラが出るか出ないかっていうそれに対する自分の反応。つまり心の動きを買うことが即時に出来る。だから流行るの」

「コンシューマーは感動するという心が動くまで時間も労力もかかる。それよりもお手軽インスタントで人は感じたい。3分くらいしか待てないの。まあでも、心の中にそれが残るのか?と言われれば否だとは思うけど」

 だからわかりにくい昔のテレビ番組は「テレビの外側」でも「テレビ番組」として存在していた。見た人たちが勝手に井戸端会議、学校での話題。そこで視聴者が考えを押し広げるわけ。

「架空戦記物って知ってる?あれと同じ。もしも、こうだったら?みたいな話が出てくるの」

「わかりやすいのがクイズ番組とかお笑いの人が運動をしているやつとかを見た後よね。〝もし、私があの番組に出てたらこうする〟っていうのが独り歩きしてく」

 そんな話を隣にいる蘭とひそひそと話していると急に局長が私の名前を呼ぶじゃないか。最初は何かの間違えだと思い無視していると先輩がつついてきた。

「ほら、りんごちゃん。呼ばれてるよ?」

「・・・私ですか?」

 局長は難しい顔をしているふりをして、それなりにスタッフの居る会議室で私に問いかけた。

「そういうことで桜井君。キミにお願いがあるのだが」

「なんでしょうか?」

 気持ち悪い。なんか年上からこんなに真剣にお願いをされることは大抵ろくなことじゃない。

「キミにうちの局の最後の放送をお願いしたい。やってくれるよね?」

 時が止まった。

何を言われたのか一瞬わからなかった。周囲に居た人が若干私の周りから引いたのを感じた。ざわつきじゃない。これはざわつきじゃなくて・・・なんだろう?冷や水?冷えた水が一気に体の中を満たした感じがした。

「そ、それは?」

「うん。だからこの局の最後。エンドを君に任せたいってこと」

 それ聞いたよ。さっきも聞いた。だからわかってるって。私が知りたいのはその奥。理由とかあるじゃん。

「理由?それは君がうちのアナウンサーだからだよ」

 それ理由か?と思ってしばらく考えると確かに理由にはなるのかもしれない。でも普通、最後は何か貫禄のあるスーツの偉い人が頭を下げたり、今ままでお世話になりましたって挨拶をして閉めたりするもんじゃないの?確かにここはローカル。地方局。無くてもいいテレビ局なのかもしれない。吸収される側なのかもしれない。

でもそれでも40年の歴史はある。私もこのテレビ局のテレビ番組を見て育ってきた。だからここに入った。憧れてた。私は憧れてこの世界にはいった。

「〝憧れてた〟なら適任じゃない?」

 横に居た蘭が会議の空気を切り裂く。

「私はただ、打算的にこのテレビ局に入ったの。だってそうでしょ?テレビ局につとめているってだけでイキれる。最近はこういうイキりが大事でみんなそれをやってるけど、それを強く持っている職業はテレビだって思ったの」

蘭は淡々と続けた。

「地元でも何でもない。都心に有るような大手のテレビ局をパスするのは面倒。大抵顔か学歴しか見てない。私に企画力があったとしてもそれ見抜く試験はしてくれないし。だから私はレベルを下げてここに来た。そんな私からしても凛子は適任だと思う」

 凄いことを言ってのける。こいつは。空気が読めないという話ではない。それは真実かもしれないけど、結果として多くの人を敵に回すことになるぞ?

「いいのよ、合併が決まって大手のテレビ局と一緒になればおのずとその全員が敵になる。笑顔で殴り掛かってくる上司より、何も考えてないように見えて凛子のことを見ていた局長は少なくともこんな言葉に惑わされてない」

「蘭・・・」

 局長は出されたコーヒーを「ずずっ」と啜るとニコニコ笑う。

「凛子君、私はねテレビ局が何なのか?どういう存在なのか?と言うのをこの局に入った時から考えていたんだ。その答えを実行できるチャンスが来た。だから君を最後の顔として任命したい。私の結果なんだ。これが」

「でも、・・・重すぎませんか?私みたいな人間に・・」

「だから言っただろう?私も君もここのスタッフも同じだ。ただの人間。重いも軽いも無い。上も下も無い。テレビを必要だと思ってくれる人たちにとって大切なのはそういう事じゃないんだ」

