松田ヘッダー

000.『自分コンプレックス』

今回はコンプレックス大百科の運営者である
松田の記事です。
コンプレックス大百科のはじまりと
これからのお話を特別篇"エピソード・ゼロ"
としてお届けします。

ーーゲスト紹介ーー

松田和幸(まつだかずゆき)
山口県出身。琉球大学法文学部。コンプレックス大百科を作った人。SNS運用や広告物の制作、取材・執筆を行いながら、沖縄県内のwebメディアでもライターとして活動している。おもに就活生に向けた企業紹介記事を書き、他のwebメディアでは企画記事なども書いている。オモコロとデイリーポータルZが開催した『日本おもしろ記事大賞』という記事のコンテストで審査員賞を受賞した。

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どんなコンプレックスでした?

今はあまりそう思わないんですが、幼少期から『自分が自分であること』が嫌でした。最初にそう考えるようになったのは、5歳の頃です。僕は3人兄弟だったのですが、自分だけが両親から愛されていない、必要とされていないという感覚がありました。

ぼくには双子の兄がいて、兄は親に従順でよく言うことを聞く良い子なんです。一方ぼくは反発ばかりする悪い子。親からすると聞き分けの良い子のほうが育てやすいし可愛いですよね。でもぼくが親の言うことに反発してたのは、子どもながら彼らの言うことには筋が通っていないと感じてたからでした。

親はよく「相手の立場に立って考えろ」と言っていたんですが、そう言われると「そっちは子どもの立場に立ってないじゃん」と思ったり。幼少期、塾の帰り道に「なんで塾に通わなきゃいけないの?」と聞くと「いいから黙って通え!」と怒鳴られて。ぼくの意思なんて必要ないんだなと感じたり。それなら自分じゃない、親に従順な人間が一人いればいいじゃんと。自分が死んだ方が親のためになるんだと考えたんです。

「死んだ方が」という強い思いを持っていたのは、両親が毎晩お金がないことでケンカをしている姿を見てたからでした。自分が生きてるだけでお金がかかっていることもなんとなく理解していて。両親は怒るときに必ず「出て行け」と「明日から自分のことは自分でやれよ」と言う人たちで、一人で生きていかなきゃいけないのかと想像をしたとき、幼少のぼくは「なるほど、これは死んでほしいってことか」という解釈をしたんです。

毎晩お酒を飲んで「お前らどうせ俺のこと嫌いだろうが!」とぼくたち子どもにキレていたオトン。四六時中ため息をついているオカン。両親のそんな姿を見ながら、早く死んであげなきゃと思っていました。何度か試して、結局怖くて死ねなかったんですが。

そんなこんなで、自分が必要とされない悲しみだけがずっとありました。

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どうやって乗り越えました?

自分の価値を作る努力をしてきた結果だと思っています。自分に真剣に向き合ってくださって、信じ続けてくださった人たちのお陰でやってこれました。

大学に入ってから自分を変えたくて、1年生のときに就活の合説に参加してみたり、インターンしてみたり、タイムバンクという活動をやってみたり、ファシリテーションを学んでみたりと、それなりにいろんな挑戦をしました。でも同年の冬になって、自分が何も変わってないことに気付いたんですね。

地元を出て新しい人生を始めるつもりで生きてみたけど、ダメだったんだと。結局自分は自分から逃げられないのだと理解して、自分は自分が憧れているものにはなれず、死んでほしい自分を引きずって生きていかなければならない事実に絶望しました。ですがそんなとき、ぼくが働いていたカフェの上司からいただいた言葉が転機になりました。

「理想の自分なんて待ってても来ないから、自分の頭で自分がどう生きてどういう自分でいたいのかを考えろよ。」

それが当時のぼくにとっては衝撃的でして。あ、自分の人生って自分で決めていいんだなと初めて知ったんですよね。今まで人の顔色を伺い続けてきたぼくは、相手が気に入られるかどうかで行動を選んでたんです。