「はあ・・」

 局長は近くにいるチーフプロディーサー「竹口」に会議の手綱を渡した。竹口は淡々とこれから1週間の予定を言っていく。具体的にこのあとの1週間「局の終わり」に向けて番組を編成していくことを告げる。今までやってきたこと、伝えてきたことの総集編をやる。この局にゆかりのあるタレントや芸人。著名人なども呼んでトーク番組をやる。局長も出る。感謝を述べる。

「・・・そして合併する時刻。つまりこの局がローカル局で居ること出来る制限時間は今週の金曜日。0時ジャストになる。凛子君にはその手前。23:50~0:00の10分間。この10分間が凛子君に与えられた時間だ」

 金曜日の18時から0:00までは放送の特番が組まれている。となると必然的に私がやるのは「生放送」そこで出来ることを、最後の放送をしてほしいと言われた。

「この10分間、何をやるのかは君に任せる。それがこのテレビ局が残せること」

 その日の夜、私はコンビニで安い酒と安い摘まみ。自分の愛用の煙草を買うと言えに帰った。1人暮らし。随分と長くなった。こんな予定じゃなかった。

 シャワーを浴びる。熱い水が体の表面を伝って落ちる。鏡に映った自分の姿。大したことが出来るはずがない。風呂上がり、プルタブを引っ張り一気にアルコールを流し込んで煙草に火を付ける。

「・・・・どうすればいいのかしら」

 その言葉が全身を駆け巡る。アルコールのせいではない何かの酔いが私の体を支配していく。浮き出し圧足と、沈む心。とりわけ深刻なことではない。別に自分の勤め先が無くなるわけでは無い。その後もきちんと保証されている生活。でもその生活のくびれを自分が付けてくれと言われた。

「ピンポーン」

 部屋にインターホンが鳴り響く。私は火照った体を動かして画面を確認するとそこには蘭の姿が有る。何故か彼女は両手いっぱいに何かを持っていた。玄関を開けると蘭を中入れてあげる。相変わらず何を考えているのかはわからない。

 ビニール袋の中を乱雑に漁り、適当に机の上に酒とつまみを置いていった。

「何しに来た?飲みに来たの?」

「そうでもある」

 蘭は自分の家のように洗面台に向うと手を洗ってうがいをする。その声はおじさんそのもの。20代の女性じゃない。

「もっとお上品にやりなさいよ・・・・」

「あんたもそうでしょうが」

 それには反論が出来ない。安い酒と安いつまみ。口には煙草を咥えた私は何も言えなかった。

「それで?どうするか決めた?」

 蘭はテーブルに戻ってくるとためらいなく缶チューハイを開けて飲み始める。つまみとして買ってきた・・・何これ?漬物かしら?を開けると割りばしを使ってぼりぼり食べ始める。

「今日の今で決まるわけないじゃない」

「そう?あんたの事だから決まってると思った。

 与えられた10分間。予算は言われてない。ただ、何をやるのかを決めてこいとだけ言われた。

「あのあとね、私も局長に呼びつけられたの」

「そうなんだ・・・何?怒られたの?」

「ううん、あんたの事を手伝ってやれって言われたの。それが私の最後の仕事」

「最後?」

「うん、私多分異動になる。局が合併した後で」

「えっ?」

 「スタッフは消耗品である」それが合併する先のテレビ局から言われたこと。人が足りなくなって消耗したから応援を頼みたいと言われたらしい。変わりに派遣社員的な人がこの局に補填されることになる。

「それってどういう事?」

「私だけじゃないよ?カメラマンも何人かと現場を取り仕切れるディレクターとか。そういう人たちもこのままじゃ済まない。都会の方に行く可能性は十分にある」

「そんなの私聞いていなわよ?局長からも」

「局長も局長でなくなる。多分、この後は支部長じゃないかな?あらがえない時代の波にさらわれる哀れな50代・・・そう考えるとおかしいよね」

 バリバリと漬物をかじる音だけが部屋に響く。

「あんたは、蘭はそれでもいいの?その・・・異動になっても」

「構わない。多分構わないんだと思う。どこで何をするかは問題じゃなくて、自分がどこに所属して何をしているかの方が大事なのかもしれない。ブランドのバッグを手に持てばそれだけでその人物に価値が有るように見えるじゃない?あれと同じ」

「仕事に就いている人達なんかそれだけでやっている人いるし、お金を稼ぐためだけにやってる。凛子もそうでしょ?」

「それは・・・そうだけど」

 勤め先の局には思い入れは無いか?と言われれば否になる。そこにしがみつきたいわけでは無いけれども、色んな思い出がある。

「思い出はどこにあるの?」

「えっ?」

「あなたの思い出はどこにあるの?心?記憶?それとも何?」

「懐かしいとか楽しかったとか辛かった、とかそういう感情?そういうのが大切?大切なら守りたい?でも守れない。正確には守ることが出来なくなってきた」

「次から次へと新しいことが生み出されて、誰かの目線を意識して、誰かの人気に乗って、そのうちに注目する人達しか使わなくなって・・・ねえ、あなたの言う思い出って言うのはさ、これから作れなくなるんだよね?」

 蘭は淡々と話をする。多分彼女が言いたいことは今後は「数字を求める」ことになるという事。数字を求めるという事は「自分たちで何かを作る」というよりも「流行りに乗る」ということでもある。でもそれは思い出や懐かしさを含んでいるのか?そこに人の感情が有るのか?ということを言いたいのだろう。

「わかりやすいが世界を包んで、わかりにくいが外に捨てられる。私はね、凛子。そうやって外に捨てられたガラクタがキラキラ見えるタイプの人間なの」

「テレビで扱うことなんか私から言わせれば全部ガラクタ。外に捨てられたものでしかない。知らなくても困らない。天気予報さえも知らなくても困らない。「明日雨が降るかも」って考えて折り畳み傘をカバンに入れとけば困らない」

「でも、それじゃつまらない。面白くないじゃない?雨が降るって言われて傘を持ち出して結局雨が降らなくて、ふざけんじゃないわよ!外れたじゃないの!ってそれだけで突っ込みが入れられる」

蘭は私の煙草を奪うと吸い始めた。

「蘭は・・・ガラクタの中に思い出があるってこと?」

「そう」

「でも、それを探すことすら辞める。自分の手足を使ってね。だって見て見なよ?そうでしょ?注目を浴びている人間を使うことは効率がいいかもしれないけど、それは効率がいいだけ。それしかない。それだけ扱うなら変な話し小学生でも企画が書ける」

「どこかのサイトのランキングを見て、その上位5人とかにアポとって、適当にトーク番組を作り上げればそれで完成。はい、面白い。はい、くだらない」

「はい、記憶に残りませんってね」

 意味の無いものを放送すること。ガラクタの中かから光ろうとしている者を探し出して光らせてあげる。それこそやるべきことだと蘭は熱弁していた。

「・・・なんだ、あんたもなんだかんだ好きなんじゃない。この仕事」

蘭は顔を真っ赤にして私に詰めよってきた。

「そ、そんなんじゃないわよ!ただね・・・あんたのいう思い出とか懐かしさっていうのを私なりに理解しようとしたらこうなったの」

「まあまあ、素直じゃありませんことね。蘭様?」

 度々テレビは批判される。数字を求めるのであれば手段を考えないと。でも時代が変わってきた、だからこそ出来ることがある。それはこれだけ周りは競争しているのに自分達だけは競争しなくてもまだ一定数は見てくれるということ。

「本当は数字を意識する必要は無い。近所の面白いおじさんをテレビに出してもいいんじゃない?」

「そんなことしたら・・・」

「そのくらいぶっ壊さないと面白くないわよ。スポンサーに怒られるかもしれないけど、怒られる価値がまだあるうちはそれをやったほうがいい。怒られなくなったら間違っているのか、正しいのかもわからない。このままじゃ呆れられて捨てられてそのまま焼却炉行になる」

 でも、そんなことは出来ない。確かに蘭の言う通り面白いという事はガラクタの中に眠っている物。まだ意味の付いていない物を探してそれを表舞台にあげることが出来ればそれだけで人は見るかもしれない。

「・・・なーんてね。今の半分は嘘。信じなくてもいいよ?企画とかプロデュースも一筋縄じゃ行かないし、生活もあるから妥協するってのもまた選択肢だから」

「ずっと妥協し続ければいい。それで妥協した物を生み出しつくして、ゴミみたいに捨てられればそれでいい。それで経済は回っていると勝手に勘違いして幸せに生活出来るんだから」

 私は何となくそれを言う蘭が寂しく笑っているのを感じた。多分あのいけ好かない局長も仲がいいスタッフも。同じことを思っているのかもしれない。

でも、じゃあ私に託された10分間は一体何?