そこに自分の意思や考えなどはなく、というか自分に価値はないと思ってたので他人にとって価値のある自分になろうと思っていて。自分がいろんな挑戦をしたのは周りの人に気に入られるためだったんですよ。だから結局、虚しさしか残らなかったんですが。そんな自分にとって、自分の意思で自分の行動を選べるというのは新しい発見でした。

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それから自分がどう生きたいのかをしっかり考えたくて休学をしました。半年くらい考えて、まずは自分に向き合い続けてくださったカフェの上司の役に立ちたいと思いましたが、人がそう簡単に変わるのは難しいもので。気に入られるためという行動基準は当時まだありました。ですが自分の頭で考えて『役に立つ』という選択をしたという過程は、大きな一歩でした。

では何で役に立てるかと考えたときに、ライターという方法を見つけたんですよ。当時そのカフェは発信力の弱さが課題としてあるなと感じていて、上司が起業して作った場所だったのでカフェを盛り上げていくことが一番上司の役に立つだろうと、だから発信力を補える存在になろうと考えて、ライターを始めました。

ライターとしての活動は、自分というコンプレックスを乗り越える大きなきっかけになりました。自分が考えて作ったもので人が喜んでくれる、自分も人の役に立てると思わせてくれるものだったので。カフェでも広報周りの仕事を任せていただけるようになり、それらは一つの自信になりました。

広報の仕事の延長で広告用画像などのデザインも任せていただけるようになって、自分にはできないと思っていたデザインでも人の役に立てるんだと実感できてから、自分に対する見方が大きく変わりましたね。

まとめると、ライターをやってみようと思って続けてきた経験が、自分を認めるに値する価値を自分に感じさせてくれて、乗り越えられた感じです。

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過去の自分は好きですか?

好きですね。この松田和幸という人間の人生は楽しむ要素満載です。

自分に「死ね」と言い続けたり、胸にナイフを突き立てる想像をしたり、腕を何十回と切ったり、生きてる意味を追い求めたり、いじめられたり、人を傷つけたり、不誠実な行為をしたり、いろいろやってきましたが、総じて好きです。

そういうのがあったからこそ人の気持ちをわかろうとするようになれたし、人を傷つけず人の良さを活かせる人であろうという考えが身についたので。いろんな苦しみから逃れようとして、人を傷つける方向で解決するのではなく自分の人間性を捻じ曲げて、人を多彩な表現で褒めることに快感を覚えるようになった性癖も最高です。そんな表現で褒められたことないけど嬉しい!という相手の照れた表情を見て気持ちよくなるんです。これを褒められバージンを頂くと言っています。

それなりの苦しみを感じながらも自分と向き合ってきたからこそ、人のことをきめ細かく見れて、その良さを見つけられて、人の気持ちや人生を想像できるんだろうなと。そのスタンスを身につけたからこそ、コンプレックス大百科ができていると思うんです。また、自分の生きている意味を考え続けてきたからこそ「どんな人生にも価値があることを証明できる場を作る」という、人生をかけて成し遂げたいことを見つけられたのは、過去の自分の功績です。

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コンプレックスに苦しむ全ての人へ、メッセージをお願いします。

人生って、自分を克服する過程と自分を活かして何かをやっていく過程があると思うんですよ。自分を克服するというのは、自分の良さや価値を知って認めてあげること。でも人と自分を比べていると良さって見つからないですよね。世の中には自分の上位互換ばかりだし。

自分の価値も、世の中一般の価値観で見るとなかなか認められないですよね。例えば容姿をかっこいいか可愛いかで見たら、別にどっちでもない、みたいな。本来その人がその人であるだけで価値があることのはずなのに、なんだか大きな価値観というもので自分が判断されてしまって、自分の価値が見えなくなってると思うんです。

ぼくは、人の価値というのは苦しんだ時間によって磨かれていくと考えています。その人が自分に向き合って、自分を克服し、自分を活かして何かを選んでやっていく。その過程でずっと発生する苦しみと向き合って乗り越えきた経験というのは、その人の魅力でありとても大きな価値です。

でも今の世の中では、その苦しみを見せられないし出せない。何かを成し遂げた人だけが、過去をフーチャーされて美しい人生として取り上げられ、その過去の苦しみだけが価値とされるような気がするんです。とはいえ誰だって悩んで苦しんでるし、その大きさは比べられるものではない。誰もがもつ苦しみが価値にならないのは、価値にする仕組みがないからだと考えました。その仕組みとして、コンプレックス大百科を作ったんです。

自分が苦しんできた経験を気兼ねなく話せて、その苦しみの最中にいる人にとってその話が希望になる。それは価値だと思うし、話した人も自分の過去を認められて、この人生でよかったと感じられる。話を読んだ人も、自分のいる暗闇には終わりがあるんだと感じられ、生きようと思える。そんな場所がほしかった。

だからみなさんにお伝えしたいのは、自分のことで散々苦しんでいいし、死にたくなってもいいし、腕を切ってもいい。自分が自分であることを恨んでもいい。逃げてもいい。諦めてもいい。そのアドバイスに責任を取らない人の言葉は無視していい。その過程で感じた苦しみが誰かの役に立つなら、苦しむ甲斐があると思えるんじゃないかと。

今までの話は別に価値がないと生きちゃいけないとかそんな話じゃなくて、自分には価値があると思えた方が生きてて楽しいんじゃないかと思うって話です。

人が、自分でよかったと思えるサイクルを、コンプレックス大百科で生んでいきたいと考えています。

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・・・せっかくなのでもう少し書かせてください。人生で強く後悔してることについての話です。

高校の時、ものすごく自分を卑下して自虐する女性がいたんです。いわゆるスクールカーストは高く、自分の殻に閉じこもり系だった僕とは正反対の方でした。自分で「私ビッチだから...」と言うようなタイプで、まぁそうだったのかもしれないし、本人もそれで良かったのかもしれない。でもそうじゃなさそうに見えたので、その方が背負ってるは悲しみみたいなのをなんとかしたいと思ったんですね。

それから自身を肯定することにつながりそうな漫画を勧めたり、しゃべるのが苦手なので手紙を渡して素敵な人間だと伝えたりしていました。好きという感情ではなかったんですが、救われてほしいなと思ってたんですね。でもだんだんと、それらの行動は自己満足でただのエゴなんじゃないかと思うようになり、やめました。今思えば、本人はそのままで良かったのかもしれなかったし、わざわざ他人が口出しすることではなかったと思います。そして口出しした責任を最後まで取らず、中途半端な関わりをするくらいなら最初からしなければよかった。

ただ、自分を自虐するという行為を好きでやってるなら問題ないと思うんですが、そうせざるを得なくてやってるなら話は別じゃないですか。自分でもどうしようもない苦しみなら、泣き寝入りするしかないじゃないですか。それが許せないんです。

当時のその女性にとっては別に何とも思わないことだったかもしれないですが、ぼくはその出来事で人と関わるには責任を伴うことを学んだんですね。ぼくと関わったことによって相手の何かが変わったときに、その人から離れるのは不誠実だとぼくは考えています。それは別に人に押し付ける価値観ではなく、人が同じ行動を取っても何とも思いません。自分に対してだけです。

その経験が、このメディアの考え方の元にあります。コンプレックス大百科と出会って、救われる人がいればいいなと思います。それは決して、救いたいという上からで傲慢な態度ではありません。

また、このメディアは、取材をして記事を出し続けるという形を通して在り続けます。自分を認められなかった方がここを通って自分を認められるようになり、必要としなくなるその日まで、存在することが責任だと思うので。

だから、この世にはどんな人生も肯定される場所があると、安心して信じていただけたらと思います。そして自分も話をしたいと言ってくださる方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。お待ちしております。

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