 迷宮に入り込む手前で蘭が家に来て私の手を引っ張った。「そっちじゃないよ」って強引に目先を変えさせた。今まで聞いたことが無かった蘭の「テレビ局に勤める」という気持ち。多分彼女もまた私と同じようにテレビに熱狂していたんだろう。

「私に与えられた10分間・・・」

 その日から私は局と家。両方で原稿を書くことになった。誰の力も借りない自分の言葉を紡ぎ出し、今までやってきたこと全部書き出す。時間は待ってくれない。そこまで迫っている。

「不十分なモノでも、不満足なモノでもいい。でも、私で有るものを書かなければいけない」

 原稿を読む練習に蘭も付き合ってくれた。私は昔を思い出しながら原稿を読む。体内時計は正確に刻み、秒単位で言葉を紡ぐ。

「そう、私はプロのアナウンサー。だからここで原稿を読むんだ」

 何が起きても、何が有ろうとも、私はアナウンサー。

しっかりとした口調と
しっかりとした言葉と、
しっかりとした自分で、
しっかりと伝える。

 正しさって言うのは本来そう言う物。正しい、間違っているが問題じゃない。正しくあろうとする気持ちや姿こそが最も大事。

 気が付くと木曜日になっていた。私は最後の番組を取り仕切るプロデューサーと局長がいる会議室に呼ばれて、2人に原稿を見せた。すると局長は一言だけ私に告げる。

「やっぱり、君に任せて良かったよ」

 18時になると生放送の特番が始まる。この局最初にして最後の大きな番組になるかもしれない。スタッフは気合が入っているようだった。熱意と結果が相乗効果で上手く行き、番組はスムーズに流れていく。

時刻は23時。私の心臓の鼓動はとてつもなく早くなっていた。トイレに駆け込み、煙草をふかし、心を落ちつける。

「やばい、ヤバい」

かつてない緊張がそこかしこに現れる。緊張しまくっていて植木鉢になりたいとかわけわかんないことまで考え始めた。

「桜井さん?そろそろスタンバイお願いします!」

 昨年入ったばかりの新人スタッフの声で私は我に変えると「あ、あ、はい」と少しどころではない緊張でスタジオに向った。

そこには蘭といつものメンバー。

私の心は静寂を取り戻した。

 何を言われるのか、何を期待されているのか。その答えがみんなの顔に書かれていた。

「凛子に最後を締めくくって欲しい」

 その言葉が番組のプロデューサーから零れ落ちる。私は信じられなかったが蘭もうなずいていた。

本番5分前。私はマイクを付けられてテストする。いつも通りの光景、いつも通りの姿勢。そしていつも通りの感覚。

原稿を机の上に置くといつもの席に座り、いつものように深呼吸をする。

「それではいきますー本番まで5,4,3・・・・・」

私は深くお辞儀をした。

そしてゆっくりと原稿読み上げる。

 私が書いた内容は何の変哲もない、自分の事。どうしてこの局に入ったのか。子供の頃はどういう事をしていたのか。どういう事を学び、どういう生き方をしてきたのか。そしてこの局に入ってから何をしたのか。

「全く持って面白くも無い普遍的な内容」

 その内容を淡々と読み上げていく。滞りない。しかし、私は正面を向きながら頬に何かが流れていくのを感じた。

「涙だ・・・これ」

嗚咽もせず、過呼吸にもならない。ただ静かに涙だけが原稿に落ち込んでいく。不思議だった。話している言葉も内容も全部きちんと喋れているはずなのに、それなのに零れていく。

 原稿が終わりに近づき、私は締めの言葉に向って行った。今までの感謝。思い出。そしてこれからのこと。そして締めの言葉が出てくる。

「・・・最後になりますが、私にこのような役割を任せるということが何よりもこの局の事を表していると思います。私はいつまでもこのことは記憶していると思います。そうです、あの時私を熱狂させてくれたテレビのように」

 最後の言葉を言い終わると私は深くお辞儀をして本番が終了した。

 次の日、局の看板が変えらえて合併先の放送局になった。局長は案の定支部長に切り替わり、蘭やカメラマンなどのスタッフの一部は異動になってしまった。局の人間たちは入れ替わってしまい、ほどなくすると数字を追いかけた番組構成を私がアナウンスしている。

そんな日が続いていたある日、新入社員を迎えることになった。

「元気な新人がいるみたいね」

私は履歴書を手に取ると静かに笑顔になる。

その履歴書の入社希望欄に書かれていたこと

「私もこの局の最後の放送の時のような原稿が書きたいです!」

4月、バトンは静かに渡ることになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?